ヨーロッパで初めての白色磁器を生み出した名窯。
17世紀、ぼってりと厚い陶器しか産出しなかったヨーロッパでは、透けるように薄手の東洋の磁器は金銀にも優るあこがれでした。王侯貴族が少数の磁器をこぞって宝物のように秘蔵していましたが、ついには同じものを作り出したいと願うようになりました。
ザクセン候アウグストは、錬金術師のベットガーに白磁の製作を命じました。アルプレヒト城に幽閉されながら試行錯誤を続けたベットガーは、1709年ついに白磁の製作に成功しました。白磁を見て狂喜したアウグストは、城内に磁器工房を設立し、この技術が漏れないようにベットガーを軟禁しながら製作を軌道に乗せていったのです。
マイセン窯はベットガーの死後も発展を続け、作品はヨーロッパを席巻し、陶磁器界の頂点を極めます。第2次世界大戦後は国営となり、国立マイセン磁器製作所として質の高い作品を生み続けています。また、マイセンの作品には、2振りの剣を交差させたマークが入っていますが、これは、年代と器の種類によってさまざまに変化してきています。初めの頃は、宮廷の磁器にのみ入れられていました。 |