Rakuten EXPO 2018

楽天市場出店者やECに関連する多様なビジネスパーソンが一堂に会し、最先端の情報を交換しながら、明日につながる学びを得る「楽天EXPO2018」。売り手と買い手が一緒になって価値を創る共創型マーケティングの最新知見を語ってくれたのは、世界初の「食べもの付き情報誌」である「東北食べる通信」を立ち上げた一般社団法人 日本食べる通信リーグ・代表理事の高橋博之(たかはし・ひろゆき)氏。「3.11」を契機に生まれた全く新しいコンセプトについて、その背景にあった課題意識を語ってくれました。

高橋 博之 氏
1974年、岩手県花巻市生まれ。2006年、岩手県議会議員補欠選挙に無所属で立候補、初当選。翌年の選挙では2期連続のトップ当選。政党や企業、団体の支援を一切受けず、お金をかけない草の根ボランティア選挙で鉄板組織の壁に風穴を開けた。2011年、岩手県知事選に出馬、沿岸部の被災地270キロを徒歩で遊説する前代未聞の選挙戦を展開するも次点で落選し、事業家へ転身。“世なおしは、食なおし。”のコンセプトのもと、2013年に特定非営利活動法人「東北開墾」を立ち上げる。史上初の食べ物つき情報誌『東北食べる通信』編集長に就任し、創刊からわずか4ヶ月で購読会員数1000人超のユニークなオピニオン紙に育て上げる。翌年には、一般社団法人「日本食べるリーグ」を創設し、食べる通信を全国展開。国内37団体が加盟している他、台湾でも3誌が誕生した。
生産者と消費者が結びついた強い一次産業を目指している。

【著書】
・『だから、ぼくは農家をスターにする 「食べる通信」の挑戦』
・『都市と地方をかきまぜる ―「食べる通信」の奇跡』
・『人口減少社会の未来学』(共著)

著書はこちら(楽天ブックス)

世界初「食べものが付録の情報誌」

こんにちは。ただいま、ご紹介いただきました高橋博之と申します。「食べる通信」をご存知の方は、どのくらいいらっしゃいますか? あまり知られていないようですね(笑)。今日お越しの皆さんは店舗運営関係者が多いとお聞きしていますが、第一次産業と関わりのある方は、どのくらいいらっしゃいますか? なるほど。かなり少ないですね。

僕らは、食べものに価値を付けて販売し、お客さんをコミュニティ化し、できるだけ持続できるような状態を目指して活動しています。そのため、第一次産業に関わらない方にとって、どれくらい参考になるかは分かりませんが、1時間、お話させていただきたいと思います。

「食べる通信」というのは、「世界初の食べもの付き情報誌」です。食べものを作っている生産者のストーリーが掲載された情報雑誌がメインコンテンツで、その付録として食べものが付いています。最近の女性誌では、バッグが付録のようなものもありますが、僕らは食べものを付録にしたということです。まずは、こうした取り組みを始めた背景から、お話を始めたいと思います。

1.5%と98.5%の間の断絶

「1.5%:98.5%」。この数字が何を表しているか、お分かりでしょうか? これは「日本における生産者と消費者の比率」です。現在、日本の全人口のうち、食べものを作っている「生産者」は1.5%だけで、食べものを買っている「消費者」の割合が98.5%を占めています。

私は1974年生まれですが、私が生まれる少し前の1970年頃、この国には1,025万人の農業従事者がいたので、日本国民の10人に1人はお百姓さんだったわけです。第二次大戦終結後、農村や漁村の近代化が進み、生産現場に次々と機械が導入され、10人で行っていた仕事を1人でできるようになりました。そこで余った人材が工業分野に配置され、自動車などの工業製品を生産して海外に輸出し、そこで儲かったお金で外国から食べものを買えばいい、という形の国づくりで経済成長を遂げたわけです。従って、生産者人口が減少してきたのは当然の結果ではありますが、それにしても1.5%というのは非常に少ない数字です。

