文和3年(1354)の『熱田社領目録案』にある「大脇郷畠拾町六段三百歩」とはこのあたりのことで、「大脇」がなまって「大秋」となったという説と、 もう一つは、大秋十郎左衛門という人がかつてこの地に住んでいたため、大秋と呼ぶようになったという説があります。
そんな大秋町の歴史は古く、江戸時代は尾張藩の御鷹場であったといわれています。
江戸期の寛文年間(1661〜1673)には、既高三三六石余、反別二十町余、家数17・人数101・馬四匹(『寛文覚書』)。 文政年間(1818〜1830)には、家数36・人数146、馬二匹(『徇行記』)。 明治初年の村高は、345石余(『旧高旧領』)があったといわれています。 また、村の東部を米野用水が南北に流れており、集落は村領の内寄りにあったそうです。(徳川林政史研 究所蔵『大秋村絵図』による)
大秋町二丁目の八幡社には、梯子獅子が古くから伝わっており、明治のころまで盛んに行われていました。 梯子獅子というのは、高さ10mほどのやぐらに三本の丸太を渡し、その上で獅子頭をかぶった青年が勇壮に曲芸をして、悪魔退散、災難や悪疫の除去を願うものです。大秋八幡社は、現在も私たち町内の神社として親しまれています。
また、境内には近郷の若者たちが石を持ち上げて力比べをしたという力石があります。 現在は、表通りから一歩中に入ると細い道が複雑に入り組んでおり、古くからの家並みが多く残っています。
町の南部には商店が集まっており、その南部の商店街に当店があります。