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文・著作権 鈴木勝好(洋傘タイムズ)

Y O U G A S A * T I M E S * O N L I N E
◆◆◆ ジョナス・ハンウェイと傘 ◆◆◆



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  ロンドンの街で雨傘を用いた先駆者ジョナス・ハンウェイは、なぜ人々に
嘲笑されねばならなかったのか?
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雨が降っていたら、外出には傘をさす。これ当然のこと。ところが1750
年代頃にロンドンの街中で雨傘を用いた先駆者のジョナス・ハンウェイなる
人物は、人々から嫌がられたり、嘲笑されたりしたといわれている。傘をさ
して歩いていただけなのに、ナゼなのだろうか





(イ)傘は女性が使うもの
傘は古代オリエントにひとつの起源があるとされる。古代文明発生の地には 国王などの頭上に傘をさしかける様が彫刻や絵画に現されている。アンブレ ラ(傘)の語源は、ラテン語のumbrra(影)にあるといわれるように、日傘が出 発であり、権威者の象徴として用いられたことは洋の東西に共通している。 傘(パラソル)は、ギリシャやローマ時代に上流階級の婦人達に流行したが、 その後、中世期には再び皇帝や教会高位者などの権威をしめすものとなった。 その後、イタリア、フランス、スペイン等々でパラソルが上流階級婦人の間 にファッションとして採り入れられ、流行した。 パラソルが流行するなか、一部男性にも使用する人が表われ、また雨用 (生地に油を引く)に使われる例もみうけられるようになった。
(ロ)ジョナス・ハンウェイの登場
彼は海運業(貿易)に携わり、沢山の富を得たといわれる。商売で世界各地を 訪ねるうちに、各国の人々の生活習慣などにも興味を抱いたが、どうやら傘 もそのひとつであったのだろう。特に大陸(ヨーロッパ)のパリなどで傘が流 行しており、雨の日にも傘をさす姿が見られ、関心をそそられたと思われる。 1750年頃、ハンウェイは傘をさした姿をロンドンの街中に現した。通り を行く人々は彼の姿を見て驚き、次には嘲笑を浴びせた。ある者は嫌がらせ をした。 なぜか?先ず第一に、当時のロンドンでは傘をさす習慣は一般的でなく、ま して紳士が街中で本人が持って歩くことはなかった。傘を使うのは女性で、 男性(上流階級)は、雨の日は馬車を利用し、傘は馬車から玄関までの間、召 使いにささせるものであった。 つまり、自分で傘を持ったハンウェイは「女の真似」とか「女々しい奴」と 見られ、または馬車を使えない(貧乏な)紳士」というように思われたのであ ろう。 更には、雨の日に傘を使うことが流行すれば馬車が不用になる(経済的に楽) ため、馭者<ぎょしゃ>や馬車の持ち主たちは生活基盤を失うことにもなる。 彼等は雨の日に、わざとハンウェイの傍に馬車を走らせ、水溜りの泥水を跳 ねげたり嫌がらせをしたといわれる。 それらの嘲笑や嫌がらせにもめげず、彼は批判を受けながら社交場へ行く時 も常に傘を携えた。ハンウェイの辛抱強い実行により、雨傘の実用性と経済 性が次第に認識されるところとなり、そのスタイルが「ハンウェイ風」とい われて流行した。やがて傘は英国紳士のシンボルと言われるようにまでなる。 なお、ハンウェイが最初に使った傘は、フランスで作られたものだろうとみ られている。彼は「傘の先駆者」としてだけでなく、海運(船舶)教会の創始 者であり、博愛主義者として知られ、孤児院を経営して浮浪児たちへの関心 を高めるため定期的バザーを催したという。
(ハ)ハンウェイが嘲笑されたもう一つの理由?
ハンウェイよりかなり後に、ロンドンの街で傘をさして歩いた時の様子を、 ジョン・マクドナルドなる人物が書き残している。それによると、傘をさし て通る彼の後ろから「何だ、フランス人かよ!傘に気をつけろ」「フランス 人はなぜ馬車を使わないんだよ。ムッシュー?」などとからかいの声を掛け られた。そのうちに人々も慣れてきて「ご機嫌いかが?フランス人さん」な ど、やや親しみを込めた呼び方をするようになった。 ここでは、もっぱら「傘をさす」ことが「フレンチ(フランス人っぽい)」だ として笑いの対象にされている。 フレンチ・・といえば、先般の米英軍VSイラク戦争をめぐり、フランスの態 度に不快感を覚えた米下院の議会食堂が、メニューの「フレンチトースト」 「フレンチフライ」を「フリーダムトースト」「フリーダムフライ」へ改称 したことが話題になった。それなら「フレンチキス」も「フリーダムキス」 になるのかという冗句が出たりもした。 フレンチキスなる言葉は、中世以来、フランスとの仲の悪い関係にあった英 国で生まれ、「下品で卑しい」という意味で使われたとする説がある。 1700年代はじめ、英国フレデリック僕は、傘をフランスではなくプロシ アから取り入れていた。それは彼が「フレンチ」を大変に嫌だったからとい われる。 こんな背景から推測すると、1700年代中頃までのロンドン(特に紳士達) では、フランスあるいはフランス風がかなり目の敵<かたき>にされていたこ とになる。ジョナス・ハンウェイが当時のロンドン市民から嘲笑されたり、 嫌がらせを受けた背景には、こんな事情も少なからず影響しているのではな いかと思われる。 落語の世界で、ハイカラを気取る若旦那が長屋の衆から嫌味を言われたり、 悪戯をされる状況に似ていなくもないようだ・・・     (鈴木勝好)

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