問題は、生産者が人口の1.5%にまで減ったことではなく、「生産者と消費者の間がツルツルになっている」ということだと考えています。ちなみに、知り合いに農家や漁師がいるという方、どれくらいいらっしゃいますか? 結構、多いですね。昔は東京と言えども地方出身者の集合体でしたから、実家の親族や同級生には、米農家の1人くらいは必ずいたものですが、現在は親族はおろか知人や知り合いにも農家さんや漁師さんがいないという人が増えていて、生産者と消費者の間に関わりがなくツルツルになっているというのが、すごく大きな問題だと思っているわけです。

関わりがなければ生産者に関心が持てません。当然、関心が持てなければ自分ごとにできません。食べなければ生きていけない以上、全ての国民が当事者であるにも関わらず、食べものを作っている第一次産業従事者が「儲からないから」という理由で、次々に辞めて減少しているわけです。こうした状況にあるのに、多くの人が他人事のようにしていられるというのは、やはり生産者との関わりがないことが問題なんですね。

食べものをつくることは、自立の前提条件

そしていま、1.5%しかいない生産者が、98.5%の消費者の顔色をうかがって、ビクビクしながら生産活動をしています。先頃、長年スーパーマーケット業界に携わってきた方と対談をする機会があり、その時に言われました。「戦後はひもじい思いをしている人がたくさんいた。だから、スーパーマーケットを作って、できるだけ安く食材を提供してきた。ところが、誰もがお腹いっぱい食べられるようになった時に、正しい方向へ舵を切らなければいけなかったのに、それから先も安売り合戦を繰り返してしまい、結果としてモンスター消費者を生んでしまった。そのことを反省している」と。

この1.5%の生産者が、98.5%の消費者の力を巻き込んで、いかにして元気になっていくか、ということが重要なわけです。僕は、この「ツルツルの関係」を「ゴニョゴニョの関係」に変えていきたいとずっと話しています。それが今日のテーマである「共創マーケティング」になります。「食べる通信」では、生産者だけでなく消費者も一緒になって、生産と消費の間にある壁を取り払い、一体となってマーケティングしていこうという取り組みを行なっています。

現在、生産者の多くが高齢化しており、全国の農村・漁村で、高齢者が自分の年金を注ぎ込んで食べものを作っている、というのが日本の第一次産業の現実です。1970年に1,025万人いた農業従事者数も、2016年には192万人にまで減少しています。遂に200万人を割り込みましたが、さらに問題なのは39歳以下の農業従事者数が12万人しかいないということです。この39歳以下の農業従事者数の離農率が最も高くなっています。ただでさえ少なくなってしまった生産者の中で、39歳以下が最も少なく、この年代が辞める割合が最も高いというのが、一番の問題となっています。

ただ、都市部でこうした話をしても、「食べものの裏側」というのは見えにくく、食べものは有り余るほどあるので、なかなかピンと来ないわけです。都市部の方は「田舎が減っている、田舎が消えていると言うけれど、この国はビクともしないじゃないか」ということを仰られますが、それは勘違いです。田舎がなくなっても日本が成り立っているように見えるのは、田舎の機能を外国に依存しているからです。だから、食べものの多くが中国産になっているわけです。「こどもたちには国産の安全なものを食べさせたい」と消費者は言いますが、10年後に困るのは消費者自身なわけで、消費者がこの問題に当事者意識を持てないというのは、大きな問題だと思っています。

例えば、「シンガポールのように第一次産業はすべて他の国に任せて、日本は生産性の高いものだけ作ればいいのではないか」と話をされる方もいます。地球が1つの国であれば、それでもいいでしょうが、現実は異なります。そうした状況にある以上、自分たちの生きる一番の前提であり根幹である「食べる」ということを他国に任せてしまうと、最終的にはその国の言うことを聞かなくてはいけなくなります。従って、自分の国で食べものを生産することは、自立した国家であるため、我々の社会が自立していくための前提条件だと僕は思っています。

