Rakuten新春カンファレンス2020

「Walk Together」をテーマに、同じ悩みや目標を持つ楽天市場出店者同士の出会いを通じて、店舗運営に役立つ学びを得る「楽天新春カンファレンス2020」。企業や組織では、常に「改革」の必要性が叫ばれ、その度に新しいコンセプトや手法論がもてはやされては消えていっています。この現象について埼玉大学経済経営系大学院准教授である宇田川元一(うだがわ・もとかず)氏は、問題の本質を見誤っていることに原因があると説きます。「対話」や「ナラティブ・アプローチ」に基づいた経営改革やイノベーション推進、戦略開発を研究する気鋭の学者は、企業社会が陥りがちな「依存症的状態」をどのように捉えているのでしょうか。

宇田川 元一 氏
1977年東京都生まれ。2006年早稲田大学アジア太平洋研究センター助手、2007年長崎大学経済学部講師・准教授、2010年西南学院大学商学部准教授を経て、2016年より現職。専門は、経営戦略論、組織論。ナラティヴ・アプローチに基づいた経営変革、イノベーション推進、戦略開発を中心に研究を行っている。また、様々な企業のアドバイザー、メンターとして、その実践を支援している。2007年度経営学史学会賞(論文部門奨励賞)受賞。『他者と働くーー「わかりあえなさ」から始める組織論』(NewsPicksパブリッシング)著者。

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自分の外の世界とつながるための「対話」。

皆さん、こんにちは。宇田川元一と申します。今日は、「企業経営を変革する鍵は組織の中にある - アウトサイド・インからインサイド・アウトの対話的変革の実践 -」というテーマで、企業組織を運営・変革していくなかで気をつけなくてはいけない点、どのような取り組みをすればうまく組織が変わっていくのかという点について、私が研究している「対話」をベースに、みなさんと一緒に考える時間にしていきたいと思います。

自己紹介をいたします。埼玉大学で経営戦略論を研究しています。組織論や戦略論といった領域の研究者で、現在42歳です。埼玉大学に勤務する前の9年間、長崎大学と福岡の西南学院大学という九州の大学で働いてきました。出身は東京・池袋辺りで、29歳で初めて池袋を出て長崎県に赴任しました。その時の経験が非常に衝撃的でした。誰でもそうだと思いますが、自分が住んでいる環境が世界の常識だと思ってしまいがちですよね。そのため、池袋と長崎の違いに大変驚きました。長崎では夜に出歩く人がほとんどいません。路面電車や路線バスに乗る時に東京のようにはきちっと列に並びません。醤油と味噌が甘くて物足りません。そして人が親切です。池袋辺りで親切にしてくるのは怪しい人であることが多いので(笑)、非常に警戒していたんですね。お店で隣で飲んでいる人が「どこで働いてるの?」と話しかけてきて「長崎大学です」と答えると、「長大ね!先生ね!まぁ飲まんね!」と言ってお酒を注いでくれたりして。「これは後で高いお金を取られるんじゃないのかなぁ...」と思っていると、その人はそのまま帰ってしまって、「あ、これ奢ってくれたんだ」というようなことがありました。

最初は、私自身も新しい環境に行って不愉快だったんですね。それが3ヶ月くらい経ってから、何がきっかけというわけではないですが、「もしかして...」と思ったことがあったんです。最初は、信号が変わってもクルマがすぐに発進しないことにイライラしてクラクションを鳴らしていたんですが、考えてみたら東京のように道も混んでいないので、0.1秒単位を急いで発車する必要がないことがわかりました。バスや電車に乗る時に乗客が並ばないのも、乗り口と降り口が別にあるからなんですよね。乗る時もみんな譲り合いながら乗っていくので、東京のようにきちっと並ぶ必要がないということがわかりました。味噌と醤油が甘いのも、その方が九州の新鮮な魚を引き立つんですね。新鮮で身が引き締まっている魚に、関東風の塩角の立った醤油をかけると味を殺してしまうんです。味噌も、カツオ出汁でなくいりこ出汁で味噌汁を作ると非常に味が引き立ちます。何が言いたいかと言うと「長崎には長崎の、一定の合理性がある」ということです。長崎に来た当時に感じていた不愉快さというのは、「地域ごとの合理性がある」ということを理解していなかったからだと思います。「それぞれの場所には、それぞれに適した合理性があって、自分の常識とは違うことが繰り広げられている」ということがわかったら、生活が楽しくなったんですね。つまり、「溝は埋まらないが、橋をかけることはできる」という感覚です。「自分の生きている世界の外側に別の世界がある」ということを知るということが「対話」であり、今日お話したいことになります。これで話は終わりなので帰ろうと思いますが、そうはいきませんよね(笑)。

