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2009年10月18日(日)、熊本県阿蘇郡南阿蘇村にある野外劇場「アスペクタ」にて、第21回カントリーゴールドが開催された。今回は朝から曇っていたこともあり、例年より気温が低く、また風も強かったため、初めはとにかく寒かった。普段はビールやペットボトル飲料等、冷たいものを中心に売り出す飲食物の売店からも、「ホットコーヒー、いかがですか!」という掛け声ばかりが上がる有様。これは第19回(2007年)と同様か、と覚悟しかけたが、昼前から太陽が顔を出すと途端に気温も上がり、例年に近い気候となったので一安心。ただ風だけは強いままだったので、おなじみの体験熱気球「まもるくん号」がほとんど上げられなかったようだ。
さて今年は第21回ということで、これまでと構成を変更。まず前年から試みた、アマチュア・バンドのコンテスト「カントリーゴールド・アウォード」。今年は正午過ぎ、開会式の後のオープニング・アクトとして、2組が登場した。数々の大スターたちが歴史を作って来たアスペクタの舞台で、彼らもまた堂々たる演奏を披露。このアウォードを機に、若い演奏者が育ってくれることを願って止まない。
続いて登場したのは、日本国内で活動するカントリー・アーティスト2組。チャーリー以外のプロ・バンドがカントリーゴールドで演奏するのは、これが初めてだ。まずは田村大介 with フレンズ。田村は71年東京生まれで、父親の影響でカントリーに親しみ、大学時代より本格的に音楽活動を開始。ハンク・ウィリアムスらクラシックからケニー・チェズニーら現代まで、レパートリーも幅広く、今後が期待される男性シンガーの一人だ。バックを務める"フレンズ"も、尾崎孝[ペダル・スティール・ギター]、松本亮[ドラムス]、古橋一晃[ギター]、Mike Dunn[ベース/ヴォーカル]と、巧者揃いだった。
次の登場は稲葉和裕&ブルーグラス・ランブル。国際的に活躍する稲葉が98年に結成したバンドで、マンドリンに大西一由、バンジョーにランディ・コットン、フィドルに蔦川元、ベースに石平祐二という編成。曲の方は歌を2曲やった後にインストゥルメンタルを入れる、といった構成で、安定した演奏を聞かせてくれた。
ここでホスト・バンド、チャーリー永谷&キャノンボールが登場。例年と違う順番・時間帯の出演にやや戸惑いを見せながらも、いつもと変わらぬ息の合った演奏で、観客を沸かせた。終演後はこれまた例年通り、会場内を巡り来場者に挨拶して回るチャーリー。その姿は、たとえ20年の歳月が流れようとも決して変わることはない。
今回の来日組は、ホンキー・トンク・テイルゲイト・パーティ(以下HTP)と銘打ち、同じバンドの演奏で3人の男性シンガーが次々登場する、というスタイルをとった。米国でも同様の形態で、2004年からツアーを行っているようで、これまでにチャド・ブロック[Chad Brock]、デイヴィッド・カーシュ[David Kersh]、ダリル・シングルタリー[Daryle Singletary]、レット・エイキンス[Rhett Akins]、レイ・スコット[Ray Scott]、バディ・ジュエル[Buddy Jewell]等が参加したとのこと。
さてトップ・バッターを務めたのは73年テキサス州出身のトレント・ウィルモン[Trent Willmon]。これまでにメジャーのColumbiaからセルフ・タイトル作[04年第22位/ポップ第150位]、"A Little More Lovin'"[06年第19位/ポップ第70位]、インディのCompadre から"Broken In"[08年第33位]と、3枚のアルバムを発表。シングルも"Beer Man"[04年第30位]、"Dixie Rose Deluxe's Honky-Tonk, Feed Store, Gun Shop, Used Car, Beer, Bait, BBQ, Barber Shop, Laundromat"[04年第36位]、"Home Sweet Holiday Inn"[05年第49位]、"The Good Life"[05年第38位]、"On Again Tonight"[06年第27位/ポップ第124位]、"So Am I"[06年第59位]等、大ヒットには恵まれていないが、印象的なナンバーをチャートに送り込んでいる。05、07、08年と過去3度、本国でのHTPに参加。俳優の経験もある、ナイス・ガイという言葉がぴったりなホンキートンク・シンガーだ。
