心斎橋みや竹 我が再生の記

心斎橋みや竹 kasaya.com 我が再生の記 【最終話】未 来 永 劫 つ づ く 道
傘屋の和ちゃん、我が再生の記「そして老舗は甦った・・・」

- 最 終 回 『未 来 永 劫 つ づ く 道』-





  屋号はいまも『心斎橋みや竹』である。

  心斎橋で育ててもらった人間、企業として、
  この冠をはずす気は毛頭ない。

 「みや竹さんは、心斎橋を離れたからこそ
  心斎橋を全国区にできた」

  そう言ってくれる人もいる。

    由緒ある街には
   「神戸元町風月堂」とか
   「東京銀座資生堂」といった
    名店があるように

  心斎橋のイメージアップができれば
  ご恩返しにもなる。

  さらに、心斎橋の名を借りるだけに
  恥ずかしい商売は絶対にできない。
  そのプレッシャーもあえて受けつづけていきたい。

    100年続いた老舗を開いた曽祖父は海を越え、
    アメリカに渡った。
    私はサイバー空間の大海原へと漕ぎ出した。 

 老舗を潰したこと、それはたしかに不幸なことだ。

  だが、逆にそのおかげで
  『心斎橋みや竹』には
  大阪だけでなく全国から
  お客さまが足を運んでくださるようになった。

  いまならご先祖さまに対して何ら恥じるところはない。
  潰した私をきっと許してくれると思う。 

 インターネット自体、今後どうなっていくのか不安もある。
  しかし、老舗の、
  そして心斎橋筋商店街の誇りを持ちつづける限り
  『心斎橋みや竹』は生き続ける。


  それがご先祖さまにも
  心斎橋にも
  報いる道だと信じている。 (完)






連載コラム購読ありがとうございました し あ わ せ サ イ ズ
今回をもちまして「我が再生の記」一旦完結させていただきます。ただこの ストーリーの続きはまだ進行中ですので、また将来纏めてみたいもんやねぇ 私は最近「成功すること」と「しあわせであること」は別ものであると思い はじめるようになりました。ネット上で大きな事業拡張に成功したといわれ る人が、実は必ずしも「しあわせ」でないことを知るようになったからです。 まわりの人を「しあわせ」に出来ないことを知ったからです。 私が欲しいものは、数字的な「成功」の部分ではないんです。私と私の家族 私を取り巻いて支援くださる方々、そして訪れていただくお客様のみなさま が、このネットを通じて「しあわせだ!」と心から思える事業サイズが理想。 私は「名代の寿司屋の大将」でありたい。腕利き寿司職人  さんが数名いてもお客様おひとりおひとりが暖簾をくぐる  姿を確かめて「いらっしゃい!」と大将がひとことお声  掛けができる。これが皆がしあわせだと言えるみや竹の  「成功」サイズだと思っています。  今後ともどうぞよろしくお願いします





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