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文・著作権 鈴木勝好(洋傘タイムズ)

Y O U G A S A * T I M E S * O N L I N E
ペチコートが産んだ楕円形傘



(イ)楕円形の傘が話題に


 梅雨入り時季を前後にして、ことしもテレビや新聞で傘に関する情報が採り上げら
れていた。それらの一つに、傘を上方から見た場合(平面図)、丸い形(対称形)でなく、
楕円形(非対称形)になる商品が紹介されていた。つまり、普通は丸い形の傘の一部が
庇のように長く突き出したような形状の作りである。


 アナウンサーのコメントでは、「小学生が背負うランドセルが濡れない」、「母子
が並んで歩く時などに便利」、といったメリットを説明していた。百貨店等で、前年
比何%増の売れ行きで静かな人気商品になっているとのこと。


 このタイプの傘については、昨年の2月に某社が『たまごの傘』というネーミング
で新聞広告を出している。その説明文に「8本の親骨のうち3本だけが長い楕円形の傘。
長い骨は閉じると折りたたまれます。長いほうを利用すれば、ランドセルなども濡れ
にくく便利です。」とある。こうした商品提案が、ことしの話題へとつながっている
のかもしれない。


 このスタイルは特別に新たしいものというのでなく、十数年前、東京の洋傘共同組
合主催に依る「傘のファッションショー」でも発表されたことがあった。しかし、残
念なことに当時は市場性を得るに至らなかったのである。



(ロ)スカート保護のために考案  親骨の長さが左右で違う非対称形(楕円形)の傘が最初に作られたのは、どうやら 1840年代初め頃のようである。ヨーロッパ印象派の画家たちの作品で、女性が着用す るスカートのお尻部分が大きく突き出ている姿が描かれていたりする。そのスタイル は傘(パラソル)の携帯とともに女性たちのファッションであった。それに気づいたあ るドイツ人が、スカートの突出部を保護するために傘の一方(親骨)を長くしたデザイ ンを考案したもののようである。  日本では大正11(1922)年に東京の古屋正平が12間の「もみじ(紅葉)型」張りを製作、 8間の「四角型」張り傘とともに三越で販売したとか。
(ハ)ペチコートと傘の類縁性  ところで、上流社会のご婦人方が着用した腰回りから下のふくらんだスカート(ペチ コート)は、その内側が鯨骨や鉄線などによる荒い籠目状の張り骨で支えられていた。 これは英語でフープ(hoop)とかファーシィンゲール(far-thin-gale)と呼ばれ、基本的 には傘の張り骨と同じ構造であった。(張り骨を用いたスカートは16〜17世紀頃の 上流階級婦人間でも流行している)。  さて、紳士傘の開祖として歴史に名を残すジョナス・ハンウェイ(1786年没)だが、 彼が雨傘をさしてロンドンの街を歩いた18世紀中頃は、未だ傘は女性用であると するのが一般的であった。そのため、雨の日に馬車を用いないで傘をさすのは 「男らしくない」と批判され、妨害行為を受けたりした(馬車業者たちからは自分たち の商売を邪魔するものと見られた)。  ハンウェイと同じ頃、雨傘をさして訪れてきた友人を見た家の主は、思わず「彼はペ チコートを頭の上に掲げてきた!」と叫んでしまったというエピソードが語られている。 男が傘を使うのは「女々しいこと」だという当時の一般的な認識は、傘はもっぱら女性 が用いるファッション品であったことと併せて、その構造が張りスカート(ペチコート) と同じようなものであったことからも連想されるイメージだったのかもしれない。
(ニ)1840年代日本の傘事情    1840年代といえば、日本では天保から嘉永にかけた第十二代将軍家慶の時代に相当 する。その頃の日本の傘事情を寸見すると、越後屋江戸本店(のちの三越百貨店)の 「貸し傘」が有名になっており、天保4年(1833)上期の小口払い勘定に「傘870本、 同張替え195本」とあり、その代金として3,106貫30文が計上されている。  また、『天保十三年(1842)物価書上』には、大黒傘(番傘)の張替賃は10本に付き 1貫150文とある(100文が現在の約1000円相当か?)。弘化年間(1844〜47)には、 使用禁止されていた日傘が復活する。京都で100年、江戸で55年、大阪で14年ぶりの ことになる。  京阪間では「両天傘(晴雨両用)」が出る。また、女の半季奉公人のうち働きのよ い者は、各自で「紅葉傘」を所持できるようになっている。  嘉永年間(1948〜53)になると日傘が更に流行するに至り、男子間でも多く用いられた。 嘉永6年(1953)にはペリーが浦賀に来航、翌年は再来航して下田に上陸し、 日米和親条約を締結。樋畑翁輔のペリー等が上陸した時の様子を写生した  『彼理提督来朝図会』の中に「色黒くして蝙蝠の如く見ゆ」と説明書を付した蝙蝠傘 が描かれている。時代は安政、万延、慶応そして明治と移り、文明開化と相俟って大い に洋傘が流行するところとなる。

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