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ライアン・ホラデイ[Ryan Holladay]
__10代前半のブルーグラス・アーティストが来日というニュースを聞いて驚きました。いつプロになる決意をしたのですか。
「祖父の家に行ってブルーグラスのCDを聞き、素晴らしいと思ったのがきっかけです。4歳頃のことでした」
__恐らくご両親の影響が大きかったのでは。
「両親と祖父母の影響ですね。父はギター・プレイヤーで、演奏を教えてくれました。母はピアノを弾き、歌も歌っていました。祖父はバンジョーを演奏していました」
__あなたの年齢なら他の音楽や、音楽以外のことにも興味があるでしょう。
「カントリーやクラシック・ロックも好きです。音楽以外ではスポーツ、ビデオ・ゲーム…。普通の少年と同じですよ」
__どんなアーティストがお好きですか。
「クラシック・ロックならLynyrd Skynyrd, Eagles, Journey, カントリーならToby Keith, Alan Jackson」
__アルバムは様々な音楽が融合していますね。
(母)「そうですね。ストレートなブルーグラスはもちろんロックのカヴァー、カントリー・ロック、サザン・ロック、インストゥルメンタルはケルティック…。音楽に幅を持たせたつもりです」
__“New Kid In Town”はマーク(父)のフェイヴァリットなのでは?
(父)「あの曲がヒットしていた頃、よく聞いていたよ。とても好きな曲さ」
__将来カントリー・アルバムを出す予定はありますか。
「僕はブルーグラス・アーティスト。ブルーグラスとカントリーをブレンドさせたアルバムは作るかもしれないけど、あくまでブルーグラス中心に活動するつもりです」
__Chris Thile (Nickel Creek)がフェイヴァリット・アーティストとお聞きしましたが。
「彼のマンドリンに強く影響されています。恐らく最も強く影響されているでしょう。とてもナイス・ガイですよ」
__共演したいアーティストを教えてください。
「Alan Jacksonはじめ、先に挙げたアーティストすべて。あとは、Dolly Parton」
__年齢的に、変声期が近づいていますね。
「もうそろそろ始まっているんですよ」
__日本の印象はいかがですか。
「評判通り、とても美しい国ですね。オーストラリアもそうですが、日本にも前から行きたかったので、夢がかなって嬉しいです」
ジョーエル・ソニエ[Jo-El Sonnier]
__影響を受けたアーティストは。
「2歳からやっているので、多過ぎてね。まずLawrence Walker、彼はケイジャンにテキサス・スウィングを取り入れた功労者だ。それにアルディス・オージェイ、僕の友人だが、彼のラファエル・プレイボーイズで僕はドラムスをやっていたんだ。他にはネイティ・ナプシャー。僕は5歳からアコーディオンを始め、学校にも持参した。11歳でJohnny Cashの紹介で、TJブルーからレコードを出したんだ」
__将来カントリー・アルバムを作るつもりでしたか。
「カントリーをやるかどうかはともかく、英語の作品は出すつもりだった。フランス語だけでは世界的にアピールできないしね」
__74年にMercuryからカントリー市場に打って出ましたが、この時は不成功に終わりました。
「確かにあの時はがっかりしたけど、タイミングやマーケティングの問題もある。当時Johnny RodriguezやFreddy Fenderといったヒスパニック系のアーティストが受け入れられていたので、僕もその一連と見なされたようだ。でも僕はヒスパニックじゃないし、中途半端な立場にあったんだ。カントリーの流れも正調からロッキン・カントリーへと移りつつあったし。でも13年後にRCAから復活できた。諦めずにやれば、報われるんだ。John Schneiderが10年後[84年]に“I’ve Been Around Enough To Know”[75年第78位/Sonnierの初ヒット]をカヴァーして、No.1にした。彼と話した時、彼は僕のヴァージョンを好きだったと言ってたよ。マネジメントや宣伝、成功へのキーはいろいろとあるけど、僕は僕の仕事をやるだけさ」
