京都生まれの江戸育ち
柿沼さんは2代目とお聞きしましたが、いつ頃から人形作りにかかわっていらっしゃるんですか?
父が初代・柿沼東光です。
家族で人形作りをやっていたので、中学の頃から手伝っていました。
ご家族で人形作りをされ、その後、初代のお父様に教えを受け、2代目をお継ぎになられたわけですね。
初代はどなたから人形作りを学ばれたのですか?
初代・金林真多呂(かなばやしまたろ)に師事し、独立しました。
木目込人形を現代のスタイルにされた方とか。
改めて、木目込人形について教えていただけますか?
始まりは1740年頃の京都です。
昔は賀茂人形と呼ばれていたようですが。
上賀茂神社に仕える宮大工は、祭事の道具などを作っていたんです。
その木っ端(こっぱ)を削りだし、神官の衣裳の端布を木目込んで華やかな人形に仕立て、
参拝に来る公家さんへの土産物に売っていたそうです。
衣裳の端切れを「木目込む」?
木で削りだした人形の胴体に、筋目をつけて溝を彫ります。
その溝に糊をおき、あらかじめ切った布地の端を納め固定する。
それを「木目込む」といいます。
筋彫りは人形の美しさを左右する重要なところなので、筋に「決め込む」という意味もあるようです。
なるほど。
人形の着物の布地は、胴体の溝に固定されているんですね。
京都で人気が出てからどんどん広がり、
これなら江戸でも売れるだろうと、人形師が江戸へ入ってきました。
でも人形を一つひとつ彫刻刀で作っていくと時間がかかる。
当時、塑像(そぞう)という、粘土で型を作ってたくさん作るという技術が江戸にはありました。
それを取り入れ量産化ができるようになり、江戸木目込人形として広がったんです。
江戸にはそんな技術があったんですね。
原型といわれる最初の型は粘土で作りますから、大きさも自由です。
また細やかな動きを表現できるという、最大の特長があります。
確かに木から彫るとなると繊細な部分は難しい・・。
人形の大きさも限界がありますね。
同じ物ができることから、産業として成り立つわけです。
量産化できることで、公家さんや位の高い人だけのものだった木目込人形が、
一般庶民も手にできるようになったんです。
量産化のお陰で、庶民の節句などにも広がったということですね。
きれいな人形は、子供心にも毎年心待ちにしてました。
型の種類はどのくらいあるんですか?
500型くらいはあるでしょうか・・
それは、初代の型も合わせてですか?
初代分も入れると倍はありますね。
初代の型もすべて保管しています。
1000型ですか。
長年人形作りをされている実績ですね。
例えば雛人形の場合は、1セットでも男雛、女雛、三人官女、五人囃子で10人、
あと随身(ずいじん)に仕丁(じちょう)を加えると15人ですから、10〜15型必要です。
確かに昔は、7段、5段飾りもありました。
昔の型を復刻版のように使われることはあるんですか?
まずないですね。
現在は居住スペースのこともあってか、人形自体のサイズが小さいんです。
昔の型はサイズが大きいので、中々難しいですね。
小さくなるということは、布地の大きさも小さくなりますし、筋彫りも木目込みもより手間がかかりますね。
作りやすさからいうと、ある程度中間的なサイズの方がやりやすいですが、
今はどんどん小型化しています。
小さいからといって袖がなくてもいいや、とかそういうことにはならない。
やることは一緒なので、細かくて手が抜けません。
生産性が悪くなっているのは事実です。
時代のニーズに合わせて人形のニーズも変わる。
そのニーズに合わせて、新たな提案をしていかなくてはいけないのですね。
柿沼さんのプロフィールに、吉徳大光でも修業されたとありました。
「人形は顔がいのち」というフレーズで有名なところですか?
吉徳大光は、江戸で一番古い人形問屋です。
3年半、勉強させていただきました。
セールスの勉強と、他の作者の作品研究です。
お客さまや実際に販売されている人形店さんの実態を、経験されてきたということですね。
人形も、企画やコーディネートが重要です。
どんな人形にしていくかということですね。
企画から完成まで、どのくらいかかるんですか?
全部総合すると、半年はかかります。
6月が新作の発表会なので、12月の中旬にぼちぼち企画が動きだすところです。
新作の企画数は、どのくらいですか?
