傘屋さんへ行こう!

心斎橋みや竹 kasaya.com 傘屋さんへ行こう! サイトウ(東京都台東区)  




Shop Data
 Shop name :サイトウ(東京都台東区)
 Place : 東京都台東区入谷2-24-6
      
 Tel :TEL:03-3875-2618
 Established year
 :昭和20年

腕に自信あり 昭和20年創業の下町の洋傘店


東京の下町、入谷。その町の商店街「入谷金美館通り」に、傘の製造・卸・販売を手がける「サイトウ」(東京都台東区入谷2-24-6 TEL:03-3875-2618)はある。 店には約2000本の傘が並ぶ。ブランド傘や珍しいステッキ傘、使い勝手のよさそうな折りたたみ傘が所狭しと陳列されている。婦人傘が半分、紳士傘が3分の1。学童傘の品揃えも豊富だ。

「これはうちで作っているもの。晴雨兼用の高級描き絵傘ですよ。京友禅の伝統工芸師に岩絵の具を使って描かせている。30年くらい前から始めたかな。これはどこ傘屋にも置いてないよ」と、サイトウ(旧斉藤洋傘商事、昨年社名変更)の社長を務める斉藤元春さん(57歳)は胸を張る。他にも世界の名画を描いた自社製の傘などが、店内を彩る。

サイトウが洋傘の商売を始めたのは昭和20年。元春さんの父である元雄さんが創業者だ。戦争中に「洋傘修理組合」に事務所を貸すなど関係があったことから、骨などの修理材料を売ったり、修理自体を手がけるとともに、自社で完成品も作り、小売も始めた。 「傘は作れば飛ぶように売れる。うちの店にも仲買人が泊り込み、夜なべで作った傘を買占め、上野駅から地方の問屋に向けて発送する。そんな時代だった。修理材料もものすごく売れた。近くの吉原や山谷に傘を修理する人たちがたくさんいてね。朝になると、その人たちが100人くらい店の前に並んでいた」

昭和26年からは本格的に製造・卸を開始。30年代に入ると、世はまさに洋傘全盛期となり、サイトウも職人を中心に社員が50人という大所帯となった。 元春さんが父に代わって本格的に店を切り盛りするようになったのは昭和44年、18歳のときからだ。実に2歳のときから、洋傘作りの手伝いをしていたという元春さん。傘のことは製造も修理も熟知していていた。

「父は体が弱くてね。俺が20歳になるまで自分が持たないっていうもんだから、これは早く継ぐしかないと思ってね。本当は大学で原子物理学や遺伝学を勉強したかった。でも、それはかなわなかった。父ですか? 今は全く元気ですよ。去年までうちの会社の社長をしていて、今は会長。商店会の会長もやっている。だまされたんですよ(笑)」

サイトウの職人の数は5人と、全盛期に比べ大幅に減った。しかし、その腕の良さは全く衰えを見せない。評判を聞きつけて、映画やコンサート、CMで使う洋傘の制作依頼が舞い込むことも少なくない。また、全国から思いいれのある傘、形見の傘などの修理依頼も寄せられる。傘の修理は月20〜30本。多いときは100本になることもあるという。

「徹夜で直したり、作ったりすることもあるよ。俺が中縫いをすることもある。もう大変だよ。でも、こういうことは結局うちにしかできないから」 困った顔をしながらも、元春さんはどこか誇らしげだった。


「傘屋さんへ行こう」トップ