古代のエジプト人は猫をとても大切にしました。きっと神秘的なその魅力で古代の人を虜にして、幾人もの人を手玉にとっていたのでしょう。
猫のそれは良く女性の魅力と一緒にされることがありますよね。
どうしてなのかなあ。きっと体のしなやかさ優雅さからきているんだと思います。
でもこの神秘さが、猫にとって仇となる暗黒の時代が歴史的にもっと後生、やってくるなんて、この時代の猫たちは思いもよらなかったと思います。
古代エジプト人は、飼っている猫が死ぬと眉毛を剃り落として悲しんで、また死んだ猫をミイラにして手厚く葬ったとの事。
猫の遺体はそのころ貴重な油を塗られて、お香をたかれて、ちゃ〜んとしたお棺に納められたようです。そばには、食料に困らないようにネズミのミイラも入れられて、本当に大事にされていたことがわかりますよね。
当時のエジプトでは猫は宝物として扱われて、国外への持ち出しを一切禁止していました。
この法律は厳格に守られ、厳重に取り締まられ、そのおがげで猫達は当初エジプトだけで飼われ、とても幸せな日々を送っていたそうです。
古代エジプト文明とは、日本の縄文時代の頃の出来事で、エジプトで統一王朝が起こってからクレオパトラ7世の死による王朝の崩壊までをいうと古〜い参考書には書いてありますデス。
でもでも紀元前6世紀のエジプト人による王朝の終わりまでとする記述が多いのも事実です。
そうするとクレオパトラはエジプト王朝の女王でなくなるのってかんじですが、ややこしいので次に進みます。
古代エジプトでは多神教だったのでい〜ろんな神様がいたのですよ。
そしてエジプトの宗教では猫には3つの役割があったのです。
3つの役割のうち2つは、オス猫とメス猫が別々に担っていて、オス猫は太陽神ラーの象徴とされ、メス猫は、女神バストの象徴(パシュト神とも呼ばれるこの神は、頭の部分が猫の形をした女神でな〜んか見たことありませんか?)でした。
太陽神ラーの瞳が太陽の位置によって変化することから、同じタテ型に変化する目を持つ猫を神の使いとする考え方が生まれました。
そしてメス猫が担っていたバスト神の崇拝は、ブハスティスという土地が中心地だったのですが、紀元前1000年頃にこのブハスティスが古代エジプト政治の重要な場所と重なったため、ますます猫は神として崇拝され、繁栄したらしいのです。
そして最後に猫の3つ目の役割は、戦いの神シェカメットの象徴がありました。
紀元前500年頃になるとこの猫への崇拝はピークの絶頂!!
結構猫の歴史を語る上でとっても有名なそのころのエジプトに滞在していたギリシアの歴史家ヘロドトスが、数多くの猫を祭ったバスト神の神殿の様子やその壮大な祭典を記述しました。
飼い猫が死ぬと人々がいかに悲しむかについても触れられている貴重な資料となっているのです。
猫を殺したり傷つけたりした外国人は罰を受けたことから、猫が手厚く保護されていた様子がよく分かります。
猫は国外への持ち出しを禁止され、違法に国外へ持ち出されたり、輸出された猫を、買い戻してエジプトへ連れて帰る任務を持つ役人も存在して、定期的に国外に派遣されていた事実もわかっています。
門外不出というやつですかね。ちょっと違うかな?
古代エジプト人の厳しい管理にも関わらず猫は次第に世界へ広がっていくことになります。
ダメだって言われると余計に反発するのが人間のサガなんですかね。どこでもいつでもいるんですね。密輸出や密輸入が…。
海上貿易に長けたカルタゴ(う〜ん聞いたことあるよね!!)のフェニキア人によってエジプトの猫達は密かに世界へと連れ出されちゃうのです。そもそも宗教的に感覚の無い彼らには、積み荷をネズミから守ることだけが目的だったのです。
でもめずらしい動物なのと本来の猫の魅力とで猫自体が高い商品となることに気が付いてしまったのですよ。
そしてエジプトの猫はやがてアラビア、ヨーロッパ、インドへ広まり、中国や日本へ、また南アメリカ大陸まで広がりました。
もちろんその前に各地方に野生の猫がいましたが、人に飼われる猫として広まったのはやはりエジプトが発祥のようです。
古代エジプトでは神聖な生き物として崇められていた猫も一挙に立場逆転で中世ヨーロッパにおいては、極端に迫害される動物となってしまいました。12世紀のヨーロッパでは、キリスト教が大きな力を持ち始めて、他の宗教を排除する動きが活発化します。
ローマの教皇庁から異端として弾圧された宗教やキリスト教の新派のなかに不幸にも猫を崇拝する一派があったために、「魔女の使い」「悪魔の手先」として猫の歴史に不幸をもたらしました。
キリスト教以外の宗教は、すべて悪魔の教えと中世の人は考え、16世紀になると、「魔女狩り」「魔女裁判」が開始され、飼っていた猫も一緒に処刑されたことから、以後1世紀に渡って、イギリスでは猫と一緒に暮らしている独身女性が魔女として殺される不幸が続きました。
悪魔の手先とされていた猫の評価があがったのは、皮肉にも、猫を排除することでネズミが増えて広がった伝染病ペストの大流行でした。
見事復権を果たした猫は、人間に可愛がられて「ペット」という今までの概念になかった暮らし方をするようになります。
一方日本には、猫は蘇我馬子とかがいた6世紀の頃に最初に中国から船で運ばれてきたのじゃないかという説が有力で、主に貴族の間で広まったのはもうちょっと後の7世紀頃の奈良時代です。
もちろんもっと古い時代の遺跡からも猫の骨が見つかっていて、それは多分ヤマネコに近い種だったようです。
猫の広がりは、インド経由で東南アジア各地に広まり、やがて中国から日本へ伝わった仏教と重なる歴史があります。
もっとも古い記録は「宇田天皇御記」で、889年に唐から渡ってきた黒猫を先の帝から譲り受けたという記録が残っています。
その後、平安時代中期996年から1008年にかけて書かれたとされる清少納言の「枕草子」とやや遅れて書かれた紫式部の「源氏物語」にも猫の記述があり、他の書物も含めて、貴族の間で猫が可愛がられていたことが分かっています。
でも鎌倉時代になると日本の猫は妖怪扱いに変わってくるのです。
吉田兼好の随筆「徒然草」に登場の人食い猫の“猫股”などが有名なところですが、それ以後江戸時代まで結構日本の猫は、つら〜い時代を過ごしてきたのです。
だいたい猫にまつわる、言葉やことわざなどはマイナスのイメージのものが多くて、なんでこんなに嫌われていたのだろうと考えてしまいます。
室町時代に編纂された「御伽草子」にそのころの都であった京の町へ猫を解き放てという高札が立てられたらしいです。
これが後年江戸時代になって将軍綱吉の「生類憐れみの令」という1687年の世界でも有数な珍しい、ペットの法律の先駆けとなっているのです。エジプト人もびっくりです。
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