NANAMI:
杏沙子さんが歌を始めたキッカケを教えてください。
杏沙子:
歌を始めたキッカケ。あの、さっきね、鳥取県出身ってお話ししたんですけど、鳥取ってどこに行くにも車で移動で、もうすごい田舎なんで。で、車の中であの母が松田聖子さんが大好きで、いつもかけてくれてたんですけど、そこでこの人は一体いくつ声を持ってるんだろうっていう、曲ごとに全然声が違う本当に大好きなシンガーさんなんですけど。松田聖子さんに憧れたのがキッカケでした。
NANAMI:
メジャーデビューしてみて何かプレッシャー感じた事とか、なんかスランプとかってありましたか。
杏沙子:
真面目なんで、プレッシャーしかなくて。こうやって声掛けていただいて、皆で頑張ろうってなって、じゃあ自分はそれだけ沢山の人に聞いてもらえる曲が書けるんだろうかって急に思い始めて。それで自分が書きたい曲じゃなくて、他の聞いてくださる方が求める曲を書かなくちゃって一時期思って、全然曲が書けなくなっちゃった時期がありました。でも、なんかふと地元の鳥取に帰った時にそうやって沢山の人に聞いてもらわなくちゃっていう気持ちを全部忘れて、歌が大好きだった時の自分を思い出して、その気持ちを書こうと思って書いてから、自分の曲を書けばいいんだっていう風に思い出して、そこからなんでしょうね吹っ切れたというか、うん。
清水:
それからは自分の曲を自然に出していけるようになってきたんですね。
杏沙子:
そうですね。なんか自分だけの曲をその鳥取の歌っていう曲を、あの鳥取に帰った時に書いたんですけど、自分だけの為に書いた曲を誰が聞いてくれるんだろうって最初思ってたんですけど、意外とこれで何だろう自分の故郷を思い出しましたとか、初心に帰れましたみたいな感想をいただいて。自分のことを歌えれば歌うほど、なんかすごく誰かに強く残るものになるのかもって思うようになって、敢えて自分の気持ちを書くようになっていったかもしれない。
清水:
状況は違えど、共感するものが皆さん似てるものだったりっていうのはあるんでしょうね。今後の目標はありますか、お仕事でもプライベートでも。
杏沙子:
そうですね、何だろうな。そのメジャーデビューした時にもっと沢山の人に聞いてもらわなきゃみたいなもので焦ってたんですけど、その勿論、沢山の人に聞いてもらいたい気持ちは変わらなくとも、なんかこう自分をその曲でもっと掘り下げて、新しい自分を知っていきたいみたいなところに今夢中になってて。めちゃくちゃ真面目な所をなんかもっとダサくありたいなというか、ダサくなっていったら自分にとっての、格好を付けなくなったら、もっとなんかそういう良い曲が書けるんじゃないかなというか。深い曲が書けるんじゃないかなって思っているので。ダサくなりたいっていう、自分にとって。ダサい自分みたいなのを許せるようになりたいなと思います。
清水:
格好付けたいではないですけど、よく見られたいとか、可愛く見られたいとか、強く見られたいとか、人間だからありますよね。
杏沙子:
まあ多少全然ね、あることは間違ってないし、あの必要だと思うんですけど。そこをなんかいつでも自分で何かこう脱げるようになりたいっていうか。そういう人すごいなと思うし、そういう人すごい魅力的だなと思うので。そうなりたいなって思います。
編集後記
Youtubeで850万回再生突破した「アップルティー」の制作では、広がってほしいより楽しく作りたいという気持ちが先行していたと話す杏沙子さん。自分が聞いたこと、感じたことを素直な気持ちで書くからこそ、人に強く残る曲を書き続けられるのだと理解しました。自身のスランプを客観視して導いた「自分の曲をかけば良い」という答え。そして、自分自身がダサくなること(格好を付けないこと)で更に深い曲が書いていけるのではないかという探求心こそが杏沙子さんの強さなのではないかと感じました。
杏沙子
松本隆に影響を受けた表現力豊かな詞世界を、超絶キャッチーなメロディーに乗せて織りなす、自作楽曲は高く評価されている。群を抜いたポップセンスと、衒(てら)いのないチャーミングな歌声を併せ持つ鳥取県出身の次世代シンガー。2016年、初のオリジナル曲「道」を発表し、本格的に音楽活動をスタート。YouTubeに公開した「アップルティー」は女子中高生を中心に注目を浴び、後にJTBのCMソングにも起用され、今では850万再生を超える。翌年のワンマンライブ「あさこらんど」では即日完売という快挙を収めた。2018年7月、1stミニアルバム『花火の魔法』でメジャーデビューし、現在も精力的な活動を見せる。2022年3月にはミニアルバム「LIFE SHOES」をリリース。