「ささ元旦の朝じゃ、思う存分酒がのめるぞぉ」傘屋の和ちゃんのそんな思いは、脆くも崩れ去った。
起きあがった私を待っていたのは「凄まじい背中の激痛」
あいたたたたぁ、いたぁ
「えっ嘘やろ?嘘ちゃう?めでたい元旦早々からこれはきっと夢に違いない…」と再び布団をかぶるも、
痛みはひどくなるばかり、、慌ててトイレへかけこむもOssiccoがでーへん。
その時わたしは11月に症状が出た(当時はおさまった)
「尿管結石」の激痛である事実を悟る。うわーえらいこっちゃぁ
立っても激痛、寝ても激痛、座っても激痛、横むいても激痛、何しても激痛、正月早々嗚呼悲痛
(>_<)
その時、心理の中にふたりの私
●本音●…結石や、早う救急車を呼びなはれ・・いますぐ呼ぶんや
●理性●…こんな正月から救急車なんか呼んだらめちゃ恥ずかしい
もうちょっと辛抱せい
いつもは後者が勝つこともあるけど、今日だけは特別・・・本音で救急車を呼ぶ・・・でもまだ理性の神が抵抗を試みるのあった
私『す、すんません、救急車ですけど、サイレン鳴らさんと来てもらえまへんやろか』
救命士『それは規定により出来ません、華々しく鳴らして出動させていただきます!』あちゃー
かくしてドームで負傷担架退場になったスター選手のように、
ご近所さんの注目度200%の中で救急車に運び込まれた??!
それもめでたい元旦の朝から・・・あーなんて晴れがましく恥ずかしい
しかしその救急車の中でも、心理の中にふたりの私
●本音●…いたたたたた、いたたたた、早く病院お願いしまっさ
●邪悪●…をっ神風運転やな、乗り心地悪いけどちょっと爽快
激痛に顔が歪む中、救急車は○△記念病院に到着。すぐに救急患者搬送ドッグに
横付け。
顔をあげたら、そこには財前教授がいた。
「先生、背中が・・・Ossiccoが・・・アタタタ(大涙)」
「ケツから座薬、腕に点滴、痛みはおさまる。また痛くなったら何度でも救急車で来なさい」
「え。。。何度でも?そんな先生、診てください・・・
もっとちゃんと診てください。。。っせんせ」
私の懇願もむなしく、財前教授は扉の彼方のワルシャワへと
消えていったのである。
なんと点滴室は正月でも満床!へぇ・・元旦から
天井をみつめている意識朦朧の私の脳裏にいろんな幻想が
まず30年後の息子と娘が病床にたっていた。長男は私と同じ年である「おやじ、おやじ、大丈夫か?
そやから、無理したらアカンゆうたやろ」
「あーお父ちゃんも天からお迎えがきたんやなぁ、ええか光樹、こんな病かて笑って死ねるんや。
後は頼んだで」
次ぎにイラクの野戦病院の看護婦さんが出てきた。
「私達にクスリをください、クスリさえあれば、この子は助かるんです。」
「よっしゃ、いまこの点滴の管をはずしまっさかいな、残りをその子のために使うたげて・・」
潔い自分が誇らしくもあった
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っと夢から覚めた・・・
もう痛みは消えていました。はぁ良かった
というわけで・・・いま和ちゃんは結石と闘っています。でもご心配なく、ご存知のように
石さえ出てしまえば怖い病気でもなんでもありませんし、今とても元気です!
闘病というと暗いイメージがあるので、
「親病」路線で読者の皆様と、この結石を楽しみたいと思います。