「眠りの正体」 文:辻 貴史(株式会社ワタセ社長)
 これまで幾度となく「眠り」の正体について思いを巡らしている私なのである。寝つきも寝起きも、共に得意ではない私だから「眠り」とは何だろうと考えてきた。

 そもそも眠る行為は人間に限らず、生き物全般に見ることができる本能的行為だ。犬や猫の睡眠時を観察してみると、私のようにあれこれ考えることなく、スッと眠り、スッと目覚めているように見える。寝つきの悪い犬もいなければ、寝起きの悪い猫もいない。かれらは「眠り」の達人なのだ。

 さて、私たち人間は、大人になればなる程、眠ることが不器用になってしまうようだ。「眠り」について考えれば考えるほど「眠り」は対象化され、私から遠ざかり、そして悩ませるのだ。

 そのような理由で、人間工学の観点から「眠り」のメカニズムを勉強した。人間の一晩のうちの睡眠リズムはレム睡眠とノンレム睡眠の2つの「眠り」が交互に組み合わされて成り立っていることも理解できた。しかしながら科学的な検証だけではどうも私は得心できないのだ。
なぜならば、学習を通して私自身の「眠り」が改善されたとはとても思えないからだ。

 私たち人間が、本能のまま生きている動物とは異なり、言葉を使い、考える能力を身につけ、更には感情も豊かな生き物へと進化を遂げるうちに「眠り」とはぎこちない関係になってしまった。

 例えば、私は仙人のように霞みを食べて生きていたいと思うのだが、残念ながらすぐにお腹がへってしまう。またある時には、崇高な時間を神のように瞑想していたいと思うのだが、集中が続かず欠伸だって出てしまう。 また、ある時には、何事かを一大決心するのだが、いつの間にやら決心したことすら忘れてしまう私なのである。神でもなく動物でもない矛盾をいっぱい抱えた人間は、どうも中途半端な存在であるらしい。

 私たち動物が眠ることは、自然界の摂理だ。しかし人間に感情や思考する能力が備わったが為に、本能としての「眠る」行為までもが感情や思考に左右されるようになってしまった。私は「眠り」の正体を見つけようとして、出口のない「眠り」という迷宮を彷徨っているだけなのかもしれない。

 しかし、私はこの「眠り」に対するあくなき探求をやめようとは思わない。
なぜならば、人間に感情や思考する能力があればこそ、幸福感や快感を満喫できるような人間的な「眠り」に到達できるのだ。私はそんな「眠り」を夢見ている。


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