ものづくりを訪ねる / 多鹿大輔さまものづくりを訪ねる / 多鹿大輔さまものづくりを訪ねる / 多鹿大輔さま

小さいころから、多くの方が日常的に使っているであろう、鋏。「手づくりの鋏」と聞いたとき、つくっている様子がうまく想像できなかった。同時に、こういった身近な道具もまだ日本で手づくりされていると知り、なんだかうれしく感じた。

取材場所は、兵庫県小野市。古くから、鋏や鎌など金物製造で有名な地である。神戸から電車を乗り継いで向かう途中、外の景色はしだいにのどかな風景になっていく。「わかりにくい場所にあるので」と、今回取材をお願いした多鹿大輔さんが最寄駅まで迎えに来てくださった。

多鹿大輔さんは、1939年創業の「多鹿治夫鋏製作所」の四代目職人。三代目は父親の多鹿竹夫さん。竹夫さんも、現役の職人だ。多鹿治夫鋏製作所では、おもに洋裁で使う「裁鋏」を生産している。多鹿さんを知ったのは、裁鋏からではなく、多鹿治夫鋏製作所が手がける一般向けのブランド「TAjiKA」の鋏がきっかけだった。日常使いの鋏にも「一生もの」があるんだ、と気づかせてくれる製品。それを手がける若い職人はどういった方なのか、お話をうかがってみたいと思った。

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「なかなか鋏をつくろうと思っても、つくれる環境なんてないじゃないですか。ものをつくることは好きだったので、楽しそうだなと。でも昔は“絶対に継ぐぞ”という感じではなかったですね」

業界自体はずっと厳しい状況で、当初は竹夫さんから「やめておけ」と言われた。「ずっと若いひとが入っていない。播州(兵庫県の西南部)では、私が入ったのが最後。だから、息子は40年ぶりにこの業界に入ったつくり手なんです」という竹夫さんのことばに、その状況の深刻さが伝わる。近隣で鋏づくりをしている職人は、ほとんどが70歳くらいの方だという。竹夫さんが60歳手前(取材当時)だから、皆さんひとまわり上の方ばかり。

そんな現状をお聞きしながら、おふたりが作業する工場のなかを見渡す。いくつもの大きな機械が存在感を放っている。片手で持てるサイズの鋏からは、想像しがたい大きさだ。

「ここの機械は、何かが欠けるともう鋏はできないんですよ。たとえば、外注に何かを頼るとしても、うち1社だけががんばったってついてきてくれませんよね。だから、すべて自分のところでまかなえるということが、大事やと思います。息子が継ぐと言うたときに、ここでは溶接から最後の出荷までできるのでオッケーと言いましたけど、そうでなかったら継ぎたくても継げないんですよ。そういうところまできてるかなって思いますね」と竹夫さんが教えてくれた。

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多鹿さんが修業をスタートする際、お祖父さまにあたる二代目が職人として働いていた。「おじいちゃんの病気がわかったんで、仕事を辞めて戻ってきたんですよ。まずは、おじいちゃんがやっていることから覚えました。おじいちゃんがやってるってことは、父親がやっていない工程ということですから」

おもに、鍛造(金属素材を熱してたたき、形を加工すること)と溶接(金属の接合部分を熱で溶かして継ぎ合わせること)の工程を覚えることから、修業はスタートした。

「鍛造は、何回もおじいちゃんとけんかしましたね。仕事ってなかなかことばにできないじゃないですか。暗黙知というか。当時はそれもわからなかったんで、“なんで教えてくれへんの?”って怒りと、できひん自分への怒りもあった」いま、多鹿さんは自分でその工程を担うようになって、この仕事は自分の感覚でしかないので、おじいちゃんはうまく伝えられなかったんだということが、身にしみてわかるという。

父は「こうやれよ」と言うのですが、父はできても僕はまだその技術はもっていない。それでよくけんかになる。しかし、ある瞬間「こう」と言われたことがふっとわかるようになるという。 「なかなか越えられんときもあれば、すぐできるときもあります。わかったら“すとん”って入るんです」

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TAjiKAブランドの商品は、これまで多鹿治夫鋏製作所が手がけていた鋏とは、ずいぶん印象が違う。どのような想いから生まれたのか。

「大学生のときに、友人がぽろっと“広報的なことを何もしていないと、知れないしわからないよ”と。言った本人はもう忘れているみたいなんですが、僕はそのことばがずっと頭に残っていて」

父親がやってる仕事に対して、僕がいちばんのファン。そこは疑いようがない。

「だけど、その“いい仕事”は世の中にはうまく伝わっていない。いま僕にできることは、より広く伝えることと対外的な活動。広報活動は、父親ではなかなか目の届かないところもありますから。世の中に鋏のことを広く伝えたくて、TAjiKAブランドをたちあげました」 自分たちがつくったものを、より多くの一般の方にも手に取ってもらいたい。そのためには自身がどういう役割を果たすことが、多鹿治夫鋏製作所の鋏にとっていいのか。いいものをつくるだけに留まらず、多くの方に届けるための方法を、つくり手としてつねに模索している。その根底には、長年良質なものをつくり続けている強い自信を感じた。

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気になる商品を見つけると、そのものの背景を知りたくなる。どこでどんな方がつくっているのか、製作にはどんな大変な点があるのか。いまはWEBで検索すると、いろんな情報を得ることができる。多鹿さんも、ものが持つ背景を知ることはおもしろいから好きだという。

「最近は、あんまり言いすぎてもいかんなと思います。大変さだけがクローズアップされてしまう。そこだけがひとり歩きしちゃって、結局商品はどうなのか、伝わっていない」

すべてを伝えてしまうと、受け手に考える余地やイメージする余白をつくれなくなってしまう。TAjiKAは単に若い職人がつくったおしゃれな鋏、と思われてしまうと、とてももどかしい気持ちになる。 「説明が必要な部分もあるんですけどね。鋏って、なかなかわかってもらえない部分がいっぱいあるので、そのバランスが難しいなと」

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以前、ある方に「いいものをつくるんだったら、いいものを食べていいものを買って、経験しなさい」と言われたんです。たしかにそうやなって。いいものを知っていないと、つくれない。それを口実に、ちょっと生活をよくするためのものを選んだり、あえて背伸びすることはしていますね。

「いいものができたから手放したくない、という想いはない。ものとして“いいものができた”というのは、まだ一回もないです」父親もまだないって言ってました、という一言に驚く。「父親がそういう姿勢でいる限り、自分もきっと同じですね」と、多鹿さんは続けて笑顔で答えてくれた。

「職人さんに“うちの製品をつくるには、多鹿さんのところの鋏がないと”って思ってもらえるような、欠かせない道具になりたい。あと、TAjiKAをきっかけに、いろんな方にうちの鋏を知っていただけたら。国内だけでなく、海外でも勝負していきたいですね」



多鹿治夫鋏製作所
〒675-1379 兵庫県小野市上本町131-1
TEL 0794-62-2302
url.
http://takeji-hasami.com
http://www.tajikahasami.com

2012年11月に取材

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