それまで都市国家が並立していたイタリア全土を一つの国家にした、イタリア建国の父‘エマニュエルヴィットリア2世’が、フォンタナフレッダを所有。2番目の妻ローザ夫人との間に出来た子供がワイン造りに積極的に取り組み始めたというとっても由緒正しいワイナリーです。
今回フォンタナフレッダ社のヴィッラに宿泊させていただき、夢のような貴族の館で1夜をすごすことができました。
オルネッラ女史「19世紀の終わり、イタリア最初のセメントタンクが使用されたのがこれです。そしてむこうにある、あの狭い廊下を通って、50Lのモストを背中に労働者が背負ってこのタンクにいれ発酵させたわけです。」 そういって、細いトンネルのような、くだりの廊下を降りていきました。 ここを19世紀の終わりに何人もの労働者が苦労して50Lのモストを背負い行ききしたのかと。。思わず想像してしまいます。おそらく相当な重労働だったにちがいありません。 吉田(私)「本当に日本の酒造りの様子と一緒ですね。日本の酒造りも昔は、米や麹を息せき切って、担いで蔵人が運んでいたんです。今でもそういう様子を小さな蔵に行くと見ることができます。」 ●ステンレスの発酵タンクを見ながら。 オルネッラ女史「現在は、ステンレスの発酵タンクがあり、タンクの周りを周っている管の中を水がながれていて、ワインの発酵が適温で行われるようにコントロールできています。セメントタンクのあった場所は非常に温度が安定していたので、醸造に適した場所ではありますが、今は、このような形で発酵させることができるので安心ですね」 吉田(私)「この温度管理のしかたなども日本酒の酒蔵でよく見る原理です。日本酒では出来るだけ低い温度で長く発酵させるといい酒ができるなんていわれていますが・・」 オルネッラ女史「ワインも同じです。酵母が活動しすぎない適温という温度があり、白なら24〜25度、赤なら31度〜32度で発酵させています。だいたい10日〜12日くらいの発酵期間ですね。ドルチェット種は4〜5日と短いです」 お互い、醸造関係の話は簡単に理解することができ、お互い第3国の言葉の英語でもなんとか会話が成立。ほっとしました。 最後に、見たこともないテースティングルームに来る。
2005年3月30日