雛人形と五月人形をあわせて、15アイテムくらいです。
人形のトレンドというものは、どういったものですか?
人形の題材が宮廷文化であったり歴史のあるもの、また長年飾っていただくものですから、
流行廃りはない方がいい。
江戸木目込人形は基本的に渋めの布地を使うものですが、最近は明るめのものの方が好まれますね。
金襴(きんらん)であったり凝った刺繍のものは布地が厚くなるので、
木目込む際の溝も普通よりは太く彫ったり、布地にも限界があるんです。
数多くの職人から生まれる、木目込人形
柿沼さんは、人形の企画から製造すべてされているということですが、
人形制作の工程を教えていただけますか。
まずは企画です。
たとえば、コンパクトでどこでもおける、明るく衣裳は凝って洗練されているなど、
予算や大きさスタイルに飾り方などを考慮して考えていく、一番悩むところですね。
企画が決まれば一気に進めます。
まずは「原型作り」です。
粘土を使い人形の胴体を作ります。
粘土ですから繊細な動きも表現できます。
これが、木目込人形の特長です。
原型は柿沼さん自らが作られるんですか?
企画と原型は私がやります。
できた原型を木枠に入れ、硫黄などを流し込み人形の型を取ります。
木枠の型を「かま」といって、人形の前半分と後半分の二つを作ります。
次に「かま詰め」です。
桐塑(とうそ/桐の粉にしょうふ糊をまぜて作った物)をかまの中に詰め、
前後ともに詰めたら合わせて一体にします。
次が「ぬき」です。
かまから胴体が形作られた桐塑を取り出しますが、繊細な動きのある胴体ほど、ぬきが難しい作業です。
ぬいた胴体を乾燥させることを「木地ごしらえ」といいます。
乾燥後、バリという型の合わせ目や不要なでっぱりを削ったり、
割れやひびは桐塑で補足、最後にやすりをかけて完璧な胴体に仕上げます。
乾燥にはどのくらいかかるものですか?
70℃の乾燥室で2週間ぐらいです。
完全に水分を抜くので1割ほど縮みます。
次が「胡粉塗り」です。
胡粉(貝殻を焼いて作った白色の顔料)をにわかで溶かしたものを胴体全体にぬり、
染み込ませることで木地を引き締め筋彫りをしやすくします。
胡粉が乾いたら、布地を木目込むための「筋彫り(溝作り)」をします。
この筋彫りで人形の仕上げの善し悪しが変わりますから、いつも頼んでいる職人にお願いしています。
彫刻刀で一定の幅と深さになるよう丁寧に彫っていく。
普通は0.8〜0.9mmですが、金襴や刺繍を施した厚い布を使う場合だと1.3mmほどですね。
着物の自然なしわや重なり合うところに筋彫りで表現します。
自然なしわの線を、1mm前後・・・。
そんなに浅く細い溝なんですね。
次が「木目込み」です。
筋彫りで施された溝に糊を入れて、
型紙に合わせて切った布地を目打ちや木目込みべらを使って木目込みます。
一つの溝に両側から2枚の布地を納める。
また胴体の部分にはしわを寄せないように着せつけ、しっかりと木目込んでいきます。
なるほど、着せつける。
溝以外にしわをつけず着せていくというのは、動きのある形はかなり難しいでしょう。
1日に何体くらいできるものですか?
簡単なものだと30体ほどですが、布をたくさん着せる、
動きがあるものだと1日に1体できないこともあります。
木目込み後、企画によっては「彩色」をします。
京都の友禅作家さんに書いて貰ったり、 また漆を使い金箔を貼ったり螺鈿(らでん)を施したりは、
私がやっています。
そういった表現をプラスすると、また新しい木目込人形の世界が広がるわけですね。
そうですね。
人形の胴体を作っていく一方で、頭屋(かしらや)さんで人形の頭の部分を作ってもらっています。
素材は石膏で、伝統的工芸品は瀬戸焼か桐塑です。
すべて胡粉を塗って、美しく仕上げます。
面相筆で人形のお顔を描いていくことを「面相書き」といいます。
髪は頭に筋を彫ってあるので、絹糸を植えていきます。
顔は筆遣いで表情がまったく変わりますね。
頭屋さんはいつもお願いしている職人さんですか?