__アルバム“Come On Joe”[88年第17位]はとてもヴァーサタイルな作品でしたね。Randy Newman(“Louisiana 1927”)やRichard Thompson(“Tear-Stained Letter”[88年第9位])のカヴァーもありました。
「そう、それも成功の要因の一つだね。良いライターの良い曲を探していた。ほとんどの曲はRCAとの契約前に見つけた。そしてロサンジェルスでオール・スター・キャスト・バンドで録音したんだ。それを“The L.A. Sessions”と呼んでいたんだけど、それがRCAとの契約につながり、また違うプレイヤーと違うやり方で再録音した。フレッシュな再スタートだったよ。Alabama, Charlie Daniels, Lee Greenwoodらの前座でツアーした。日本でも当時のことを覚えてくれている人がいて、本当に嬉しいよ。もちろん今日もそのアルバムから何曲か演奏する。ファンには感謝しているよ、僕の曲をリクエストしてくれて。ただ僕の最高傑作はまだ作られていないと思っている。だからこれからも前進し、常に新しい音楽を作って行くつもりだ。でもそれはあくまでJo-El Sonnierとしての音楽さ。ケイジャンに生まれ、ケイジャンに死ぬ。伝統を守ること、それが僕の誇りなんだ」
ストーンウォール・ジャクソン[Stonewall Jackson]
__あなたには長いキャリアとたくさんのヒット曲がありますね。
「56年にキャリアをスタートさせた。NashvilleでGrand Ole Opryのオーディションを受け、それがColumbia__今のSony BMGとの契約につながり、18年間録音した。最後の大ヒットは“Me And You And A Dog Named Boo”だが、その後もMGM, Capitolで録音を続けた。南部の農場からテネシーへ進出して以来、世界中を旅したが、日本には来たことがなかった。素晴らしい国であり、人々だね」
__影響を受けたアーティストは誰ですか。
「Hank Williams, Ernest Tubb, Roy Acuff, Lefty Frizzell, そして仲間のGeorge Jones」
__初ヒットとなった“Life To Go”はGeorgeの曲でしたね。
「そうだね。素晴らしい曲だ」
__次いで最大のヒットとなった“Waterloo”が生まれました。
「No.1となり、ポップ・チャートでも大ヒットした。確かR&Bでも第11位まで行ったんじゃないかな。そして世界各地へと旅するチャンスを与えてくれたんだ」
__Columbiaでは当時多くのアーティストがポップ・フィールドにアピールしていましたよね。Marty Robbinsはじめ…。
「そうMarty, Johnny Horton, Johnny Cash…。当時Elvis Presleyが全盛期だったから、Opryにもロカビリー・ファンがたくさん押し寄せた。他にもLefty, Ray Price、5〜6組の若手がOpryに出演した。その後Johnny Hortonは事故死、Martyも心臓病で他界…。幸運にも僕は今でも演れる。73歳、50年間演って来た。神様に感謝したいね。この会場も最高の場所だ」
__当時Don Lawがあなたのプロデューサーでしたね。
「おや、Don Lawをご存じかね。彼とFrank Jonesがプロデュースで良い仕事をしてくれた。自由にやらせてくれたんだ。初めに2曲を持参した。自作曲とGeorge Jones作の“Life To Go”をね。その後も自分で曲を選ばせ、好きな曲を演らせてくれた」
__最近のカントリーについてどう思いますか。
「ちょっと行き過ぎているところもあるね。もう少しシンプルに戻るべきだと思う。でもあまりそのことばかり指摘したくはない、他人を傷つけることになるから。彼らは彼らの仕事をやり、僕は僕の仕事をやるだけだ、自分のやり方でね。人々が僕の音楽を気に入ってくれて感謝しているよ。5,000万枚ものレコードを買ってくれたんだからね。今ではオンラインで1曲ごとにダウンロード購入したりできるし、ドイツのBear FamilyからはCDボックス・セットも出ている。よくマーケティングされてるね、いいことだ。Opryでも若いスタッフが入って、ちょっとルーツを外れることがあるけど、慣れて来ると良くなる。若い人々にも伝統的なカントリーを広めてほしいものだね」
トリック・ポニー[Trick Pony]
__影響を受けたカントリー・アーティストは誰ですか。
(Ira)「Jerry Reed, Merle Haggard, Johnny Cash, Waylon Jennings, Chet Atkins。アウトロー・カントリーだね」