失われた「実感」や「リアリティ」を取り戻したい人たち

ここまで生産者側の課題をお話してきましたが、一方で消費者側がどうなっているのでしょうか。この絵は、石田徹也(いしだ・てつや)*1さんという僕と同い年の画家の「燃料補給のような食事」という作品です。牛丼屋のカウンターで、まるでガソリンを給油されるかのように食事をする都市生活者を表現した風刺画です。この方は、数年前に踏切事故で亡くなってしまいましたが、社会の本質を皮肉を込めて描くことを得意としていました。

今の時代は、食べものの表側だけで裏側が見えません。きれいに加工されてスーパーに並ぶ食材、レストランでお皿にきれいに盛られた食事、こうして皆さんが食べているものは、元を辿れば、すべて動植物の死骸です。それが形を変えて食材になっているわけですが、そのプロセスが隠されているために、「他の生きものの命をいただいて自分の命に変える」という「食べる」ことが持つ本来の意味を見えなくしています。見えないとどうなるか。僕は「工業的食事」と呼んでいますが、クルマのガソリン給油のように「燃料補給のような食事」をする方がすごく増えていると感じています。

オリンピック選手を起用し、「10秒チャージ」と言って10秒でエネルギーを摂取して食事は終了というものや、最近では「完全食」という言葉も出てきています。その人に必要な栄養素を錠剤に詰め込んで水で流し込こめば、食事で節約した時間を有効に使える、という話ですね。もちろん、僕はそうした考え方も否定はしません。僕も多忙なので、時と場合によっては「工業的な食事」に頼ることもあります。しかしながら、1日3食、365日、80年生きるとすると、人は一生のうちで87,600回の食事をすることになります。この人間にとって最も身近な食が、全てこの「工業的な食事」に変わってしまったら、一体どうなるでしょうか。それはロボットと一緒ですよね。

石巻の漁師さんに言われました。「おめぇ、働いて、飯食って、寝てるだけだったら、ロボットと一緒じゃねぇか。人間、無駄なことしてなんぼだべ」と。ちなみに、その漁師さんの「無駄なこと」というのは、お酒と女性とタバコと麻雀でしたが、この漁師さんは「文化」のことを言っていたんです。ロボットはお酒を飲まないし、麻雀もしません。文化的なことは何もしません。食べものを囲んで他者と同じ時を過ごすのは、生きものの中で人間だけだそうです。動物にとって、食べものというのは争いの火種ですから、盗られる前に食べてしまうか、隠します。ところが、人間だけが食べものを囲んで友人や家族と同じ時間を過ごし、近況を報告しあったり、時に喧嘩しながら友情や愛情を育みます。いわば文化的な動物なわけですね。それが、食べることがどんどん工業化してしまったことで、「生きる実感」や「生きるリアリティ」が失われていきました。都市生活者の中に、この「生きる実感」や「生きるリアリティ」を求めている方がたくさんいるのではないか、というのは僕からの一つの問題提起です。

*1 石田徹也(いしだ・てつや) | 1973年 静岡県焼津市生まれ。武蔵野美術大学を卒業後、東京にて精力的に絵画の発表。2005年、将来を嘱望されながら31歳の若さで逝去。10年足らずの短い作家生活のなかで、約200点の作品を描ききった。「飛べなくなった人」「燃料補給のような食事」など、自嘲や社会風刺を含めたシニカルな表現に最大の特徴がある。

3.11を契機に混ざり合った生産者と生活者

かつて日本は貧しかったため、これまでの近代社会というのは、「未来の豊かさ」のために「いま、この瞬間の生(せい)」を手段や犠牲にしていくという面がありました。寝ずに働き、家族と過ごす時間も割いて、健康を蝕みながらも、働けば豊かになり、未来の目的を達成できた時代があったわけです。でも、日本はすでに一度は豊かになりました。豊かになると、「未来の豊かさ」のために「いま、この瞬間の生(せい)」を手段にするという根拠が弱くなります。先ほどの石田徹也さんの絵も、その一つの例です。さらに、「いま、この瞬間の生(せい)」を犠牲にしながら「未来の豊かさ」のためとは言え、昔ほど未来に希望を持つことが難しい状況になっているというなかで、「生きる実感」や「生きるリアリティ」というものからどんどん遠ざかり、メンタルヘルスも大きな問題になっています。この問題は、僕自身も都市生活者として実感していた消費者側の大きな課題だと思っています。

