世界で出会った、日本の職人 「はじめて味わう“ピアノが歌った”という感覚。そのときの感動と心地良さを残す仕事がしたい」01 「はじめて味わう“ピアノが歌った”という感覚。そのときの感動と心地良さを残す仕事がしたい」02

世界に誇る、日本人のものづくり。活躍の舞台は、日本のなかだけではありません。
広い世界のいたるところで、高い志をもってものづくりをする日本人がいます。

ジャンルや場所は違っても、よいものをつくりたいという想いは同じ。
土屋鞄が共感する、世界で活躍する日本の職人をご紹介します。

-----------------


vol.01 フランス
那須 茉利衣(なす まりえ)さん(30歳)
「Pianos Balleron SARL」修行中 / ピアノ修復師



パリ西部にある街、パッシー。シックな装いのパリジャン達が行き交い、街並みもひときわ美しい。大通りから脇道にそれ、大きなアパートメントの入り口を通ったその奥に、那須 茉利衣さんの修行する「Pianos Balleron SARL」は、ひっそりとアトリエを構えていた。100年以上も続くこのアトリエでは、戦前につくられたフランス製ピアノの修復を行っている。


フランス・パリ
時を経て、音を奏でるアンティークピアノたち 02

扉の向こうから、オーナーのシルビさんと那須さんが、笑顔で迎え入れてくれた。アトリエのなかは、どこもかしこもアンティークのピアノで埋めつくされている。最初に目に飛び込んできたのは、ナポレオン三世の時代につくられたグランドピアノ。黒地に金の装飾が美しい、美術品を思わせる優雅な存在感が漂う。感心していると、ふたりは早く弾いてみてと促す。試しに白い鍵盤をゆっくりと押すとぽーんと低く重い音が鳴り、体のなかにも響いた。

「これが19世紀にも奏でられていた音なんです」

続いて、一弦だけのピアノ模型を見せてくれた。鍵盤を押すと、小さなハンマーが持ち上がり、弦を叩いて音をだす。システムは単純だが、よい反響を奏でるために、たくさんの技巧が施されていている。この鍵盤が、85から88個も詰まっているピアノ。これをひとつひとつ手作業で修復していくのだから、気の遠くなるような作業だ。

アンティークピアノ01 アンティークピアノ02 魂を感じるピアノがつくられた時代へのこだわり 01

この工房では、1840年から1940年の間につくられたフランス製のピアノのみを修復している。
「 この時代のフランスピアノは、職人によって手づくりされていたから、一台一台のピアノに込められた魂が感じられるの。現代のピアノは、工場で大量生産されていて、音にも偏りがないし、機械仕掛けのマシーンみたいに感じる。でも本来、ピアノは人間と一緒。年をとるし、歌声だってひとつひとつ違う。だから私たちの仕事は、そのままのよさを保って、長生きをさせてあげることなのよ」
ピアノがつくられた時代にこだわる理由を、シルビさんが教えてくれた。その答えに、那須さんもうなずく。

もともとフランス文化を専攻していた那須さんは、古く良質なものを残すフランスの文化が肌に合う。「ピアノの性格って、やっぱり職人さんの真心がつくったものだと思うんです。スーパーで買うお惣菜よりも、お母さんの手料理がおいしいみたいに、大切につくられたものには思いが宿って、私たちを感動させる。いまだからこそ、そのよさを守っていきたいんです」

ピアノには、国民性の特徴がでるという。
「日本のピアノは、ドイツの型をまねているので、音が規則正しくて、真面目な印象。反対にフランスピアノは、気ままで遊び心がある音というか、おもしろい音がしますね」

魂を感じるピアノがつくられた時代へのこだわり 02 ピアノが歌った、という感動が原点 01

この日、ふたりは、グランドピアノのハンマーの調整をしていた。修復作業もほとんど仕上げ段階だそうだ。昨年からここで修行をする那須さんは、このピアノが、全ての修復行程に携わった初めてのピアノになるそう。まだまだ学ぶことだらけ。言葉の壁にぶつかったり、つらいときもあるが、作業が終わって、シルビさんから激励の言葉をもらうと嬉しくてたまらないという。

那須さんが修復師になったきっかけは、なんだったのだろうか。

「フランスに留学していたときに、このアトリエに立ち寄ったんです。シルビさんがアンティークピアノの音の違いの説明をしてくれて。そこでピアノに触れたら、いろんなピアノの性格の違いがありありとわかったんです。ピアノを弾いたというより、ピアノが歌ったという感覚でした」

遠い昔につくられたピアノが、いまも生きて歌っている。時代の生き証人と話したような体験をして、感動と音色の心地よさを残す仕事がしたいと、そのときに強く思った。それからピアノ調律の勉強をして、このアトリエに戻ってきたという。

彼女とピアノとの出会いは、ごく自然なものだった。

「祖父が音楽の先生をしていたので、家にはもちろん日本のピアノがあって、昔からピアノを習っていました。成人してからも、ストレス発散の感覚でよくピアノを弾いていましたね。フランスに留学したときはピアノが無い生活だったので、自分にとって欠かせないものだとはじめて気づかされました」

那須さんの人生のかたわらには、ずっとピアノの存在があった。これから彼女は、ピアノを長生きさせてあげるために、人生を捧げたいという。

ピアノが歌った、という感動が原点 02 “修理”ではなく“修復” 01

那須さんの仕事は、ピアノを復元すること。壊れた部品もできる限り、その時代のものを探し、ピアノ本来の姿と音を保つ。いまでは、ここがフランス唯一のピアノ修復工房だそうだ。

大切につくられたものには魂が宿る。修復することは、その魂を嗅ぎとり守っていく仕事だ。大量につくられたものを使い捨てる時代に、よいものを長く残していきたい。そんなふたりの思いが、工房いっぱいに詰まっていた。

“修理”ではなく“修復” 02

2013年5月取材