白の足跡|和食器の愉しみ・工芸店ようび|夏は家派!

無名のまま逝った早世の人 - 舛田楞さん。

白の足跡

どこまでも清廉でいてぬくもりのある白い生地気品とやさしさを備えたフォルム。
器としての存在感がありながら、料理をひきたて使い手の心をつかんで放さない純白の器たち。
生みの親である九州・熊本の陶芸家、舛田楞さんが急逝されてから半年余りが経ちます。
これからという時期に唯一無二の手技を後世に引き継ぐことなく旅立っていった舛田さん。
その価値を見出し、大切に育んでこられた工芸店ようびのご主人、真木啓子さんと共に無名のまま逝った早世の人と作品をこころから惜しみその白い足跡をたどります。

 

「あるようでない器です」『工芸店ようび』主人真木啓子さん

 

 「あるようでないものの代表でしょう」。『工芸店ようび』のご主人・真木啓子さんは舛田楞さんの作品をこう定義した。

 真木さんが記した舛田さんの作品の栞にはこうある。「石臼で粉砕した天草陶石のみで、ゆっくり、ていねいに作ってあります。天草陶石は出石陶石と並ぶ日本で一番美しい陶石ですが、大変高価なのと電動粉砕機を用いて粉にすると成形不可能なこともあって作業に手間取ります。従って天草陶石のみで出来たやきものは、殆どないのが現状(他の石粉を混ぜて成形したものはたくさんあります)です」と。

 この天草陶石のみ、高価な天然のいす灰を使い作陶を続けた唯一の作家、舛田楞さんが鬼籍に入られたのは平成13年夏。享年五十。余りにも早すぎる逝去であった。多くの料理人に愛され、これからの活躍が期待されていた矢先のことである。

 真木さんと舛田さんを繋いだのは大阪をベースにデザイナーとして活躍する溝上盛人さん。「出会いは確か15年ぐらい前です。一目で作品を気に入りました。そこで二人して東京をはじめにいろんなところに作品を持ち込んだのですが、まったく相手にされませんでした。最後に訪れたのが真木さんの『ようび』だったんです。ここで断られたら、もう作品作りはやめようかと話し合っていたんです」。その時の様子を真木さんはこうふり返る。「二人とも自信のなさそうな顔付きで店に入ってこられたんですよ。でも私も一目で、これはすごいと思いました。確かに値段も高い。普通の人はこの真っ白な器がどうしてこんなに高価なのだろうとお思いになるでしょう。でも、天草陶石だけの焼物であれば当然なのです」。

 こうして真木さんと舛田さんのコラボレーションが始まるわけだが、「器は用いてこそその美しさが表現される」と考える真木さんの要求は厳しかった。その要求に応え得る能力が舛田さんに備わっていることを、真木さんは出会いの瞬間から見抜いていた。「作家の持っているものが大きければ大きいほど、こちらの注文も多くなっていきます。日に日に素晴らしくなってゆく作家の一人でした。特別な存在と言ってもいいのかもしれません」。

 真木さんをしてここまで語らせる舛田さんの器は何がほかと違うのだろうか。まず、天草陶石が持つ素材の価値である。白磁でありながら微かに青味があり、その品の良さが味わいとなる。続いてその柔らかなフォルム。一見、素っ気ないまでのシンプルな造形だが、白磁にありがちな冷たさは一切なく、むしろなんとも言えない温もりが滲み出している。そして丁寧な仕事ぶり。しかし舛田さんの作家魂の気迫が最も現れているのは材料選びである。「まあ、材料へのこだわりは尋常じゃなかったです。天草陶石の中でもこの断層のこの部分とまで指定するぐらいでしたから」と溝上さん。

 「でも執念とか根性とかいうのは表に出さないタイプでした。真木さんの要望には絶対に反発しないのです。まずあやってみようと考え、ロクロに向かうのです。外見はおっとりしていましたが、内面はガラスのように繊細でかなりの神経質でした。常に極限に挑戦している人と言ってもよいかもしれません。特に器の厚さについてはギリギリどこまで薄くできるかチャレンジしていたようです」。溝上さんの舛田さん評である。芸術家には、目標を与えられることによってその実力を発揮するタイプがいるが、舛田さんはその典型のような人物であったようだ。「優しくて普段はもの静かな人なんですが、例外的に自動車・オートバイの運転は大好きだったようです」とも。作陶が静の作業なら、運転は動の動作である。暮らしの中で静と動をうまくかみ合わせることによって精神のバランスを保っていたのかもしれない。

 真木さんとのコラボレーションによって舛田さんの作品は、数多くの料理人から支持を集め、そのファンを増やしてゆくことになる。関西のみならず全国でも名高い料理人が舛田さん器を使い、そこに料理を盛り付ける。ある人は「料理人の創造力をここまで刺激する器は珍しい」と評し、また舛田さんと親交の深い作家・水上勉さんは「陰影に富んだ味わいは白磁を七色にしてみせる」と一文を寄せた。

 もともと舛田さんは天草陶石の採石会社で、陶石を提供する側だったのだが、自ら作家となり作品を作りはじめたという経歴の持ち主。その作品、色は白磁、フォルムはシンプル。一見、どこにでもありそうな作品ともとれる。だが、「ウソのない仕事」だけが持ち得る、触れたときのなんとも言いようのない気持ちの良さ、いま、私たちは舛田さんの新作に立ち会うことは不可能となった。息子さんが後継者たらんと弟子に入ったが、その技術を受け継ぐには余りに期間が短すぎた。溝上さんは言う。「天草陶石を使い作品を作る職人は育つかもしれません。でも彼の感覚を引き継ぐことは難しい」と。

 最初に「あるようでないものの代表」と記したが、多くの関係者から話を聞くにつれ、その言葉の思いはずんずん増してゆく。しかし、舛田さんの器に惚れ込み、そこに料理を盛ることによって新たな命を吹き込む料理人を通じて、私たちはいまでも舛田さんの作品と出会うことができる。作品を手に取り、その真価を知る人が増えることが、舛田さんを支えてきた人やその遺志を継ごうとする人たちの勇気につながればと思う。

門上武司
あまから手帖
あまから手帖
2002年1月号
たぶん、日本一の店
白の足跡
関西の料理人が愛した陶芸家
舛田楞さんを偲ぶ
撮影/吉田秀司
文/門上武司
盛りつけの参考にどうぞ・・・。
舛田楞さん

シャトルとは、織物を織るときに、経糸(たていと)の間に緯糸(よこいと)を通すのに使われる道具です。実際のシャトルを元に、店主が故舛田楞氏とやりとりをして作り上げたのが「シャトル皿」。「工芸店ようび」の定番となりました。

その後、海老ヶ瀬保さんに引き継いでいただいています。

→白瓷シャトル皿・海老ヶ瀬保

磁石はもう二度と手に入りませんが、形は海老ヶ瀬保さんに受け継いでいただいています。
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