「対話」は、「知識」と「実践」の架け橋となる。

先ほど『他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論』という本をご紹介しましたが、この本は「対話」「ナラティヴ」ということをテーマにしていて、すぐに解決するような解決策が書いてあるわけではありません。出版後に受けた取材の中で「なぜ今、この本を書いたんですか?」という質問を受けることが多かったんですが、自分なりに振り返り、その理由を考えてみました。埼玉大学に勤務して4年になるのですが、福岡から東京に戻ってきた時にも衝撃を受けたんですね。まず、「みなさん、非常に勉強している」ということに驚きました。本もたくさん読んでいるし、ワークショップや勉強会も開催されている。売れる本も「お勉強系」の本が多い印象を受けました。「さすがに首都圏のビジネスパーソンは違うなぁ」と思いましたが、数ヶ月すると「何かおかしいぞ...」と思い始めたんですね。

みなさん、非常に勉強されているんですが、それが実践につながっている感じがしないんですね。インプットは多く、SNSでも「こうあるべきだ!」という意見を書いている方は多いんですが、それが実践と結びつかない。この問題は深刻だと思いました。つまり、「正しい知識」と言われることと「実践」の間には、大きな溝があるわけです。他の人と関わっていかなければ、「知識」は「実践」に移行していけないですよね。この問題をしっかりと扱わないと、世の中は何も変わっていかないと思いました。それが、『他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論』という本を書いた、大きな理由の一つです。私は、「対話」というものがその鍵になると考えています。よって、今日の講演テーマも「対話」にしました。

よく投げかけられる質問に、こんなものがあります。「この考え方・方法は素晴らしいですよね。でも、うちの会社じゃできないんですよ。うちは特殊なんで。上司が理解のない人なんです。うちの社員は意識が足りなくて。どうしたらいいですか?」と。これも割と同じようなことで、「どうしたら実践に結び付けられるのか?」という点に、我々は課題を抱えているんだと思います。これは一体どういうことなのか。この後じっくり考えていきたいと思います。

日本の企業社会に蔓延る「○○依存症」の実態。

まずは経営戦略論の視点で、日本の企業社会にどんな課題があるのかを整理しておきたいと思います。財務省の統計によると、日本企業の内部留保(現金の保有額)は、460兆円から470兆円あると言われています。とてつもない金額ですよね。「お金がいっぱいあっていいじゃない」と思いがちですが、経営戦略論的には全く良くないと言えます。どういうことかというと、「プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント(PPM)*1」というフレームワークを使って説明します。縦軸(上下)に「市場成長率」、横軸(左右)に「相対マーケットシェア」を取ります。「相対マーケットシェア」は「競争上の地位」と読み替えても構いません。1970年代にボストン・コンサルティング・グループ(Boston Consulting Group)*2が考案したこのフレームワークで整理すると、「市場成長率」が高い商品・サービスは上に位置し、低い商品・サービスは下に位置します。上に位置する商品・サービスは「市場成長率」が高く、そのため、成長機会を得ようとする企業が参入するため、競争が激しくなりコストがかかります。下に位置する商品・サービスは、競争が激しくないためコストがかかりません。「競争上の地位」を表す横軸では、左側にいるほど「競争上の地位」が高いのでコストがかからない上に、多くの利益が入ってきます。つまり、左下に位置する「金のなる木」と呼ばれる商品・サービスは、「成長率は低いものの、コストがかからず、多くの利益を生み出す事業」ということになります。「うちの会社は30年前のビジネスモデルで食っているんですよ」と仰る方がいらっしゃいますが、それは正にこの「金のなる木」と言えます。

