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心斎橋みや竹 kasaya.com 傘屋さんへ行こう! 小島洋傘店(神奈川県小田原市)




Shop Data
 Shop name :小島洋傘店(神奈川県小田原市)
 Place : 神奈川県小田原市栄町1-16-19
      
 Tel :TEL:0465-22-2891
 Established year
 :明治35年

洋傘一筋70年、腕利きの職人が傘を売る


小田原駅東口から延びる商店街を歩いてみる。小田原は古くからの宿場町であり、今も箱根観光の拠点。駅前には土産物店が並ぶ。それらを横目に商店街を奥に進む。すると、「銀座通り」と名付けられた道沿いに、目指す洋傘店が見えてくる。明治35(1902)年創業の老舗、小島洋傘店(神奈川県小田原市栄町1-16-19 TEL:0465-22-2891)である。 店では店主の小嶌太一郎さんが迎えてくれた。歳を聞くと3月で85歳という。「15歳の頃から学校に通いながら店主をしていたんだ。だから店をやってもう70年になるな」とも。人生も傘屋家業も大ベテランである。

小島洋傘店を開いたのは、太一郎さんの祖父にあたる荘吉さんだ。小島家は300年以上前の元禄の頃からお茶屋を営んできたが、10代目に当たる荘吉さんは時代の趨勢を読み、商売をガラリと変えた。

最初に店を出したのは、かつて小田原宿の中心地だった松原神社の前。そこから2度移転し、今の場所に落ち着いたのが昭和のはじめ。太一郎さんが3歳のときのことだ。 小島洋傘店では、製造も小売も展開。祖父は洋傘作りの名人で、太一郎さんはその手ほどきを受けて、店を継ぐ。父が東京で別の商売をしていたこともあり、早くから店の看板を背負うことになったのだ。

太一郎さんは、戦時中も店を閉めなかった。軍関係の仕事に従事しながらも、細々と商売を続けた。そして、戦後は資材を調達し、また傘の製造・販売を本格化させる。主要な洋傘骨メーカーと取引し、高品質な骨があると聞けばすぐに仕入れる。生地や手元のメーカーにも細かく注文を出し、良質なものを調達する。太一郎さんはそれらを祖父譲りの自慢の腕で組み立て、洋裁学校を出た妻のヒデ子さんも菊座やネームバンド作りを手伝う。いつしか小島洋傘店の傘は評判となり、地方の百貨店に品物が並ぶこともあった。

駅の看板広告、映画館のスライド広告なども積極的に活用した。その効果もあって店頭でもよく売れた。「ひと雨で100本売るときもあった。雨に降られた客が次々と入ってくるから、床がびしょ濡れのときも多かったな。早朝に傘がほしいと叩き起こされたり、深夜に売ってくれといわれたり。そんな時代だった」。

時代は変わり、15年前に製造はやめた。今は、昔から取引のある洋傘メーカーから届く品物で小売を続けている。店には1000本ほどの在庫があり、中には高級ブランド傘もある。それらがショーケースなどに整然と、見栄えよく並ぶ。その丁寧なディスプレイからは洋傘への愛情が伝わってくる。

もう店で作った傘は残っていないか。そう聞くと、「1本だけあるよ」と壁にかかった傘を手渡してくれた。手元は手にしっくりと馴染む。開くと見事な張りを見せ、縫製も抜群である。それは腕利きの洋傘職人の確かな証しだった。  


◆店主の小嶌太一郎さんと妻のヒデ子さん◆




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