昔ながらの麹甘酒甘酒にまつわるいろんなお話 

 

今回は近場で、京都の清水寺のふもと、八坂の塔のすぐそばある、甘酒が名物の茶屋を訪れました。

「文の助茶屋 本店」

「ここにいたら、面白い話いっぱいあるよ〜」と笑うおかみさんは、本当にこの茶屋で、たくさんの人々と触れ合ってこられたのでしょう。まあ、まずは何も入れずにそのまま飲んでください。
言われるがまま甘酒を一口頂いた。おかみさんは「甘酒は自然のものだから」と。原料は米と米麹だけ。砂糖を使わず、米と米麹でつくる、昔ながらの、本当に手作りの味を守っている。そのため、量はあまりできないという。「ここだけの話ね、お米のおいしいときは甘酒もおいしいの!だから不作と聞くと心配になるのよ。」なるほど。お米のできにも左右されるという訳がわかる。


まず、一口飲んで、それからしょうがをひとかけいれると、みなさん「んーーーーー」
っていいますね。
と促されるがまま、しょうがを入れ、一本のお箸でくるくると混ぜる。




甘酒は1本はしをつけている。「これにも訳があってね。昔から”中風のおまじない”といわれているのよ。」とおかみさん。(※中風とは、現代医学の脳出血・脳梗塞(こうそく)全体のことで、中風にならないおまじないという意味。)
面白いのが、よく、甘酒とおぜんざいを一緒に頼まれた方に、甘酒用に1本のおはしをつけているんだけど、おぜんざいにつけているお箸2本を使ってしまって、あれ?!残り1本しかない!「1本ないよ〜」
っていう笑い話も。

しょうがをいれて、さらに一口。
思わず、「おーーー。」(おかみさんほらね、といわんばかりに嬉しそう)
なるほど。しょうがが加わることで、風味がぐんと生きてきた。

文の助茶屋の始まりは、明治末期。人情ばなしの落語家、「曽呂利新左衛門」の門弟二代目「桂文之助」が、境内に長年愛用した扇子を納めた扇塚を建てたのが所以。初代が「落語を引退したら甘酒屋をやりたい」と言っていた、その思いを引き継ぎ、甘酒茶屋を始め、甘酒一筋に生きた。その後、人呼びで「文の助茶屋」となり、東山界隈を散策する旅人で賑わったそうです。

甘酒屋はその当時、近隣だけでも数10軒あったとか。今では、冬の飲み物というイメージが強いが、夏はお腹が冷えるので、という理由で、当時は温かい甘酒を夏に飲んだとか。今では夏は“冷やし甘酒“を出しているそうです。

観光客がメインだが、市内に住む方も親戚の方を紹介し、つれてきてくださることもしばしば。
こどもさんも甘酒が好きで、よく訪れる。

昔は女の人はお酒があまり飲めなかった。尼さんでも飲める酒ということで、「尼酒」→「甘酒」になったとう説も。

10年程前に、扇塚のある創業地にほど近い、現在の八坂の塔の東側に移ってきたということだが、お店をじっくり見させていただいても、新しいと気づかないほど、歴史を感じさせる佇まいに驚いた。というのも、今のおかみさんが、「初代の心を大切にしよう」ということで、佇まいも昔を再現したのだとか。

余談ですが、文の助茶屋の代表といえば「甘酒」。ですが、わらびもちも名物のひとつ。
2代目のおじいさんが甘党で、“年中食べれる、やわらかいわらびもちが食べたい”ということから始まり、試行錯誤し、歯切れの良さ、なめらかさ、粉っぽくないように、なんども試作、試食を重ね、今の作り方があるとか。ここまでたどり着くのに大変だった。だから誰にも真似できないおいしさ。
実際、本当に口の中にほおばると!!とける!!!きなこもたっぷりかかっているのに全然粉っぽくなく、上品で、繊細な風味。はじめての味と食感にただ驚きでした。

甘酒をつかったちょっと変わった食べ方としては昔は甘酒ぷりんというのを作っていたそう。甘酒を寒天で固めるのだとか。夏に、子どもたちへの安心安全なおやつとして、最適だと思った。

住所:〒605-0827 京都市東山区下河原通東入八坂上町373
もしもし:075−561−1972 営業時間:午前10時半〜午後5時半 定休日:毎週水曜日