これからお話しするのは、
今年の初め、平安堂4代目が出会ったある一人の作家の話。

彼の名前は “若宮隆志”。
平安堂4代目が、久々に出会ったという、本物の作家でございました。


若宮氏の作り上げる、筆一筋、外箱一つにも妥協を許さない作品たち。
平安堂では、本日から数回に分けて、彼と彼の一つの作品、
そして、“彼の作品に対する想い”などをご紹介させて頂く予定です。

この世に一つしかない。作家・若宮隆志の想いの結晶を
どうぞ、じっくりとお楽しみ頂ければと思います。



 

漆の世界には“作家”が生み出す
漆芸と呼ばれる芸術の世界が
存在しております。

作家を作家と呼べる所以。
それは、その作品に一切の妥協なく、
作り手の想いが凝縮されている品を
作り続けられること。


「古典的な材料と技術と意匠を
研究する事で、現代の生活の中に
本物の漆芸品を蘇らせることを
目的として取り組んでおります。」


これは若宮氏が自身の作品作りに
対する想いを語った言葉。

こう自身が語っているように、彼の
作品作りのための研究は、漆芸に
用いる技法の研究、古典の研究…と
多岐にわたります。

筆一筆に至るまで、その理由が存在
する若宮氏の作品は、まさに
漆芸の本物です。


今回、連載を通して、ご紹介させて頂く作品は、
「棗 森羅万象蒔絵
(なつめ しんらばんしょうまきえ)」

“漆器がとても良いと思うのは、
お椀だったり盃だったり掌に吸い付くような感じ と
唇に触れるときのやさしい感じだと思う”


と語る若宮氏。

その言葉の通り、彼の展覧会に並ぶ作品には、
手に取る事によって感じることができるものばかり。

漆器の中の芸術品、漆芸。
ですが、漆器だからこそ触れて感じてもらいたい…
そんな想いから若宮氏は
「作品に手で触れて、その良さを感じて欲しい」
と折に触れて語ります。

「たなごころ」は手の心、手に取っただけで心で
感じることができるという事は手と心は同じなの
かもしれません。

輪島という土地で育った若宮氏。
自然には理解できない不可思議な事が多く、
それは幼いころより日常的に感じてきた
感覚的なものだと言います。

自然や感覚的なもの現実的に捉えられないものを
掌に包み込む事によって得られる面白さや満足感、
安心感は、この作品にも大きく反映されている
作家・若宮隆志の想いと言えるでしょう。






代表取締役
山田 健太

平安堂の山田です。こんにちは。

誰でも作家を名乗ってしまうことが許される昨今ですので、
若宮氏の作品に出会った時の衝撃は、今でも鮮明に覚えています。

卓越した職人技は、しばしば目にしますが、
そのレベルを超えた、圧倒的な精密さであったり、丁寧な仕事。

また、技術偏向ではなく、明確な意思を持った精神性の高い作品。

言葉で説明することが非常に困難な品ではありますが、
近年稀に見る感動を覚えた作品です。

若宮氏そのものは、まだまだ著名な作家とは
言えないかもしれません。

しかしながら、この作品、彼の作品には、
そのような俗世間の評判とは一線を画すオーラを感じます。

この世に一つしかなく、まさに作家の魂が宿った現代漆芸の極み。

じっくりとご堪能ください。


漆芸作家・若宮隆志(わかみや たかし)
1964年 輪島に生まれる
1984年 塗師屋に就職
1988年 年季明け後、母や先輩より塗りと乾漆・蒔絵技法を習い独学にて勉強中
1998年 漆木の植樹と漆掻き漆の天日黒目を始める
      

古典的な材料と技術と意匠を研究する事で、現代の生活のなかに本物の漆芸品
を蘇らせることを目的として取り組んでおります。


今回は、作家・若宮氏が漆芸を通して伝えていきたい
“掌(たなごころ)”を通して感じる自然のお話を
お送りいたしました。

次回は、「棗 森羅万象蒔絵」の第一の
製作過程である木地、漆作り…を中心に、
古典的な材料と技術と意匠の研究について
お話させて頂く予定です。

蒔絵など作品の詳細に関しましても、
少しずつ、丁寧に、若宮氏の想いを交えながら
ご紹介させて頂きますので、今回は販売は
致しません。

次回以降をお楽しみにお待ち下さいませ。

 



これからお話しするのは、今年の初め、平安堂4代目が出会ったある一人の作家の話。

彼の名前は “若宮隆志”。
平安堂4代目が、久々に出会ったという、本物の作家でございました。


若宮氏の作り上げる、筆一筋、外箱一つにも妥協を許さない作品たち。

この世に一つしかない。作家・若宮隆志の想いの結晶をどうぞ、じっくりとお楽しみ頂ければと思います。

No.1 平安堂4代目が、久々に出会ったという、本物の作家
No.2 いつまでも夢を追いかけて…
No.3 “暗愁の小箱”の闇
No.4 開けばそこに光り輝く“生”を感じる
No.5 “一瞬”というたった一度の出会いのために流れたのは十年という歳月だった…