続いて登場したのは63年ミシシッピ州出身のジェフ・ベイツ[Jeff Bates]。03年、メジャーのRCAからアルバム"Rainbow Man"[03年第14位/ポップ第117位]でデビュー。次いで"Leave The Light On"[06年第12位/ポップ第62位]、インディのBlack River Music Groupから"Jeff Bates"[08年第32位]と、計3枚のアルバムを発表。シングルも"The Love Song"[03年第8位/ポップ第59位]、"Rainbow Man"[03年第47位]、"I Wanna Make You Cry"[04年第23位]、"Long Slow Kisses"[05年第17位/ポップ第105位] 、"Good People"[05年第46位]、"No Shame"[06年第47位]、"One Second Chance"[06年第59位]等をヒットさせた。カントリー界のバリー・ホワイト[Barry White]と呼ばれるほど、色気のある低音(大柄な体格も?)が魅力的。
トリを務めたのは73年テネシー州出身のマーク・ウィルス[Mark Wills]。メジャーのMercuryから、96年にセルフ・タイトル作[第38位]でデビュー。ホンキートンク調の"Jacob's Ladder"[第6位]、バラードの"Places I've Never Been"[97年第5位]等がヒットしたものの、アルバム・セールスが期待外れだったこともあり、第2作"Wish You Were Here"[98年第8位/ポップ第74位]からはポップ路線にシフト。"I Do (Cherish You)"[98年第2位/ポップ第72位]、"Don't Laugh At Me"[98年第2位/ポップ第73位]、表題曲[99年第1位/ポップ第34位]、"She's In Love"[99年第7位/ポップ第60位]といったバラードが次々大ヒット。以後もバラードを中心に、計19曲をチャートに送り込み、うちトップ40が16曲、トップ10が8曲、No.1が2曲という堂々たる成績を残した。アルバムはオリジナルが6枚、コンピレイション(ベスト、ライヴ、再録もの)が6枚。このうちオリジナル第2作がプラティナム、第3作がゴールド・アルバムに輝いた。また、自身のヒット曲がポップ・アーティストにカヴァー["I Do (Cherish You)"、98°で99年ポップ第13位]された後、自身がポップ・ヒットをカヴァー["Back At One"、Brian McKnightで99年ポップ第2位/ Wills盤は00年第2位、ポップ第36位]し、それぞれがヒットしたという珍しいチャート記録を持つ。ライヴではバラードばかりでは盛り上がらない、と思ったのか、中盤にアラバマのヒット曲をメドレーで歌い、喝采を浴びていた。ただ数多くの大ヒットを放ったスターだけに、個人的にはやはり彼自身のヒット曲をもっと聞きたかったところだが…残念。それでもラストは、00年代デケイド(10年間)・チャートで第2位にランクされたノスタルジックなカントリー・ロック・ナンバー"19 Somethin'"[02年第1位/ポップ第23位]で締めてくれた。あごひげをたくわえ、ますますワイルドな風貌になって来たが、元々ルックスは良いのだから、"I Do (Cherish You)"の頃のような「ヒゲなし、セミロング・ヘア」の方がいいと思うんだけどなあ。
最後は3人揃って、イーグルス[Eagles]の"Take It Easy"、オールマン・ブラザーズ・バンド[Allman Brothers Band]の"Ramblin' Man"、オークリッジ・ボーイズ[Oak Ridge Boys]の"Bobbie Sue"(「バ・バー、バ・バー」の掛け声はもちろんジェフ!)等をメドレーで歌うという実に楽しい一幕もあった。しかしこのうち"Bobbie Sue"だけをカットしてしまうなんて、TV編集者のセンスの無さといったら…。
20年という一区切りをつけて、新たな展開を見せたカントリーゴールド。当然主催者も関係者もファンも皆20の年齢を重ねた訳で、今までのカントリーゴールドを支えた人だけで先細りして行かないよう、様々な試みが行われている。そのこと自体は評価されるべきだと思うが、その一方で、来日アーティストが減ったことの客足への影響が懸念される。主催者にとっては、来日アーティストを減らすことは有効的な経費削減策なのだろうが、観客、特に遠方から訪れる者にとっては、参加意欲を左右されかねない重大事項だ。入場料だけで考えれば「この料金でこれだけのアーティストを見られるなんて」と思うかもしれないが、例えば関東近郊からなら、交通費・宿泊費・食費等すべて込みで6万円はかかる。それだけのお金を払ってでも行きたい、という気持ちにさせられるかどうかは、やはり出演者次第だ。現実に、毎年のように参加していた友人・知人で、今回は参加を見合わせた、という人が僕にもいる。理由を聞くとやはり「来日組が減ったのがね…」「せめて(来日組が)あと一組でもいればなあ…」といった回答。この辺は、今後の大きな課題として残って行くだろう。
いずれにせよ、カントリーゴールドが少しでも長く続けられるよう、これからもできる限りの支援を続けて行きたいと思う。
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