紀元前5世紀にネパールとインドの国境の町ルンビニーで、ゴータマ・シッダールタ(後のお釈迦様)は釈迦族、浄梵王とマーヤー婦人の長男としてこの世に誕生しました。マーヤー婦人はお釈迦様が生まれて7日目にこの世を去りましたが、その後は母親の妹マハーパジャーパティに育てられ、善政をしく国の王子として何不自由ない暮らしを送っていました。16歳で第一婦人のヤソーダーラーをはじめ3人の妻をめとりましたが、ある日、病人、死人、老人、出家者を見ることによって、人間にとって避けられない運命である「生、老、病、死」の4つの苦に気づき、その気づきをきっかけに深い苦悩に襲われるようになったのです。
「この人間世界は苦しみに満ちている。生も苦しみであり、老いも病も死もみな苦しみである。怨みのあるものと出会わなければいけないことも、愛するものと別れなければならないことも、また、求めても得られないことも苦しみである。まことに、執着を離れない人生はすべて苦しみである。この人生の苦しみがどうして起こるかというと、それは人間の心につきまとう煩悩から起こることは疑いようもない」
そのことに気づいたお釈迦様は29歳のとき、長男のラーフラが生まれた直後、王子の身の上でありながら、両親、王位継承権、妻たち、生まれたばかりの男の子を残して出家してしまいます。7年間のあいだ、お釈迦様は厳しい苦行をされたのち、最後は極端な修行を捨てて、ブッダガヤーの菩提樹の木の下で、ついに、悟りを開きます。人類で最初に悟りを開いたお釈迦様が、悟りを開くさいに滅したものは人間の「煩悩」です。人間の「煩悩」とは、さまざまな五感の貪欲、怒り、愛執などの動物的欲望の数々なのですが、これは現代を生きるわたしたちにとって、さまざまな喜びと悩みをもたらす原因になっているのです。 この煩悩を滅ぼす境地に入るためには、お釈迦様は八つの正しい道を修めなくてはならないと説いています。
@正しい見解 欲にふけらず、貪らず、怒らず、損なう心のないこと A正しい思い 思慮深い
B正しい言葉 無駄口をきかない、嘘をつかない C正しい行い 殺生、盗み、邪な愛欲を行わない D正しい生活 人として恥じるような生活はしない
E正しい努力 怠ることなく努力する F正しい集中力 正しい気遣い、思慮。 G正しい精神統一 集注、禅定(ぜんじょう)
この八つは煩悩を滅ぼすための正しい道の真理といわれています。正しい道を修め、欲から遠ざかり世間と争わず、殺さず、盗まず、邪な愛欲を犯さず、欺かず、そしらず、へつらわず、妬まず、怒らず、道を修めれば、無知無明の闇は滅びて、本当の悟りに向かうことができると説かれているのです。
「瞑想をしているのじゃ」「何を瞑想しているんですか?」すると、修行者は威厳をもってこう答えました。「忍耐じゃよ」一瞬の沈黙のあと、羊飼いはその場を立ち去り、そして振り返りざまに「地獄へいっちまえ!」叫んだのです。すると、修行者は「なんだと!お前こそ、地獄に落ちてしまえ!」と叫び返しました。それを聞いて羊飼いは大声で笑い出しました。羊飼いは修行者に「あなたは忍耐の修行をしていたのでしょう」といいながら、その場を立ち去っていきました。
わたしたちの心はまるで鏡の世界のように移ろいやすく、映し出すものによって、秒刻みにその姿を変えていきます。長年にわたって積み重ねてきた努力さえも、他人の悪意ある言動によって、一瞬のうちに打ち砕かれ、怒りやそねみ、怨みなどの悪の感情に心が支配されてしまうのです。わたしたちはいかなる出来事に出会っても、慈悲と忍耐によって平然とかわして生きなくてはなりません。
「ダンマパダ」の中でお釈迦様はこのように説かれています。
「もしも、行いが立派で賢く、智恵のある人と一緒に行くことができなければ、ちょうど、戦いに敗れた王が国土を捨てて独りで行くように、あるいは象が森林を独りで歩くように、独りで歩むがいい。愚者を道連れにせず、独り行くがいい。もろもろの悪をなさず、貪らずに独りで行くがいい」
これはまさに悟りを開く前の、わたしたちの心というものを正しく理解し、つねに健やかに保つための教えといえるのではないでしょうか。
|