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イベント・リポート
まずはじめに . . .
チョコレートの栽培および飲用の歴史(つまり、カカオ豆から様々な混合物が作られる歴史)は、西暦460年に現在のグァテマラで始まりました。
しかし、中米の北ベリーズでの近年の発見により、初期のマヤ文明の頃、つまり紀元前600年にはすでに液体のカカオを作り、飲んでいたことが分かりました。この発見により、ホットチョコレートは世界最古のノンアルコール飲料ということが明白になりました。
1500年代初期、アステカ族は中央および南メキシコ、つまり太平洋から大西洋まで広がるアステカ王国に住んでいました。モンテズマ二世は、ヘルナンド・コルテスが率いるスペインの征服者たちが侵略してきたとき、首都テノチティトラン(現在のメキシコシティ)から民衆を統治していました。
ショコラトルとその後
アステカ人は、カカオ豆と鞘を非常に大事にし、商人たちは、湿気の多いメキシコ盆地とアステカの主要都市との間でカカオ売買を行っていました。
カカオは生け贄の儀式などで使用されました。儀式で生贄となった人間の心臓を取り出し、その代わりにカカオの鞘を詰めたといわれています。また、カカオ豆は通貨としても使用されたり、トウモロコシとカカオで作られる、苦くて濃厚なショコラトル(chocolatl)という飲み物にもされました。
モンテズマ王はハーレムの女性たちを喜ばせるために、多いときで一日に50杯のショコラトルを飲みました。かつてよく言われた「モンテズマの復讐」 *注) という言葉の由来はここにあります。その成分は穏やかな効き目の下剤としての役割も果たしたのです。
*注) メキシコを訪れた旅行者が下痢に襲われると、それを「モンテズマの復讐」と呼びました。黄金を求めてやってきたコルテスの率いるスペイン軍に滅ぼされたモンテズマ二世の復讐と考えられたのです。
ヘルナンド・コルテスが到着すると、アステカ族は彼を待望の神だと勘違いし、征服者たちにショコラトルを贈りました。この贈り物がきっかけで、スペイン人たちはカカオをスペインに持ち帰ることになり、ヨーロッパでのチョコレートの消費が始まったのです。
モンテズマ二世の功績はあまり明るいものではありませんでしたが、少なくとも、私達は帝国主義に感謝するべきでしょう。哀れな老人モンティ(モンテズマ王の愛称)は、ヘルナンド・コルテスが救世主とは程遠いということに気づいた民衆の投石により死亡しました。