まり椀・奥田志郎|和食器の愉しみ・工芸店ようび|夏は家派!

まり椀の誕生

 ようびで開店以来今年で三十六年。ずっと売上げトップを走ってきましたお椀です。

 以前から作者奥田達朗氏が書き上げましたものをネット上に記載させていただいて、弥生時代の土器をモデルに作ったことはすでにご存知の方も多いと思います。

 懐石料理『辻留』の先代辻嘉一氏が能の面(オモテ)を持っておられ、阪東三津五郎氏が弥生のマリを持っておられて、友人の会話の中で交換することになったと聞いています。そのマリの形に注目し、木器として作らせてみようと思われた辻嘉一氏の慧眼なくして、このまり椀は生まれていなかったのです。

 これを実現してくれると信じて渡された奥田達朗氏は、きっと全身全霊でその意図を受け止め、二年間懸命にこの土器(マリ) と向き合ったのでしょう。出来上がった時、辻嘉一氏は「フフーン、まあまあやな」と大変ご機嫌で夕食をご馳走していただいたと、得意そうにおっしゃっておりました。

 その最初のまり椀は、今も辻留さんにあって活躍しています。

 写しを作る時に大切なのは、そのものの色や形を写すだけでなく、そのものの成立理由やそこから発するメッセージを謙虚に聞き、現代の生活の中にどの様に生かせられるかを考えることなのです。この椀がこれほど長期に渡ってお人に喜んでいただけている理由がそこにあると思うのです。

漆芸家奥田達朗という人物

 奥田氏は自分の母なる国能登の合鹿椀(桃山時代)を出発点に、まり椀(弥生)サハリ椀(中近東)秀衡椀(桃山)根来(室町)明月椀(江戸初期)芹椀(江戸初期)とさまざまな写しに挑戦、研究を重ね、技術的にも輪島の手法をベースに、歴史的、地域的ないろいろな手法を取り込みながら漆の仕事を進めた人です。

 理解してもらえないことに苦しみ、愛してやまない母なる国輪島の方向性の間違いに気付いて苦しみ、経済的にも苦しみ、そんなこんな苦しみの中から輝かしい作品が次々と生まれました。

 そして、一人でも多くの人が本当の(本統の)椀でみそ汁を飲んでほしいと強烈に願った人でもありました。

 日本の気候の中でどれほど漆という素材が快いものであるかを、一部のお人だけではなく多くの方に解っていただきたいと思う気持ちは、ようびも同じでございます。

工芸店ようび 店主 真木

こちらもあわせてどうぞ!

弥生のマリ
辻留・辻嘉一
くるみ入り納豆せんべい
 弥生土器

あわび細切りきも酢あえ・花丸胡瓜
 欧州ガラス皿

川海老旨煮・枝豆塩茹で・ごり南蛮漬
 シュロ団扇
まろやか
  結ぶより早歯にひびく泉哉  芭蕉
 清水を掌(てのひら)で一滴も洩らすまいとすくい汲む形-それを「むすぶ」(結ぶ・掬ぶ)の一語で表現します。円満具足の「むすび」の形は、本能的に人のこころを魅きつける力があり、美しい-と心にひびく形でもあります。
 原始時代は食を得ることが、生活の殆どすべてで、その合間に自分の生活に必要なものを楽しみながら、文字通り手造りしていたようですが、弥生のマリは、はっきりとそのことを教えてくれます。てらいもいやみも感じさせぬ素直な立ち上がりのまろやかな曲線に、赤ちゃんのふくよかな笑顔が思い出されてきます。食器のもとのかたちは、やはり、掌が手本だったのではないでしょうか。
辻留・辻嘉一
『八寸・口取 懐石傳書』婦人画報社
まり椀・奥田志郎