本日は私、神田ショールームの田島が書かせていただきます。
若い頃の話をさせてください。私はS高校出身です。そういえば当時の高校のそばを走っていた世田谷線は片道20円でしたね〜。今の若い方からすれば、驚愕の事実なんじゃないでしょうか。
自分で言うのも恥ずかしいんですが、まあ昔はいわゆるワルでした。ほとんど学校にも行かずに遊んでいましたね。おかげさまであと単位が1時間足りなければ退学になるところでした。ところがS高校では仏教の授業というのがありまして、朝6時から座禅をすれば、単位がもらえたんです。もちろん私、参加しました。そうやって座禅をして、何とか卒業できました。
この頃からファッションにはこだわりがありました。ズボンの縦線がなくなるのが嫌だったので、雨の日はほとんど学校に行かなかったですね。湿気はファッションの敵なんです!! ただどうしても学校に行かなければならないときもあります。そのときは、行ったらすぐジャージに着替え、学ランはロッカーにたたんで入れていました。また、雨の日に学校に行くときには、長靴を履いていました。不良がはくボンタンの裾を長靴に入れてね。もちろん夏でも長靴・・・。蒸れました・・・。
ただ、それが当時の流行だったんです。今では考えられないファッションですね。
S高校のバス停の道を挟んだ向かいにはパチンコ屋がありました。学校に行くときは1時間目をサボり、喫茶店に行き、7、8人でパチンコ屋に(編集部注・法律違反ですからみなさんは真似をしないでください)。本来だったらパチンコ屋には高校生は入れないはずですが、私、ワルでしたから(笑)、怖いものなしだったんです。
当時のパチンコ屋では、最初におばけくじというものをを引くシステムがありまして、当たりが出ると、どの台でも3000円は勝てました。1人当たると取り巻きが3、4人いて、一緒に遊びに行く。まあワルぶることも、遊びに行くことも、当時の我々からすればファッションの一部分だったんですね。
ただ、ファッションを気にし始めたのは、実は小学校6年生のときなんです。当時はグループサウンズが流行っていまして、連動して、迷彩などのミリタリールックのジャケットが流行っていました。小学校6年生ですから身長は145cmしかなかったんですが、無理やり上野でこのジャケットを購入した記憶があります。当時流行っていたグループサウンズのとあるグループの影響で、犬の首輪も流行りましたねー。今50歳前後のみなさんは、一度はやったことがあるんじゃありませんか?
そもそも日本のファッションの発信源は、横須賀などの各港。スカマン(横須賀マンボの略。渡りに余裕を持たせて裾を絞ったパンツ)なども流行りました。
そういえば、当時はズボンも下げてはいていて、上げることなんて考えられなかったような気がします。そう、今でいう腰パンですよ! ファッションは繰り返されるんですね!!
それにアウトポケットのゴルフパンツやボーリングパンツ、ボーリングシューズも流行りましたね。ボーリングシューズなんて、みんなボーリング場からそのまま履いて帰ってきたりして、番号の入った靴を履いてましたね(良い子のみなさんは絶対にマネをしないで下さい)。
とまあ、つらつら書いてみましたが、自分自身本当にファッションにすごく興味があったんでしょうね。流行るたびに色んなファッションを試しました。
そしてもちろん今も、スーツをカッコよく着る方法をみなさんにお伝えするために、日々試行錯誤です。おかげさまで「錯誤」はしなくなりましたが(笑)。