どんな事業でも時間経過とともに成長率は落ちていきますよね。例えば、私が幼い頃はブラウン管テレビが主流でしたが、今はもうありませんよね。それは「市場成長率」が完全にマイナスになって、商品自体が消えてしまったということです。成長率は低いものの、現時点ではまだ儲かっている事業もあり、多くの企業はこうした商品・サービスで稼いでいます。PPMというフレームワークは、「金のなる木」が稼ぎ出したお金を、市場成長率が高いが競争上の地位を築けていない事業である「問題児」に振り向けて次世代の事業を育てましょう、という考え方です。そうすれば、いずれは好循環が生まれるということですね。つまり、「新しいものにきちんと投資をしていきましょう」ということを言っているわけです。ですが、先程申し上げたように、日本企業の内部留保が溜まっているということは、「新しいものに投資をして、リスクをかけて挑む」ということが、なかなかできていないということになります

「では、経営者が新しい戦略を考えればいいのではないか?」と思うかもしれませんが、そんな簡単な話ではありません。経営者の側から見ると「新しいアイデアが組織の中で生き残れない」「新しいアイデアが上がってこないので投資する先がない」という問題があり、新しいものに資源配分ができないという問題を、今の日本企業社会が抱えることになっているわけです。この問題を解決したいので、クレイトン・クリステンセン(Clayton M. Christensen)*3の書いた『イノベーションのジレンマ(The Innovator’s Dilemma)*4』など、いろいろな本を読んで勉強するわけです。でも、それらをいくら勉強したところで、問題の構図は分かっても、組織の中で新しいものを生み出していくことに踏み込めない。なぜなら、真の課題は「新しいアイデアにどういう意味があるのか」ということを、組織の階層間・部門間の壁を超えて作っていく点にあるからです。私は、ビジネスの社会にある種の「依存症」が蔓延(はびこ)っていることが、この背景にあるのではないかと考えています。

依存症というのは一体何なのか。例えばこのような感じです。「知識依存」「コンサル依存」「テック依存」「ワークショップ依存」などなど。ワークショップ好きな方はたくさんいらっしゃいますよね。きれいな言葉で会社の愚痴を言って、ニコニコした写真を撮って帰る、というような(笑)。ワークショップをやること自体が楽しいから、いつまでたっても実践に進まないんですね。そういうのを「ワークショップ温泉」と呼ぶそうです。気持ちが良いから全然出てこないと(笑)。そういうことは、実際によくあることだと思います。ワークショップ以外にも、色々なツールやフレームワークを探し続ける、けれど、それらがどうも上手く行かなかったり、大事なことに手がつけられていないというような違和感を感じ続けている。ある種の依存症のようになった人たちが、さらに「どこかに良い解決策はないだろうか?」と探し続けているんですね。出版するにあたって、私も書店に行ってどんな本があるのか見てみたら、ハウツー本の類がたくさんあるんですよね。「自分が大学生の頃はこんなだったかな?」と思うほどです。これが日本企業社会が置かれている状況だと思います。

経営課題解決にもつながる「依存症からの回復」。

「依存症」というものが一体何なのかということを、薬物依存やアルコール依存などの研究から紐解いてみると、極めて興味深いことが分かります。松本俊彦(まつもと・としひこ)*5先生の言葉によると、「依存症」というのは、「コントロールできない苦痛を、コントロールできる苦痛に変えること」とされています。これはどういうことか? 松本先生はエドワード・カンツィアン(Edward J. Khantzian)*6という方の研究を元に主張しているんですが、カンツィアンは、「依存症」は「孤立した状況で、非常に困難な課題を、一人で何とかしようとする自己治療である」と言っているんですね。例えば、DV(ドメスティック・バイオレンス)を受けている人がアルコール依存になるのは珍しくないことなのだそうですが、DVを受けている人が「辛い...」「何とかしたい...」「でもどうしたらいいかわからない...」と思いながら、一人で何とかしようとするので、アルコールに手を出すことで「自分なりに」その辛さを解決しているわけです。

