日本人と靴の出会いは江戸時代。文久元年(1861)と考えられています。
当時幕府が出したお触れ書きに次のようにあります。
「皮履」(靴)の儀も、御軍艦方等、船中に限り、相当候は不苦、百姓町人共儀も、職業柄商売体により、筒袖(洋服)着用、雪中
皮履相用候儀左来の品は不苦といえども、外国の製に粉敷相用候儀は不相成候(「明治事物起原)
簡単に要約すると、西洋式の色々なものは、幕府に都合のいいものは受け入れたものの、洋服や靴に関しては、外国製品と紛らわしいものということで日本人には合わないとして禁令を出した。
当時の報道写真家ともいうべき浮世絵の絵師たちも禁令の中靴の絵をなるべく靴とわからぬように描いていたが、まさに靴である。
「商人七福神」 豊原国周筆