このように、生産者側、消費者側、両方に課題があるという状況で、7年前の2011年に東日本大震災があった時に、普段、同じ国の中にいても全く別の世界を生きているような生産者と消費者が、被災地で混ざり合うことになりました。僕は、岩手県大槌町という漁村にいましたが、2011年5月の連休明けから、多くの都市生活者がボランティアに駆けつけてくれました。多くの人が言っていたのが「生まれて初めて漁師に会った」「生まれて初めて農家に会った」ということでした。「ザ!鉄腕!DASH !! のDASH村*2」という企画を見れば「農家さんというのは、こういう仕事をしているのか」と知識を得ることはできます。青森県大間町で行われているマグロの一本釣りのドキュメンタリー番組を見れば、「漁師さんというのは、こういう仕事をしているのか」と知識を得ることはできます。とはいえ、テレビでは見たことはあったけど、「実際に農家さんや漁師さんといった生産者に会うのは初めて」という人が非常に多かったんですね。

今日の冒頭で、「生産者と消費者の間がツルツルになっている」という話をしました。例えばパレスチナ難民のニュースに触れた時に、戦火の中をこどもたちが逃げ惑っている様子を見たら、やっぱり心を痛めますよね。ところが、ニュースが切り替わった途端、皆さん、他人事になるのではないでしょうか? ニュースで観た難民のために行動しますか? これは責めているのではなく、行動を起こせないのは「パレスチナ難民に知り合いがいないから」だと思うんです。もし、かつて自宅にホームステイしていた子がパレスチナ人だったら、その子のことを思い浮かべて「大丈夫かな?」と心配したり、国際機関に寄付したり、パレスチナの現状を報じるニュースをSNSで友人に拡散したり、自分ができる行動を起こすと思うんです。

98.5%の消費者は、1.5%の生産者に知り合いがいないため、生産者の苦境に目を向けることができないわけです。その消費者たちが被災地にボランティアに行ったら、そこで知り合う被災者の多くが漁師さんや農家さんなどの生産者で、その生産者と友達になっていきました。名前を聞き、電話番号を聞き、Facebookでも友達になり、農業や漁業の生業を復興させることを一緒に手伝いました。初めて乗った船で、「ホタテを育てるというのはこういうことか!」ということを知り、食べものの裏側を垣間見たわけです。こうして「ツルツル」が「ゴニョゴニョ」に変わっていった人たちが、被災地の人たちのことが他人事じゃなくなっていったんですね。

昼間は一緒に汗をかき、夜はお酒を飲みながら語り合えば、この漁師さんにも自分と同じくらいの年頃のこどもがいて、年間収入を聞くと東京で働く人の3分の1くらいで、「このままじゃ、やっぱりやっていけない」という話を聞かされます。すると、「何かがおかしい」と感じるわけです。「自分は東京で毎日のように、農産物や海産物を食べているのに、食べものを作っている人が生活していけないのは何故なんだ? これは誰が悪いんだ? 農林水産省の政策が悪いのか? 農協が悪いのか?」と悩みます。

「誰が悪いのか?」と考えていった時に、その犯人探しをしている指がクルッと自分の方を向いたんですね。「自分は東京でどういう消費生活をしていたか? スーパーマーケットで何を基準に買い物をしていたか? 安ければいいと思って、海外産の食品ばかりを買っていなかったか? 自分にも間接的に全国の農漁村の疲弊を招いてきた責任の一端があるんじゃないか? 共犯者の一人なんじゃないか?」と自問するなかで当事者意識を持っていきました。そうした人たちが「今の自分にできることは何か?」を探していくなかで、例えば、東京に戻った後に「釜石市の○○さんという漁師さんは、こうした自然環境で、こんなにこだわった養殖方法でホタテを育てているんだ」というような話を、会社の同僚や馴染みのレストランのシェフに話すわけです。正に営業マンのようにストーリーを語っていったことで、販路の拡大が起きたわけです。

