―砂張はむしろ素材よりも作り方に影響します。
僕の砂張だからこそ鳴り上がりするといえますね。


二方屋(ふたかたや)は、天保14年に創業されたと伺っています。その歴史と、りんよ工房との関係について教えていただけますか。

もともとは京都に二方屋というおりんを作っていた工房があったそうです。そこに僕の祖先にあたる與五郎(よごろう)が奉公にあがっています。それ以外は本家の二方屋さんに関する資料が残っていないため、與五郎が本家を受け継いだのか、のれん分けしてもらったのか詳しいことはわからないのです。

與五郎が天保14年に創業した場所は京都の深草、お稲荷さんの近所だったと聞いています。2代目の與吉の時代は、兄弟や親戚など、それぞれがりんを作って結構手広くやっていました。初代も2代目も、”よ”という名前が付いているので、愛称というか、そこから「りんよ工房」という名前がついています。

その後、「二方屋 與五郎」で創業したものの、以後はずっと「りんよ」と称してきていました。戦後、おりんの需要はたくさんありましたが、バブルがはじけて、手間のかかる「りん」が売れなくなりました。「りん」はお仏壇でセットで売られているものでしたし、販売の道を模索していた中、2004年に僕の祖母が家内に「白井家を頼むよ」という遺言を残して亡くなったのです。その言葉をきっかけに、じゃあ家内が二方屋という名前を使って販売を手がけましょうということになりました。
現在は、製造に関してはりんよ工房で、販売に関しては二方屋で担っています。

特殊な合金として知られる砂張の歴史について教えていただけますか。

砂張は、錫と銅の合金で非常に硬い金属です。錫を多く含むことから高錫青銅と呼ばれています。日本では正倉院に収められている水瓶などが最古のものと言われていますが、世界的にはおよそ紀元前2500年から3000年前、ハラッパ(パキスタンにあるインダス文明の都市遺跡)の周辺から出土しています。その後、チベットやインドネシアの方にも広がっていったようですが、日本には朝鮮半島から入って来たと言われています。

長年手がけておられるからこそわかる砂張の魅力をお聞かせください。

砂張という金属は、同じ配合でも作り方が変われば全く違うものになります。そこが魅力ともいえますね。澄んだ音色と、独特のうねりを持った余韻は、変化しながら新しい音を生み出す「鳴り上がり」のする音色といわれます。ただ、素材というよりも作り方に影響を受ける金属ですので、僕の作った砂張だからこそ、鳴り上がりするといえますね。

    
 

おりんが持ち運びのできる「癒し」として感じていただける時代


白井さまがこの道に入られたきっかけについて教えていただけますか。

中学2年生の時から夏休みに仕事を手伝いに行っていたのですが、祖父母から、「あんたが跡継ぎや」と言われていました。そんなこともあり、漠然と自分が後を継ぐという感覚はありましたね。大学は商学部へ進学し、卒業後は5年ほど会社勤めを経験して、在庫管理や営業、商品開発と色んな勉強をさせていただいたことが、今の仕事にも大きく影響していると思います。

京もの専門店みやびで販売している「舞妓りん」
商品の販売を通して感じておられることはありますか。

お仏壇は、通常は家系に一つあるものですよね。例えば長男さんのところには仏壇はありますが、次男三男にも親を供養したい気持ちはある。そういう場所にもおりんを置いてもらって、朝晩に写真の前で「チン」と叩いて「いってきます」、「ただいま」というように使っていただきたいというのが、「舞妓りん」を製作したきっかけです。そういったシチュエーションイメージを商品とともに訴えて、ようやくおりんが一人歩きしていきましたが、それまでに10年かかっています。お客様の声を聞いていると、「舞妓りん」のような小さなおりんが、持ち運びのできる「癒し」としても感じていただける時代になったのではと感じています。

0.01パーセントでも、何かが違うと音色が変わってしまいます。


おりん作りの工程とポイントを教えていただけますか。

工程は大きく分けて、型作りと、その型に溶解した金属を流す鋳込みという作業があります。ポイントの一つとしては、型も焼いて製作しているところが他の工房とは違うところでしょうか。
焼けた熱い型はすぐに鋳込むのではなく頃合をみて冷ましますが、季節や天候により日々条件が異なります。その見極めは肝心ですね。

また材料でいえば、今は鋳物用の砂が売っているので、そこから型を作ったりもしますが、僕のところでは原土から用意をして、真土(まね)から自分のところで作っています。材料は、銅と錫と原土しか買わずに自分のところで作ります。この銅と錫と原土の3つしか仕入れないかわりに、ここにはものすごくこだわります。だから、この製法でおりんを作っているところは、他にはないですね。



素材の選定についてはかなり重要ということですか。

そうですね。昔は型を作るのに大亀谷という土地の粘土を使っていましたが、 実は15年ほど前に閉鎖して、土が手に入らなくなったことがありました。 それで違う土に変えたら音が出なくなってしまったのです。型の元になる土が変わるだけで影響を受けるほど、音作りは繊細なのです。現在は、大亀谷の土の成分を調べてもらって、 それに近い土を作ることで安定するようになりました。それ以外にも、取り扱い業者の錫の配合が変わったらすぐに分かります。見た目は錫で99.99パーセント同じものでも、残りのたった0.01パーセントでも何かが違うと、音色が変わってしまいます。

