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お酢の歴史

世界のお酢編

お酢の歴史は、人類の歴史と同じぐらい古いと言われています。

「酢」という字のなかの「酉」は”熟成”と言う意味なのだそうですが、「酒」という字のなかにもあります。酢は古代には「苦酒」とも呼ばれ、酒の一種と考えられていたようです。英語のビネガー(vinegar)はフランス語のビネーグル(vinaigre)からきてきますが、これは、vin(ワイン)とaigre(酸っぱい)が合わさってできた言葉です。このことからもわかるように、酢は酒の一種、あるいは酒の熟したものと考えられています。
酒の歴史は人類の歴史と同じくらい古いといわれていますから、酢も非常に古くから あったものと考えられています。いまから1万年も前からあったという説もあり、旧約聖書に登場する「ノアの方舟」に積まれたワインは酢になっていたであろうという人もあるそうです。最も古い酢に関する記録は、紀元前5000年ころのバニロニアの記録といわれています。当時バビロニアではデーツ(ナツメヤシ)、干しブドウ、ビールから酢をつくっていたといわれています。

聖書にもお酢が登場しています。

古代ローマ時代には、酸味料としてワインが用いられていたようで、『アピキウスの料理書』なる書物には、しばしば「ブドウ酒」や「酸味ブドウ酒」が登場します。
現代のワインにも酸味がありますが、古代にはもっと酸味の強いものだったようです。当時、保存状態によってはさらに発酵が進んで、きわめて酸味が強いものとなっていたともいわれます。
この「酸味ブドウ酒」は、新約聖書のキリストの十字架での臨終の場面にも登場します。「そこに酸っぱいブドウ酒がいっぱい入れてある器がおいてあったので、人々は、このブドウ酒を含ませた海綿をヒソプの茎に結びつけて,イエスの口もとに差し出した。すると、イエスはそのブドウ酒を受けて、『すべてが終わった』と言われ、首をたれて息をひきとられた」(ヨハネによる福音書)この後、有名なイエスの復活の場面が続くのですが、この臨終の場面はこのほかいろいろな福音書に少し形を変えて述べられており、事実にきわめて近いといわれています。 この「酸っぱいブドウ酒」はキリストが以後に味わった味覚であり、それが復活に結びついているようにも読み取れます。

ギリシャ・ローマ時代もお酢が使われていました。

ギリシャ・ローマ時代には調味を伴う料理が盛んになってきて、現代の西洋料理の原型が形づくられていったようです。
紀元1世紀の人アピキウスが書いたと伝えられる『料理書』によれば、その当時の調理には魚醤・ワイン・酢・香辛料が盛んに使われていました。
これらは魚醤の匂いを和らげるために盛んに使われていた可能性があるといわれています。 また、今日のサラダのように野菜を生で食べることもこの時代から盛んに行われ、学者により推奨されたようです。 西洋で最も古い農業書の一つである『農業について』のなかで、キャベツを大いに食べることを薦めていて、「キャベツは煮ても生でも食べられる。生で食べるときにはそれにちょっと酢をつけて食べる。」「もし宴会で大いに飲もうと思ったらその前に酢で味をつけた生のキャベツを食べたいだけ食べ、さらに宴会の後でも食べるとよい」ともいっています。この時代から、お酢の健康性が知られて活用されていた様子が伺えます。
またこの時代、クレオパトラがアソトニウスと「1回の食事で100万シスタセスの財産を使い切ることができるか」という賭けをして、真珠を酢に溶かして飲んた。という有名な話があるそうで、当時の人々が、酢が真珠や石灰岩を溶かすことを知っていた証拠とされています。酢の化学的作用は他の調味料にはみられないもので、当時からその作用が珍重されていたのと思われます。
これ以外にも、酢の効用がいろいろ試されて、用途が広がっていきました。酢を満たした杯を卓上に置いて、このなかにパンをつけて食べたり、ヒラメの保存、グリーンオリーブの保存・味付けなどの料理や、酢の殺菌作用を活用して、病気の治療などに酢が使われていたようです。