(Heidi)「ロックン・ロールやジャズ、ブルーズにも影響されたけど、カントリーではLoretta Lynn, Johnny Cash, Waylon Jennings, Dolly Parton, Emmylou Harris, 近年ならMontgomery Gentry, Keith Urban, そうReba McEntireも忘れちゃいけないわね。メインはトラディショナル・カントリーよ」
(Keith)「Waylon Jennings, Elvis Presley、これが2ビッグだね。近年ではJeff Bates」
__最近のカントリーがポップ化していることをどう思いますか。
(Heidi)「これは私達にも責任があるわね。良い点としては裾野を広げ、より多くの聴衆に訴えかけられること。かつてロックン・ロールを聞いて育った人が今カントリーを聞いている、それは今のカントリーにサザン・ロックやロックン・ロールの影響が濃く出ているから。例えばRascal Flatts, Sara Evans等はポップ・サウンドを上手く取り入れて成功している。私達はロカビリー、Johnny Cashの影響が強いわね。Brian Setzerなんかは“Old-Time Country meets Aerosmith”って感じだけど。そんな様々な音楽が融合されたのが今のカントリー。Ray CharlesやWillie Nelson, Johnny Cashを聞けばわかるし、また彼らも口を揃えて「音楽に境界はない」って言う。私個人としては伝統的なカントリーが好きだけれど、より多くの人に対してカントリーがヒップでクールだとアピールするには、有効だと思うわ」
__あなたたちの初ヒット“Pour Me”を聞いた時、Highway 101を思い出しました。
(Heidi)「ありがとう」
(Ira)「共通点が多いよね。僕ら3人とも彼らが好きだし、Paulette Carsonは素晴らしいヴォーカリストだ。彼らの曲がラジオでかかると、すぐにHighway 101だとわかるよね。僕らも、Heidiの声を聞けばすぐにTrick Ponyだとわかってもらえる。だからそれはすごい褒め言葉だね、ありがとう」
__今年(2005年)発表した3作目“R.I.D.E.”からCurbに移籍しました。
(Heidi)「長い道のりと複雑な経緯があったのよ(笑)。“R.I.D.E.”は“Rebellious Individuals Delivering Entertainment”の省略なんだけど、2作目まで在籍していたWarner Bros.に私達を連れて来てくれた人たちが皆辞めてしまったの。新しいスタッフには私達に対する熱意をさほど感じられず、これまでのキャリアが蔑ろにされそうだった。だから録音中の第3作の権利をWarner Bros.から買い取った。つらい経験だったし、ストレスも溜まったけど、代わりに大きな収穫を得られたわ。じっくりと時間もかけられたし。もう二度と経験したくはないけど(笑)。今のレコード会社は皆私達を信じ、支持してくれている」
__第1弾シングル“The Bride”のビデオにはJohn SchneiderとKissのGene Simmonsがゲスト出演していますね。
(Heidi)「ホント、びっくりよね」
(Ira)「Geneはいい友人なんだ。牧師役を依頼し、1ヶ月近くやり取りをしてようやくOKをもらえた。Las Vegasで16時間かけて撮影したんだ。John Schneiderもそうだけど、本当に素晴らしい、そして愉快な人たちだ」
(Heidi)「(John SchneiderはTVドラマの)“The Dukes Of Hazzard”[79〜85年/邦題:爆発!デューク]よね。多くのファンがいる、格のある俳優であり、シンガーね」
__第2弾シングル“It’s A Heartache”はかつてBonnie Tyler[78年第10位/ポップ第3位/イージー・リスニング第10位/邦題:愛は哀しくて]やJuice Newton[78年ポップ第86位]がヒットさせた名曲ですね。
(Keith)「好きだった曲さ。最初にヒットしてからもうだいぶ経っていたし、カヴァーするのに良いと思った。Heidiの声にぴったりだと思ったんだ」
(Heidi)「バンド・ソングでもあるわ。ソロよりもバンドに適している。ハーモニーも生きてるしね。Keithのグッド・アイディアよ」
(Keith)「僕はアイディア・マンなんだ」
(Heidi)「良くないアイディアの方が多いけど(笑)、あれは良かったわ」
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