banner_suiho.jpg

 富山県内での天神様の習慣と一般的な作法

1 天神様のおこり

天満宮 天神様は平安時代に実在した政治家で学者であり唐に留学した後、異例の出世を遂げた貴族、菅原道真です。略して「菅公」とも呼びます。 彼が陰謀により九州大宰府に左遷され不遇の生涯を終えた後、京都では災害がおこりました。当時はこれは道真のタタリだと恐れました。 これを鎮めるために京都北野の天満宮に道真を祀りました。
本来「天神」とは天の神、農耕に密接に関わっている自然崇拝の神様で姿形はありませんでした。 それが道真の人物像と重なり親しみ易い具体的な姿を持つようになり日本全国に広まっていきました。

2 学問の神様としての天神様

渡海天神 鎌倉時代から室町時代にかけて日本の多くの僧侶(学者)が中国に留学しました。 彼らは優秀で留学経験のある道真に尊敬し天神様を祭って自らの航海の安全と成功を祈念しました。
江戸時代には全国の寺子屋で毎月25日(2月25日は道真の命日)に天神様を祭り、道真についての講話が行われました。 (現代の学校の始業式)
これら天神様を祭る際に道真を描いた絵図が用いられました。

3 天神人形

天神人形 江戸時代中期頃からは人々の暮らしが豊かになり盛んに社寺参詣が行われました。(現代の観光旅行)
天神人形は天満宮に参詣した人たちにお土産として販売されたものが始まりのようです。 天神人形の多くは土人形ですが他にも練り物、張り子、彫刻など素材はいろいろです。農家の副業として作られました。
それを家に飾って農耕や子供の成長を祈願しました。

4 郷土文化

天神飾り 明治の学制発布より全国の寺子屋が廃止され天神様を祭る公的な機会が減りました。 しかし民間信仰としての天神様の習慣は様々な独自の形態で郷土文化として今も続いているところが全国各地に点在します。
中でも最も規模が大きく盛んなのは、呉西地区を中心とする富山県全域と、旧坂井郡を中心とする福井県嶺北地方です。
両地域とも正月に自宅の座敷の床の間に天神様を飾り、その前に鏡餅などを供える様式です。
天神様本体は掛軸が最も多く次に木彫りがあります。

5 富山県内の一般的な作法

家庭行事ですから文書になったような決まり事はありません。
  1. 一般的に共通していることは次のことです。
    1. 男子(かつては長男のみでしたが現在は次男三男も平等されているようです)の誕生を祝って、実家のご両親(赤ちゃんの祖父母)が誕生した男子に贈る
    2. 天神様本体(掛軸や木彫り)は誕生した男子個人のお守り。つまり、その家に住む男子(かつては長男)の人数だけ存在する
      広い床の間のある家では掛軸が3幅以上並んでいる光景はよくあります。それができない場合には床の間の側面なども利用されています。 ただしお供えする道具類は共通にされる家が多いようです。
    3. 飾る期間は12月25日から1月25日(富山県内では、ほぼ統一されているようです)。
    4. お供え物の中心は三方の上に鏡餅。その他のお供えは地区によって様々です>。

  2. 一般的に贈る方が行うことは次のことです。
    1. 10月から12月中旬までに天神様を贈り先に届ける。天神道具(三方、雪洞など)がある場合には一緒に。 最初の年のお供え物(特に鏡餅)をどちらが用意するかは様々です。
      参考までに この時は玄関で天神様を渡して長居はしない。相手に負担をかけないため。
    2. 正月に挨拶に行く時に清酒を2升持っていく

  3. 一般的に贈られた方が行うことは次のことです。
    1. 天神様が届けられたら受け取る。 参考までに この時は玄関でお礼を言って引き止めない。相手に負担をかけないため。
    2. 12月25日に天神様を飾る。
    3. 贈った方に「〇〇(男子の名前)に立派な天神様を頂きましてありがとうございました。飾りましたのでお正月には是非見に来てください。」と連絡する。
    4. 正月に贈った方が挨拶に来られたら、お祝いのご馳走を振舞う。
      参考までに このご馳走が天神様を頂いたお返しです。
    5. 1月25日に天神様を仕舞う。
      参考までに なお、お供えの鏡餅は1月置いておくと乾燥してひび割れてカビが発生するので最近は頃合をみて陶製の鏡餅と入れ替えられる方も多いようです。

6 貴重な家庭の文化行事

現在、富山県内や福井県嶺北地方の家庭で行われている天神様の習慣は、 「僧侶も神官もいない、誰にも強制されない、本来の民間信仰の形態を伝えている素朴な自然崇拝の文化」です。
民俗学的にも評価され、千葉県佐倉市の国立民俗学博物館にも展示されています。天神様の文化を研究した文献や展示会も数多くあります。
家庭の中で一時的であれ理屈抜きに「触れてはいけない空間」を作ることは、子供の教育する上で「形のない事柄の価値」を教えることに繋がります。
是非とも、この貴重な文化は伝えていきたい願っています。

このページの画像の一部は次のパンフレットに掲載されたものを利用しました。
「企画展 郷土の天神信仰 TENJIN」(2001年) 高岡市立博物館発行