2006年、ブランドの立ち上げと同時に海外の展示会に出展し、
高い評価を得ている100%。
その100%の代表 坪井信邦氏のインタビューをお届けします。
(インタビュー前編)

ー(児玉) 100%をはじめたきっかけを教えていただけますか?
(坪井) 100%は僕と弟の坪井家で2005年の9月に会社として始めました。
ー(児玉) 初めは兄弟二人でやり始めたんですね。
(坪井) ですが100%を立ち上げたときは僕はまだアメリカで働いてまして、
日本に戻ってきたのは翌年の11月なんですね。
ー(児玉) アメリカでは今と同じような業種だったんですか?
(坪井) いや今とは全然違うんですけど。。
シリコンバレーのハイテク関係の会社にいまして、 もともとアメリカで就職してみたいという希望があって、
結局5年くらいアメリカで働いてましたね。
なので、100%立ち上げ当時は弟が代表取締役でした。 海外にいる人間は代表にはなれないので。
帰国してから程なくして自分が代表になって、そこから弟と二人で進めていきました。弟は多摩美術大学を出てたんですけど、僕はもともとデザインの業界に居たわけじゃなかったのですが、何か会社を作って経営してみたいという意思は持っていました。
弟が自分でデザインしたプロダクトを世の中に出したいという意思を持っていたことから 家族で資本を出し合ってこの会社をはじめました。
1年くらいは水面下でしたけどね。
ー(児玉) でも立ち上げから一年後のロンドンの100%Design Londonに出展していましたよね?
その時には信邦さんは日本に戻ってきていたんですか?
(坪井) 僕はアメリカから、弟は日本から、それぞれロンドンに飛んでそこで合流して出展しました。
ー(児玉) なんかかっこいいですね(笑)
(坪井) そっちの方が近いんですし、まだ会社勤めしていたので(笑)
ー(児玉) そのときにはいくつか商品(デザイン)はあったんですか?
(坪井) 6つデザインはありましたね。
今思えばあれはまだまだ商品としては遠かった状態でしたね。
試作段階でしたし、なかには金型(※)をこれから製作というものもありました。
(※)工業製品の金属製や樹脂製の部品をプレス加工のような塑性加工や射出成型などにより製造するための型(wikipedia参照)
ー(児玉) それで出たのがすごいですね。
(坪井) 自分も知識がなかったので。。。
もともとはLondonの翌月の100%Design Tokyo の2006年に応募したのですけど、それを考えてたら運営母体であるデザインアソシエイションの人に「9月に大元のロンドンであるけど審査通れば出れるけどどう?」っていわれて。
それで審査が通ったので出ましたね。
ー(児玉) 反応はどうだったんですか?
(坪井) 最初なので比べようがなかったんですが。。。良かったとは思いますよ。
いま商品として出している 「Lamp/Lamp」「SAKURASAKU glass」「Magnet Tack(強力磁石の)」 「Stand Umbrella」、
あとネットではプロトタイプで出している「バンブーライン」という竹形の蛍光灯がありましたね。
ー(児玉) あのバンブーラインは商品として出ないんですか?
(坪井) 僕らは商品として出したいんですけど、まだ出来ないんですよね。
蛍光灯にするには色々障壁がありまして、まだガラス管も量産用の金型を起しているわけでもなく、 あくまで試作用の金型に職人さんが手吹きで吹いたガラス管を合わせて作った物だったんですよ。
ー(児玉) 結構電気系は販売するにあたって、審査とかが多いんですよね?
(坪井) そうそう。CEマークやボルトも違いますしね。そういう事をあまり知らないうちにやっていたんですよね。
ー(児玉) 一番始めに商品として出したものは何だったんですか?
(坪井)  「Lamp/Lamp」「SAKURASAKU glass」「Magnet Tack」ですかね。
弟がすでにデザインを貯めていたのかもしれませんが、これらに関しては100%東京に出した時には 既に金型もあって職人さんに頼めば量産できるっていう状態でした。
パッケージとかWEBサイト等の準備は全くしてなかったですけどね(笑)
僕ら一個一個検品してるんですけど最初は不良品も多くて大変でしたね。
Lamp/Lampに関しては未だに苦労してますね。
ー(児玉) Lamp/Lampは昨年には一回大きな問題もありましたもんね?
(坪井) はい、Lamp/Lampの電球の硝子を吹いてくれている工場が火事で全焼してしまいまして。。。
金型は生きてるんですけど作れる人が居なくなってしまって。 それでまた作れる人を探すところから始めました。
金型をもって「お宅のところで作れますか?」って。
ー(児玉) 半年くらい製造が出来なかったんですよね?
(坪井) 7、8ヶ月はストップしちゃいましたね。
でも今復活してるのが大阪にある赤川硬質ガラス社の方が「やってみよう」って言ってくれて。
実際今の方がガラスに光沢が増してよくなっていると自負してます。