おりんは力強く鳴るものから、余韻が長く響くものまで色々とありますが、種類などの特徴はあるのですか。

種類という言い方をするなら、2つとして同じ種類はありません。というのも、先ほどの鋳込みの工程でいえば、溶解した金属を1回分汲んだら、順番に用意した型に流し込んでいくのですが、同じ型の並びでも順番に流していくだけで多少なりとも金属の温度は変わります。流し込んで冷却していく間に音が作られていくのですが、全く同じ条件というのはありません。型や溶解した金属の些細な温度の変化など、ちょっとした条件の違いが音色には影響しますので、全く同じ種類のものを作りましょうというのはまず不可能です。

1000年後の人がこれを見たときに、どう思うだろうと。

最近は、パリから招聘されて自転車のベルを作られるなど、グローバルな活動にも意欲的だと伺っています。「白井ベル」を製作された経緯を教えていただけますか。

2011年の夏頃に京都市産業技術研究所の門野さんという、金属の分析をされる方がおられて、相談に行きました。その際、おりんの音に凄く惚れ込んでいただいて、「これで自転車のベルを作りましょう!」という話になりました。それで、同じ研究所のデザインチームにも関わってもらうことになりました。

その後、2012年の4月にフランスのパリ市にあるアクリマタシオン公園で日本イベントが開催されたのですが、そこでおりんを売ることになりました。フランスでは、50ユーロ以上は買わないだろうと言われているなか、僕の商品はおよそ150~200ユーロします(2014年1月現在1ユーロ=約142円)。ですので採算がとれないのですが、とりあえず50ユーロのものを10個ほど用意しました。すると予想外に反響が良くて二重、三重の人だかりが出来たので、それは嬉しかったですね。そのイベントがきっかけで多くの方と出会いました。

「白井ベル」の製作にあたって、気を遣われた部分はありますか?

通常、自転車のベルは、上をネジで留めています。それは単純に穴をあけて、上でネジを留めたほうが音は鳴らしやすく簡単だからです。しかし、白井ベルはネジ留めなどをせず、ベルの中央にねじ込みの穴をつけないようにし、頭をツルッとさせることにこだわって取り組みました。表には出さずに裏側に金具を作るなどの工夫をしたので、型作りは大変でしたね。

デザインチームとのコラボレーションで苦労された点はありますか?

いえ、苦労はありませんでした。これまでにデザインの勉強もしたので何を求めているかは分かりますから、弊害は感じませんでしたね。例えば、そのこだわりは分かるけれど、こういうものがしたい、というように、こちらからも提案できました。

パリの街を皆が自転車に乗って一斉に走って楽しむという、「ライド・ベレー・バゲット」。数百人規模の大きなイベントですが、そこで「白井ベル」は非常に反響があったと伺っています。

お仏壇のおりんと言うと、なかなか受け入れてもらえませんが自転車のベルなら 「え?」って興味を持ってもらえます。やはり音色に余韻がありますし、外国の方にとっては、新鮮だったのでしょう。また、澄んだ音色は近くで鳴らされてもうるさい響きではなく、とても遠くまで聞こえるのです。そういったところが、喜ばれたのではないでしょうか。

―「感動を与えしものつくりは感動を与えし者作り」

"もの言わぬ 物がもの言う ものづくり”という言葉をテーマに取り組まれていますが、伝統工芸というものづくりにおいて大切にされていることをお聞かせください。

この言葉は、30代前半の頃から、ずっと使っています。ものづくりについては、手にした瞬間に、感動を与えられるものを作りたいと思っています。「もの」をどう語るかという事もありますが、何かを訴えかけてくるものがないといけないのではないでしょうか。 実際そういったものが作れているかは、お客様が判断することですが、「感動を与えしものつくりは感動を与えし者作り」と考えて、「良き物を作る良き者」でありたいです。

今後、制作面で挑戦されたいことはありますか。

作り方については、一切変えるつもりはありません。 昔からやっているおりんをずっと作っていくというスタンスは変えないです。というのも、今から何か始めてすぐに結果を出せることはないからです。現場において仕事で何かを変えようとすると、些細なことでも3年はかかります。ほんの少しの工程でも必要ないのでは?と思って止めると、まず鳴らないのです。

1300年前に日本に入ってきて試行錯誤した結果が「今」に繋がっています。ただ、そうして変えずに作ったものをどのように世の中に送り出すかについては、常に考えていきたいですね。

これからの伝統工芸を担う立場として、お感じになられていることはありますか。

日常、いつでも思うのは、産業革命以降の100年というのは、職人は機械と戦ってきたということです。服一つとっても、機械ものの良さはありますが、手仕事で作ったものにも居場所はあると思うのです。例えば、普段遣いは機械ものでもいいのですが、特別な場所では職人が作った愛情のある品物を使いたいという考え方など、そうした提案をするのはこれからの作り手の役割だと考えています。

最後に、白井様にとって「おりん」とは、ずばり一言でお願いします。

「珍しい」。自身のことを含めてですが、珍しい家に生まれたなぁって思います。(笑)

(平成25年11月)