料理に欠かせない調味料として発達していきます。

14世紀以降料理における酢の重要性はますます高くなり、肉料理にも魚料理にも酢はほかの調味料・香辛料とともに必要不可欠なものとなります。
14世紀のフランス料理では、酢漬けのパンにクレンンなどを加えたソースが「さっぱりした緑色のソース」と呼ばれ、食前のサラダ用に使われていたそうです。
時代がもっと進むと、フランス料理はさらに進化していき、ビネガーはなくてはならぬ調味料となりました。さらに各種ソース、マヨネーズ、ドレッシング、トマトケチャップなどの新しい調味料も発達していきますが、それらはすべて酢をベースとするものでした。欧米の複合調味料は酢の派生調味料であるといってもいいほどです。
15世紀後半に始まった大航海時代には、長期の航海の間に新鮮な野菜やくだものが欠乏するために発生する壊血病が船乗りの大敵となりました。そのために「抗壊血病ビネガー」という飲みものが考案され、新鮮なオレンジやレモンが手に入らないときに用いられたそうです。これはホースラディッシュ,ビターオレンジ,ワインビネガーなどを原料とした酸性の飲料だったそうです。 また、アメリカ南北戦争のときにも壊血病の予防に酢が使われ、ビタミン類の損失を最小限に抑えて保存する方法として、酢に漬けることが行われました。
これ以外にも、赤ぎれ、虫さされ、うがい薬、湿布などといった現代でも首肯できるような使われ方が多く出てきます。

日本のお酢編

中国から伝来した日本の酢

世界の多くの酢と同様、日本の酢も酒から造られました。日本の代表的な酒は、米の酒だったため、酢は米から造られたと考えられています。
応神天皇のころ、中国から酒造りと技術と前後して日本に伝来したといわれています。主に和泉の国(いまの大阪府堺市付近)に伝わり、和泉国は江戸時代まで酢の主な生産地であったといわれています。
奈良時代の『伊豆国正税帳』には「酒」とある項に「酢分」という字があり、これから変敗酒を酢として用いていたことが窺えます。このほか奈良時代の古文書には酢に関係のある言葉が出てくるものがいくつかありますし、『万葉集』にも「酢」という言葉が登場する和歌があり、酢が貴族の生活に使われていたことを物語っています。

平安貴族の宴会では酢が使われていました。

古代からの日本人の食生活は、奈良時代に肉食が禁じられたために魚介類(とくに魚)が最高の素材として料理文化が発達していきます。古代の日本の首都は、奈良・京都といった内陸部にあり、生で食べられる魚として、季節に関係なく新鮮な魚である川魚(特に鯉)が貴重なものとされてきたそうです。
現代よりも調味料は発達していなかったそうで、平安時代の貴族の宴会では、煮物のような調味した料理はほとんど無く、客の手元に「四種器」(しすき)と呼ばれる酢、塩、醤、酒の小皿が置かれ、客は干し物や生物をこれにつけて食べていたそうです。しかも、この4種類が揃っていたのは正客と身分の高い貴族の前だけ。それ以外の人々の前には、酢と塩だけが置かれたそうです。貴族の宴会でさえ酢と塩だけが調味料のすべてであり、日本古代の味覚を代表していたと思われます。
醍醐天皇の時代に編纂された『延喜式』には具体的な米酢の製造法が記されています。原料の割合まで記された最古の記録といわれています。

酢は調理にも使われていきます。

時代が室町時代に進むと、それまでの生物、干し物に酢をつけるといった使われ方から、調理にも使われるようになってきます。
生魚を細く切って酢で調味をする現代の鱠(なます)に近いものがつくられるようになり、タデ酢などの合わせ酢にも使われるようになってきます。

華やかな江戸の食文化にも酢が。

江戸時代になると醤油の完成により(現在のような醤油の製法は江戸時代につくられたものです)、酢から醤油へと変わっていきます。
庶民の食文化が発達したこの時代、醤油、味噌とともに酢も庶民の食生活にも普及してきます。それまでのタデ酢、ショウガ酢、カラシ酢、ゴマ酢のほかに、味噌酢、二杯酢、三杯酢など味噌や醤油との「合わせ酢」が工夫され増えていき、お酢が料理に溶け込んでいくようになります。従来からの鱠もさまざまな調味料をつかってバラエティーに富んだものになっていきました。
この時代に完成されたものに「握りすし」があります。江戸時代の初期に、発酵保存のために古来より作られてきた「なれすし」から酢を使うようになり「早すし」といわれました。元禄のころには酢を使うことが一般的になり、その後文政年間に酢飯と生魚を合わせて握る「握りすし」が寿司が生まれます。
このころまで古代より造られていた米酢が一般的でしたが、「握りすし」にはこの地方で生まれた酒粕から造った「粕酢(かすず)」が使われるようになりました。 粕酢は江戸前の寿司に欠かせないものとなり、現代でもその伝統が生きています。