職人が変わるとお顔も変わりますので、「東光の頭」は3人の職人だけにお願いしています。
できあがった東光の頭を、合わせて企画した木目込みを終えた胴体に取り付けます。
「頭取り付け」ですね。
最後に「仕上げ」をします。
全体を見て整え、手をつけたり紐を結んだり、冠をかぶせ小道具を持たせたりなどしていきます。
小道具は小道具屋さんがありますが、そこでできない物は自社で作っています。
柿沼さんの自社での工程は、「原型作り」「木地ごしらえ」「木目込み」「頭取り付け」「彩色」「仕上げ」。
これ以外にもたくさんの職人さんが関わってらっしゃいますね。
自社で抱える職人は15人、人形作りの外注も含めると50人くらいでしょうか。
台や屏風など、漆器だとその産地の職人にお願いして作ってもらい、
別のものはまた別の産地にお願いする。
それぞれの産地の職人も合わせると、何人になるでしょうねぇ。
木目込人形へのこだわり
先ほど、お顔について「東光の頭」とお聞きしました。
人形の頭というのは、胴体と合わせて考えられたものではないのですか?
衣裳着人形の場合には、胴体屋と頭屋は別で作っています。
小売店さんが、胴体と頭をそれぞれ仕入れて自社で取り付けています。
胴体屋さんは、頭まで関知しないんですよ。
そうなんですか。
でも、我々の木目込人形はそうじゃない。
「東光の頭」を当社専属の職人に加工依頼し、取り付け完成は自社で行います。
衣裳も自分のところで西陣から仕入れてきて、布地を裁断して着せつけるんです。
西陣といえば着物ですね。
京都の西陣に創業260年の金襴織物会社があり、人形用の生地を作っています。
欲しい色が無い時は、指定した色に染めてもらったりしています。
人が着る反物や帯地なども実際目にして、
龍村さん(龍村美術織物)の帯などもいいものがあったら使っています。
以前は人形用の布地が多かったですが、今は人形用と人用の割合は半々になってきています。
市場が多様化してきているので、新しい柄や凝ったものなどいろいろ探しています。
本来、人形作りというのは分業制で、それぞれのパーツを組み合わせられるように作ってあります。
ですが、東光さんの木目込人形は、企画というかコンセプトにのっとって、
細部まで妥協せずに生み出されているんですね。
例えば「祭遊(さいゆう)」は、一年を通して楽しめるということでお作りになられたとか。
まさに新しいコンセプトの雛人形ですね。
祭遊は、江戸木目込人形の最大の特長である「動きを出すことができる」ということを、
分かりやすく表現したものです。
桜の木の下で、五人囃子が宴を楽しんでいる。
その姿を親王が温かく見ています。
五人囃子がいきいきと曲を奏で踊っていて、皆片足上げたり躍動感がありますね。
三人官女も笛や太鼓をもち、親王の前にも琵琶と琴があります。
祭遊は、ひな祭りの季節以外にも飾っていただけます。
お正月には、門松や鏡餅、初日の出などの小道具があるので、三人官女と一緒に飾ってもらえます。
端午の節句には、鯉幟や菖蒲の小道具と五人囃子を。
他にも七夕や仲秋の名月にちなんだ小道具も揃えています。
季節に合う人形と付属品を飾り、その他の人形は箱の中でお休みさせるんです。
一年中飾っておけるんですね。
これまでに無かった発想です。
お部屋にあるだけで、可愛らしさと雅な空間が生まれます。
なんといっても小道具もリアルで繊細です。
それぞれ得意な産地があるんです、お雛道具なら静岡とか。
産地に出向き、こういった道具が欲しいと依頼してくるわけです。
漆器産地の飾り台だったり、お雛道具であったり、桜や橘だったり、屏風だったり、
いろんな工芸がここに集まって、まさしく日本の文化の結集です。
どこをとっても日本の伝統文化・工芸品ですね。
ですが、東光さんは祭遊をはじめ、これまで見たことのない人形を生み出されていますね。
雛人形は平安時代が題材ですが、あえて時代をさかのぼったテーマで作ってみたり。
いつも考えています。
お話を伺って、人形に対する意識が変わりました。
物心ついた時に見た雛人形や五月人形、そういった伝統的工芸品を目にしているからこそ、日本文化への興味や懐かしさと、人形を通して家族の思いや愛情を感じられるものなのかもしれません。
久しぶりに、自分の雛人形に会いたくなりました。
貴重なお話、ありがとうございました。