今を遡ること460余年。日本中に晴天が続き、作物が育たず、田植えもできず人々が困り果てておりました。
折りしも、室町時代の賀茂の祭の6月6日神様のお告げにより、時の後奈良天皇が賀茂神社に詣で、賀茂別雷大神
(かもわけいかづちのおおかみ)
に五穀豊穣を祈願し、梅(青梅)を奉納して祈ったところ、
たちまち雷鳴とともに大雨が降り始め、五穀豊穣をもたらしたと宮中の日記「御湯殿の上の日記」に記されています。
その故事にちなんで6月6日を「梅の日」と制定しました。その後、人々はこの天恵の雨を「梅雨」と呼び梅に感謝しました。
また「梅法師」と呼ばれていた朝廷の美しい女官達が好んで食したことから干し梅を梅干と呼ぶようになったともいわれております。
その後、梅干は吉祥の贈り物として宮中に献上され、やがて「お中元」として贈り物にするようになったといわれています。
紀州梅の会は、梅が皆様の生活に浸透し、日本の伝統食として皆様とともに歩み続けていけますよう
願いを込め、平成18年6月6日の「梅の日」に、京都「上賀茂神社」と「下鴨神社」に青梅を奉納いたしました。
不思議なことに、初めての「梅の日」、下鴨神社での神事をを終え、上賀茂神社で神事を執り行っている最中に、
さきほどまでの晴天が嘘のように、上賀茂神社の天を雨雲が覆い、雷鳴とともに雨が降り出しました。宮司様のお話によりますと、
「上賀茂神社(賀茂別雷神社)の神様は賀茂別雷大神で、雷の神様ですので、時々当神社では、このようなことがおきます。
雷が鳴るのは神様が喜んでおられるのです」とおっしゃいました。室町時代の五穀豊穣祈願の時と同じ雷鳴と降雨が起こり、
本当に神懸かりの「梅の日」でした。 |