ですが、そのような自己治療に限界を迎えたアルコール依存や薬物依存の人たちが集まる「ダルク(DARC;Drug Addiction Rehabilitation Center)*7」のようなコミュニティで回復を頑張る方もいます。あるダルクに駆け込んだ人がかけられるのは、「『やめたい』と思っているうちは止められませんよ」という言葉だったそうです。多くの人は「アルコールを止めたいんです」「薬物を止めたいんです」と言ってダルクに来るそうなのでが、その人が抱えている本当の問題は「アルコール」や「薬物」ではないですよね。その背後には生きる上で一人ではどうにもならない「苦しさ」があって、それを自分自身で解決するために依存症になっているんですよね。だから、テーブルの下に隠れている問題をしっかりと見ていくことができれば、依存症からの回復につながるし、テーブルの上の問題だけでは苦しさは残ってしまうということです。そう考えると、この「依存症からの回復」という考え方は、経営課題の解決とかなりつながっているのではないかと思います。

*1 プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント(PPM) | 全社レベルでの戦略策定や意思決定時に用いられるフレームワークで、1970年代にボストン・コンサルティング・グループによって開発された。企業が持つ独立した事業において、「利益の生み出しやすさ」「投資の必要性」などの観点から余剰経営資源を見出し、最適分配を決定するために用いられる。市場成長率と市場シェアの2軸から導かれる4象限を「花形」「問題児」「負け犬」「金のなる木」と名付け、経営資源の最適配分を検討する。

*2 ボストン・コンサルティング・グループ(Boston Consulting Group) | 1963年に設立されたコンサルティングファーム。マッキンゼー・アンド・カンパニーと双璧をなし、「成長曲線」や「プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント(PPM)」といった経営コンセプトの開発も手がけたことでも知られる。

*3 クレイトン・クリステンセン(Clayton M. Christensen) | ハーバード・ビジネス・スクール教授。1997年に発表した自身初の著作『Innovator’s Dilemma(イノベーターのジレンマ)』によって破壊的イノベーション(disruptive innovation)」の理論を構築したことで、企業におけるイノベーションに関する研究の第一人者として認識されるに至った。2000年にはイノベーションに特化した経営コンサルティングファーム「イノサイト」を設立、イノベーションと企業の成長に関する研究を実際の企業経営に還元している。最も影響力のある経営思想家トップ50を隔年で選出する「THINKERS50」にて、2011年および2013年にトップに選ばれた。  Thinkers50  https://thinkers50.com/t50-ranking/

*4 『イノベーターのジレンマ(The Innovator’s Dilemma)』 | ハーバード・ビジネス・スクールの教授であるクレイトン・クリステンセン(Clayton M. Christensen)が著した著書。新興企業の前に巨大企業が競争力を失う理由を説明した理論がまとめられている。巨大企業は既存商品が競争力を持つため、その改良プロセス(持続的イノベーション)が社内で確立している。そのため、規模が小さく映る新興市場への参入が遅れがちとなり、新興企業が持ち込む全く新しい価値(破壊的イノベーション)によって新興市場を支配されてしまうという事象が生じる。

*5 松本俊彦(まつもと・としひこ) | 日本の精神科医、研究者。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。神奈川県立精神医療センターせりがや病院を最初の試行フィールドとした薬物依存症の治療プログラム「SMARPP(Serigaya Methamphetamine Relapse Prevention Program;せりがや覚せい剤依存再発防止プログラム)の開発と普及に関する研究、ならびに自傷行為の臨床研究、心理学的剖検の手法を用いた自殺の実態解明に関する研究を行う。

*6 エドワード・カンツィアン(Edward J. Khantzian) | アルメニア系アメリカ人の精神医学者。ハーバード大学医学部教授。薬物乱用の自己治療仮説の創始者であり、個人は苦痛と苦痛の状態を自己治療しようとして薬物を使用すると主張した。依存症治療研究の第一人者として知られる。主な共著に『Understanding Addiction As Self Medication(邦題;人はなぜ依存症になるのか 自己治療としてのアディクション)』がある。

*7 ダルク(DARC;Drug Addiction Rehabilitation Center) | 薬物依存症からの回復と社会復帰を助けるための支援施設。げんざいは、禁止薬物はもちろん、アルコールやギャンブルといった依存症全般を抱える人のための回復施設となっている。1985年、アルコール依存症で依存症患者の自助組織を運営していた米国人神父 ロイ・アッセンハイマー(Roy C. Assenheimer)と出会った近藤恒夫が、西日暮里に開設した東京ダルクを開設したのが始まり。