撮影/高橋 榮
文/編集部・門上武司











































食を支える人々よ
【第5回】器屋『工芸店ようび』真木啓子さん

「日常に器を導く」





器を捨てる痛み

 わずか数坪の小さな店内。棚一面に徳利から猪口、汲み出し椀、小皿、飯碗などがびっしり詰まっている。棚だけではない。店内所狭しと器が並んでいる。
 これらはすべて食器である。店名は『ようび』。用の美、つまり用いて美しい器ということ。たとえ高名な作家の作品でも、日常生活で使わなければ、その美しさを発揮することができない。そこに食べ物が盛り込まれて、初めて美しさを確認できるものが集まっているのだ。骨董品は一切置かない。自分のテリトリーではないからだ。小皿一枚に至るまで、主・真木啓子さんの厳しい目をくぐり抜けたものばかりである。相当数の器が並んでいるのに、整然とした印象が強いのは、主の目が常に光っているからだろう。
 「私どもの店というか私は、『辻留』さん(老舗茶懐石『辻留』先代の辻嘉一さんのこと)に育てていただいたようなものなんです」と真木さんは語る。
 真木さんの兄である、故・野田行作さんは東京芸大の学生であった。大学の作品展で野田さんの作品を辻さんが気に入り、それを購入されたところから、関係が始まった。卒業後、作家として一人立ちしたが、デビューしたての漆芸家がそう易々と食べられるほど甘くはない。野田さんは、辻さんや知人の紹介で作品を持って訪ね歩いた。風呂敷包みを提げてである。ものづくりに携わる人にはデリケートな人が比較的多い。客の言葉一つで、歓喜もすれば、極端に意気消沈もする。
 真木さんはそんな兄の姿を近くで見ているうちに「私がお客さんと兄の間に入れば、双方共に気持ちよく行くのではないかと思った」。これがこの世界に入るきっかけである。そこから料理の勉強も始まった。兄同様、辻さんにも可愛がられ、辻さんの名料理本『辻留・伝承料理』では、美術館での撮影に立ち会わせてもらえるようにもなった。「辻さんはお手伝いの時、私が着て行くものに関しても厳しいんです。『ベルトはアカン。紐にせえ』。ベルトの金具が器を傷つけるといけないからです。撮影中、気が散らないよう、白かベージュ、グレーの洋服を着るようにとも言われました。本当にいろんなことを教えてもらいました」。このような経験ができたのは真木さんの才能を見込んで、とも言えるはずだ。育て甲斐があったから、と言ってもよい。
 そして、辻さんが野田さんの作品だけでなく、「器屋をしたら」という一言で『ようび』はスタートした。70年のことである。
 作家も取引先も、すべて辻さんの手引きと言って過言ではない。即ち当初から、最高の客と作家を紹介されたわけだ。だが、その作家や取引先に対応していくことすら険しい道程であった。話に付いてゆくだけで精一杯という時期もあった。自ら良きものと仕入れた器も、一目、辻さんが見ただけで、「しょうもないもん、置いとる。そんなん放ってしまえ」と言われたことも。その言葉に対し、真木さんは「言い訳しても仕方ありません。本当に放ってしまいました。物の良さがまだ見えてなかったんです。捨てるってことは当然、痛みも伴いますが、今、考えてみれば、その方が物を見極めるための近道だったのかもしれません。よほど勉強しないと、辻さんの顔を潰してしまうと思って勉強しました」。真木さんの才能を見込んだ辻さんならではの英才教育であろう。
 国宝級や美術館級の器を見慣れたおかげで、いい加減なものを売ることが許せない。経済的な面を考慮すれば、少しは妥協もすべきだろうが、それを一切排除してきた。お金になる商売からは遠のいてゆくばかりだが、料理人や作家からの信頼は厚くなってきた。それを上手くバランスよくというのができない。それが真木さんの気風である。

料理人の思いを知る

 開店から35年近くの歳月が流れた。師匠に頼っていた時代は過ぎ、今では、真木さんが作家や料理人を導く立場となった。乞われれば器だけでなく、床飾りや生け花まで指導することも多いという。かつて師匠に教わったように頭ごなしに、自らの意見を伝えるのではない。つまり相手を否定するのではなく、「あなたの技術を持って、お客さんに喜んでいただくにはどうしたらいいか考えて」と、むしろ肯定的にアプローチする。
 「料理人さんが、何をしたいかを把握するのが大事です。例えば『カハラ』の森義文さんは、これまでのステーキハウスとは違うことをしたい。でも基本は踏まえた上で、というしっかりとしたテーマをお持ちでした。それならば、お椀にコンソメスープを合わせてみてはとアドバイスできたのです。他にも、有名店の料理人さんには、「前のお店のやり方にこだわっていたのでは師匠を超えることができませんよ」と言葉をかけた。それでピンと来た料理人は、瞬く間に当確を表すようになったのだ。

師匠の笑顔が浮かぶ

 兄妹の関係から始まった器の世界だが、すでに独り立ちしてからの年数の方が長くなった。今では、関西だけでなく全国から『ようび』の真木さんの元に助言を求めて、作家や料理人、経営者が訪れる。その時常に、師匠である辻さんが器に料理を盛り込み、上手くいった時の「さあ、いこ」という、うれしそうな表情を思い出す。訪れた人たちに、このような表情を作ってもらうにはどのような言葉を発するのがいいかを考えている。そういった意味でも、真木さんの精神的支柱はいつまでも辻さんであり、辻さんの美意識がしっかり根づいている。
 真木さんは「センスはあるけれど、技術が伴わない職人はやりにくい」と言う。彼等は時に、ハッとするような作品を作るが、それに溺れて勉強しないことが多いそうだ。「きちんと勉強していかないとお客さんに失礼」と真木さんは実践する。
 こうも話した。「普段にちゃんと生活をしているか。食器を通して日常生活を見ているかが、最も大切なことなんです」と。家庭が全ての基準となる。自宅で一人食事をする時でさえ、器選びに気を使う。どう盛り付けるかに心を砕く。そして使ったのちは即座に洗い、あるべきところに戻す。そういった繰り返しができるか否か。ちゃんと勉強するということも、その延長である。つまり、普段から絶えることのない努力が必要ということなのだ。
 それを続ける真木さんの元に多くの人たちが集まるのは、極く自然なことだ。



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あまから手帖
2005年9月号
「心斎橋 ミナミ大特集」

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