*2 ザ!鉄腕DASH !! の DASH村 | 1997年より日本テレビ系列で放送されているバラエティ番組「ザ!鉄腕DASH !!」の企画。「日本地図にDASHの文字を載せる」ことを目的に始まった、新たな村落をつくるプロジェクト「DASH村」は番組随一の人気企画となった。福島県双葉郡浪江町に位置し、当初は所在地は公表されていなかったが、2011年3月11日の福島第一原子力発電所事故の影響により、当地が計画的避難地域に指定されたことを受け、番組内にて所在地が公表された。

お互いがお互いを助けられる関係性づくりを

逆に、生産者が東京で開催される催事に来ると、口下手な人が多いため、お客さんとあまり話をできない場合もあるのですが、この生産者のファンになった人たちがボランティアで店頭に立ち、SNSで友人も呼んで、「この農家さんは口下手だけど、こういう有機栽培で作った野菜なので、ぜひ食べてみてください」と語って、これもまた販路の拡大につながっていったという面がありました。やはり、農業や漁業は保守的な世界なので、「作るのは任せろ! ただ、その先は知らん! 売ったこともねぇ!」と言う人が多いのも事実です。ただ、これまでのように大規模流通に乗せるだけでは農業も漁業もジリ貧になるということで、皆さん、自分で付加価値をつけて販売し始めています。

ところが、その人たちには「売る力」が足りない。一方で、生産者のファンになった消費者は、それぞれが仕事を持っているプロです。営業のプロもいれば、マーケティングのプロもいるし、デザインのプロもいる。そうした他領域のプロの目が保守的な第一次産業の生産現場に注がれて、生産者は消費者から様々なアドバイスを受けたわけです。「東京で売るには、こういうラベルにした方がいいですよ」というようなアドバイスを受けて、生産者自身が覚醒し、変化していきました。こうした動きを、ずっと現場で見てきました。

大切なことは、「生産者側だけが一方的に助けられたわけではない」ということです。結局、支援というのは恋愛と同じですから、片思いでは長続きしません。やはり両思いにならないといけません。だから、僕は支援という言葉ではなくて「連帯」という言葉を使っています。相手の弱みを自分の強みで補い合うような関係を、生産者側と消費者側で結んでいくのが大事だと思っています。

では、消費者側は何に救われたのでしょうか。例えば、「オレは○○億円規模のプロジェクトを動かしている」ということに自信を持っている人でも、事業規模が大きすぎてエンドユーザーの顔を見たことがありません。会社でも、隣の部署の人が何をしているのか、それさえもさっぱりわからない。そんな状況で、農業や漁業の生産現場に来てみたら、目の前に困っているおばあちゃんがいる。その人のために自分のスキルやネットワークやノウハウを活かして課題解決をしたら、「いや~、あんたがいてくれたおかげで助かったよ」と手を握られて涙を流して感謝されるわけです。こうして、都市生活では埋められない「生きがい」や「生きるリアリティ」のようなものを、被災地で埋めることができたわけです。

都市部において、精神疾患で休職している人が最も多い業種は、金融とITです。朝起きて、電車の中でスマートフォンを見て仕事をしながら会社に行き、会社では終日パソコンの前で左から右に数字を動かして手数料で稼ぐ。生活苦はない反面、結局のところ「触れるもの」がないんですね。頭だけを使っていて、パソコンのマウスは触っているけれど、「実体」や「リアリティ」、「身体性」が伴いません。人間というのは頭と身体のバランスが重要で、この均衡が破れると、生きものとしての根幹が壊れていきます。

このような「頭と身体のバランスが取れなくなった人たち」が被災地に行ってみたら、そこはもう「身体性」の世界そのものだったわけです。そこで頭と体のバランスを回復して都市部に戻ると仕事の生産性が上がった、という話をされる方も多くいました。このように、お互いがお互いのためになっているという関係を結んでいく姿を見て、僕は「これや!」と思いました。「この関係づくりを、津波に襲われた時だけではなく、日常からやればいいじゃないか!」ということで、「世界初の食べもの付き情報誌」である「東北食べる通信」を始めることにしたのです。