さて、皆さま。
心の持ち用にて、いろんな捉え方が在るのは承知しておりますが、我々は二つの心を持ちて生きていることをご紹介いたします。
その一つとは…
我々がイメージし、枯れずに湧いて湧いて湧き上がる「雑念私欲」その雑念私欲の在り処が"脳"であります。
また片方、その一つとは…
畏れ多き無為自然の内に在る「神の御心」
その御心の在り処が"肚"であります。
肚を据えるとか、肚を括るとか申します様に、我々日本列島に生まれ、または長らく住むものには、神とともに歩む道がご用意されております。
かんながら(随神)の道と申します。
例え異国の地から来られた神であっても神に違いは御座いません。
どうぞご自身の内に在る神がお住まいになられている肚に向かって、好くお聞きになり、ご自身の行動をお決め下さいm(_ _)m
これは、信仰の話です。宗教の話ではありません!
「宗教する」と言う動詞は御座いませんが、「信仰する」とは申します。わたくし流では御座いますが、信仰とは、他力たる大きな神々の御前に、大神からの指針を頂くために、私たちの内にお住まいになられている個々の神を引き合わせるお役目として、時に黒塗りのハイヤーよろしく、個々の神の乗り物(お車)になり、また時にはその運転手となって、個々の神の修行にお付き合いさせていただいている様なつもりで、ご自身の意のままに身体を操らず、個々の神の乗り物と言うことを忘れず、個々の神のお住まいである身体を清潔に保ち、乱暴に扱わず、高貴な方のお世話役を頂戴していることに感謝し、この世、この身に起こること全てが、個々の神が大神に依って示された修行をお積みになられているのだと理解して行動することだと捉えております。
どうか「肚」を忘れず、"個々の神の乗り物"として、苦しきを堪え、皆で寄り添い、励まし合い、各々が天寿を全うすることに、ひたすら邁進して参りましょう!
ただし、ひとは過ちも犯します。
犯したならば先ず「肚」に謝り、大神の前に「肚」と話したことをお伝えください。
頑張れ!和魂洋才でございますm(_ _)m
MON 21.09.2015 きむちん |