古文書に記された
お酢のつくり方いろいろ

平安時代の酢

醍醐天皇の時代に編纂された『延喜式』は日本最古の酢製造法の記録といわれますが、それには次のように書かれています。酢一石(180L)をつくるためには、米六斗九升(124.2L)、よねのもやし(麹のこと)四斗一升(61.5kg)、水一石二斗(216L)を用いる。六月に仕込み、十日目毎にかもし、これを四度にしてなると米酢のつくりかたが記されています。

壷 酢

『宇津保物語』(平安時代中期の物語)に、十石(1.8KL)入るような瓶(壷)20個で酒をつくっている。酢、醤、漬物も同じ壷でつくっていると記されてあり。
当時の豪族が酢を壷でつくって自給自足していたことを示しています。現代でも鹿児島でこれとよく似た酢造りがあります。

いずみ酢

日本の酢は、中国より主として和泉の国に伝わり、江戸時代まで主な生産地でした。
この醸造法は、江戸時代になって各地に「いずみ酢」として伝わっています。
『本朝食艦』(江戸時代)によれば、その製法が次のように記されています。
※長い文章なので要約しています。約1年かかって酢を造っています。1.秋に収穫したイネをモミのまま甑(こしき)に入れて蒸し、乾燥してから臼でつき、もみがらをふるいで分ける。
2.こうして得られた白米一斗(15kg)をややこわい程度に炊き、仕込みに使う甕の底に、あらかじめ「まじない」として堅炭1本と鉄釘1本を入れておく。
3.温かい飯を甕に入れ,水を加えても浮き上がらないように、よく押さえつけておく。
次に水一斗八升(32.4L)、麹六升(9kg)を加え、厚紙で内蓋をし、さらに木の外蓋をして、柿渋を塗った紙で目貼りをする。
4.温かい日なたに7〜8日間放置する。昼間は外蓋を外して通気し、夕方には再び外蓋をする。雨の日には外蓋をかけたままにしておく。
5.それを繰り返して中身が酸っぱくなってきたら、そのまま翌年の2〜3月ごろまで放置する。
6.春になったら濁りを布袋で濾して、5〜6月ごろまで放置して滓が沈むのを待って、とろ火で1〜2回煮て滓を除き甕に詰める。
7.甕に入れて屋内の涼しい場所に貯蔵する。甕は半分くらい土中に埋めて温度の変化を少なくし、秋の彼岸ごろに酢ができる。

六月酢

同じく江戸時代の『本朝食鑑』には「六月酢」というものが記載されています。
「いずみ酢」をつくるには時間を要するため、醸造期間の短縮させるためと思われ、6月に仕込むのでこの名がつけられ、夏に仕込むので早く酢ができたそうです。夏の土用のうちに玄米1斗を炊いて桶に入れ、麹6升、水2斗5升を加えて仕込み、7日ほど経過したら、すのこを差し込んで酢を汲み出す。滓にさらに粳米(うるち米)2升を粥にして温かいうちに加え、酢になったら上澄みを汲み取って「二番酢」とする。

万年酢

『本朝食鑑』などには「万年酢」というものが記されています。
つくり方は、1.酒と酢と水を等分に混合して甕に入れる。
2.堅炭のおき火を投入して,火が消えたら炭を取り出し、甕のロを密封して温暖な場所に置く。
3.夏の土用中ならば甕のまま外に置き炎天にさらしておく。 30日〜40日で酢ができる。
4.できた酢を盃で一杯汲みとって使った場合には、盃一杯の酒を甕に補給する。
5.毎回このようにすれば、甕のなかの酢の量はいつも変わらず尽きることがない。
それゆえに万年酢といわれたそうで、素人でも容易にできるのですが、酸味は強かったといわれています。

子育てのようにじっくりと

三井酢店

三井酢店は、愛知県知多郡阿久比町にて伝統の醸造法を頑固に守り続け、お料理の基本となるお酢・純米酢や、熟成した酒粕から造る・純粕酢、お酢が苦手な方でも飲みやすい飲む酢・果実酢などを、昔ながらの製法で子育てのように造っている酢造蔵です。

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