王子サーモンの歴史

ヨーロッパのソフトなスモークサーモンを日本に定着させるまでの努力こそ応じサーモンの歴史です。

昭和36年、ロンドンで出会ったスモークサーモン。それが王子サーモンの原点。

まだデビュー前のビートルズがライブハウスで歌っていた1961年(昭和36年)のロンドンで、王子製紙の2人の要人が、 ヨーロッパ視察旅行の途中で立ち寄ったレストラン「スコッツ」。そこで当時の王子製紙副社長(後の社長)、熊澤貞夫はまれにみる旨さの 鮭料理に出会います。なめらかな舌触り、ほんのり広がる潮の香りのような塩味、刺身ではないのに 柔らかい食感。それがスモークサーモンと王子との初めての出会い。帰国後に、その時のスモークサーモンの原料が、 一般的なアトランティックサーモンではなく、北海道苫小牧沖で捕れるオースケであることが判明します。 それを知った熊澤貞夫は、早速、同行した市村修平(苫小牧工場長代理、後の王子製紙社長)に、あのときと同じスモークサーモンを作るように厳命します。 その頃の日本で「鮭の燻製」といえば、硬く乾燥した「鮭トバ」のような珍味でした。 しかし本場のスモークサーモンはしっとりとしていました。熊澤が命じたおいしいスモークサーモンのポイントは2つ。 「鮮やかなオレンジ色であること」「刺身のように柔らかく、噛むと鮭の味とともに燻製の香りが漂うこと。」 それから、王子のスモークサーモン作りの苦闘が始まります。

ニッカ竹鶴会長のご指導で、最後の難関をクリア。

スモークサーモン作りで大切なのは原料魚の品質と燻製に使うチップの材料です。 当時の北海道ではオースケがまだ豊富に取れていました。「時知らず」といわれて珍重され、おいしい鮭として有名でした。 さらに王子製紙は木材の見極めには自身を持っています。そこで北海道のあらゆる鮭と、あらゆる木材チップで試行錯誤を繰り返しましたが、 なかなか熊澤貞夫のOKがでません。ときに1965年(昭和40年)、担当者はニッカの竹鶴政孝はウイスキーの研究のため長くスコットランドに滞在していましたが、 その時にスモークサーモンも研究していたことを聞き及んだからです。 面談の結果、竹鶴会長から、ウイスキーの原酒を貯蔵する樽の材料が燻製チップに最適との教えを受け、当時のニッカ貯蔵樽の廃材を譲り受けます。 そのおがくずで燻したサーモンは、見事、熊澤らがロンドンで食べたスモークサーモンの味を再現していました。

ついに創業。本格的な生産を開始。

こうして日本最初のソフトスモークサーモンが誕生します。そして1966年(昭和41年)、天皇陛下ご一家のご会食に献納させていただき、 素晴らしい評価をいただきます。満を持して1967年(昭和42年)、王子製紙はスモークサーモンの製造の会社として、北海道サーモン株式会社(後に王子サーモンと改称)を創立。 生産体制を整備するとともに、原料魚の確保が大切な課題となります。次第に天然物のオースケの漁獲が減ってきた時代です。そこで王子製紙の海外ネットワークを通じて、 カナダ、アメリカ(アラスカ州、ワシントン州)での調査を開始。品質の良い鮭の量的確保に奔走します。

一流ホテルや、皇室にも愛された王子スモークサーモン。

1970年代に入ると、王子のスモークサーモンはさまざまな一流レストランや高級ホテルに納入されていきます。 ホテルオークラ、香港マンダリンホテル、そして帝国ホテルへ。さらにマキシム・ド・パリなどの有名料理店にも納めました。 1966年(昭和41年)より天皇ご一家には献上品として取り上げていただいておりますが、1971年(昭和46年)からは、生鮮品と同じように扱うということで、 日本航空の特別の配慮により空輸にてお届けしていました。

これからも、「日本のスモークサーモンの代名詞」と呼ばれるように。

その後は順調に発展を続け、40年間にわたり、原料の吟味と徹底した衛生管理を貫くことで、日本を代表するスモークサーモンの企業として、 美味しさにこだわったスモークサーモンをお届けしています。

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