今回のゲスト:

吉田栄作

清水:
芸能界を目指されたきっかけが、夜景というのはどういうことでしょうか?
吉田:
僕の出身地から小田急線が通ってまして、一本で新宿に来れるんですね。僕は高校ずっとバスケットボール部だったんですけれども、高校2年生の部活が休みの日に新宿に遊びに来て、今もあるんですけど新宿センタービルっていうビルの50何階に喫茶店があったんですよ。そこの窓際から下の景色を見て、ですかね。 人がすごく小さいじゃないですか。スクランブル交差点を交差する人たちを見て、その人たちにもそれぞれの人生があって、家庭があって仕事があって、と。自分もあそこに行けば、小さい人間のうちの一粒なんだなあと思った時に、誰もが死ぬわけですから、その時に記録が残るような仕事がしたいなあって思ってたんですよ。なぜかそれが僕の場合、芸能界と直結したんですよね。
NANAMI:
こんなロマンチックな夢の持ち方ありますか?すごくないですか?
清水:
人生の考えがそこで変わった。
吉田:
それで高校2年生の時にそのまま俳優養成所に入ったり、友達で初めてバンドを組んだり、というのが始まりなんで。もうそれが35、6年前になっちゃうんですかね。
NANAMI:
俳優をやる上での、自分の中のこだわりとかってありますか。
吉田:
そうですね。まずやっぱり仕事があるっていうことが、何だろう、奇跡のような仕事だと思うんですよ。16の時に今の自分が想像できたかっつったら、まず出来てないわけですよね、その5年後の自分を想像できてない。21の時に26のことを想像できないし、だからそう考えるとそういう感じでなんか30年以上、だからその16からするともう35年ぐらいもう時間が経っていて、その時の志で何かここまで来れちゃったっていうことは結果的には感謝ってことになるんですけど。まあ信じられないですよね、自分が一番。でも何をやってきたのかっていうと、その仕事をいただいたことを感謝で返すには、こいつでよかったなって思われるように頑張るしかないですよね。よく役作りとかって言われるんですけど役作りって何なんだろうってすごい僕も、何か難しくて、ただやっぱりいろんな角度から自分がやるべき役を調べたり、例えばその役に職業があるならその職業体験してみたり、何かそういうことが芝居とは直接関係なくても、ボクシングでボディブローじゃないですけど、だんだんこう聞いてくるっていうかね、何かそういう仕事の仕方をさせていただいてたら、なんとなくこれだけの時間がたっているっていう感じでしょうかね。
NANAMI:
元野球選手の役を演じるときには、お尻の形まで役に合わせて調整していたという...
吉田:
お尻の形はあれですよ、スライディングパンツみたいのあるじゃないすか、野球選手が本当履くね。僕はバスケ部なので、どっちかっていうとお尻がシュッとしてるんですよ。でも、野球部は高校生ぐらいからプリッとしてるでしょ、あれはもう野球部ならではなんですよね。特に僕プロ野球選手の役を演じるの初めてだったんで、もうプロ野球選手となれば、もうブリッとしてるわけですよ。筋トレじゃできないので、下にスライディングパンツ履いて、さらにパットを入れて、そのシルエット出して、衣装合わせをやらせてもらいました。それを用意した上で、衣装合わせをやらせてくださいと。
NANAMI:
なるほど。
清水:
スタジオに入る前、金具屋さんと打ち合わせをしていたんですけど、鞄とかでも「金具・革・糸・ミシン」とか細かい要素で構成されてるので、全部こだわり抜くと出てくるオーラってあるよね、みたいな話をしてたんですよ。細かい所を全部考えていくと、さっき仰っていたことも一緒なんだなと思いました。

編集後記

想いを現実にする力・行動力には吉田栄作さんの人間的な強さが現れていました。16歳で決心し俳優となり、数々の現場に立ち、「自分」を見つめなおす為に渡米をした吉田栄作さん。その『経験からくる感性 / 内に秘められた感情』のこもった、深みのある発言力には感服しました。
細部まで拘り、感覚的に俳優の高みへと近づく。そして実現する吉田栄作さんが輝く理由が分かりました。

吉田栄作

1988年「ガラスの中の少女」でスクリーンデビュー。その後、数々のドラマ出演で一世を風靡した。音楽活動でもNHK紅白歌合戦に出場し、第36回日本レコード大賞優秀賞受賞など活躍。2019年には歌手デビュー30周年を記念したアルバム『We Only Live Once』をリリース。