目次
神話の中の海藻       ・・古事記より

ザナギ、イザナミ両神が広漠たる海洋の中へ「コーロコロ」と称えながら日本列島を生み。  ウケモチのカミの額に栗が生り、眉の上から蚕が生まれ、眼の中に稗が、腹の中 に稲が、陰(ほと)に麦、大豆、生豆が生る。  兄海彦の釣針をなくして叱られた山彦は、シオツチノオキナの助けを受け、海の神殿にゆき歓迎を受ける・・  

 神話は、変幻自在、荘厳雄大なスケールで我々を夢幻の境地へ誘い込んでゆきます。  

 残念ながら、海藻神話には奇抜なおとぎ話は少ないですが、荒涼たる月世界も、 かぐや姫の話で身近に感じられるようになり、先史時代の遺跡から発見された海藻 は、神話の息吹を受けてよみがえり、祖先のみずみずしい藻食状況を伝えてくれるのです。  

 古事記などによれば、出雲地方には遠い先史時代から移り住むアマ族がいたが、 そこへ大陸から大和朝廷と同系統とみられる出雲族が侵入してきました。   その首長大国主命(おおくにぬしのみこと)はアマの首長の娘タギリヒメと結婚 し、両族はそれぞれに農業漁業を営み、平和に暮らしていました。  

 島根半島(その昔は島で、国引きの神話がある)の西端、日御碕から、東端の美保関までの間は、沖にはタイ、サメ、スズキ等が遊泳し、磯には白魚、エビ、アワ ビ、ナマコの類が、海藻ではワカメ、アラメ、ミル、アマノリ等が、神代の昔から 豊富で、アマの本拠となっていました。  

 大国主命の子、事大主命(ことしろぬしのみこと)は美保関に宮殿を持っていて 、父の住む今の出雲大社方面との間を往復する途中、この半島の浦々に立ち寄り、 アマと共に語り、共にタイを釣り、海藻を採ったのです。

大主命は、釣り竿に鯛を抱えた姿のえびす様だといわれます。  あのえびすスマイルで、アマたちに親しみ、海産の振興をはかり、海藻採取を奨励 したのでした。  

 八世紀初めの「出雲国風土記」によれば、この半島(島根半島)には「海藻(に ぎめ・わかめのこと)海松(みる)紫菜(のり)凝海菜(こるもは)の類」が「至 りて(きわまりて)繁(さわ)にして、称(な)を尽くすべからず」という記載の通り、海藻が繁茂していて、これを採るのは「海子(アマ)」だと記しています。  

 出雲国家が、山陰山陽に勢力を伸ばし、全国の浦々ではアマが海産採取で平和に暮らしているところへ天孫族が渡来し、大和朝廷を建設します。  彼等は出雲国を降して国を譲らせ、アマ族の身分を保証し、海産採取を奨励したのです。  

 大国主命が、大和朝廷に国を譲り渡し、タギシの小浜に新宮殿を築いた時、出雲国の海人族の長は、お祝いにクシヤダマノカミを料理人としてさしだしました。   彼は鵜に変身し、海に潜り、海底の粘土をとってきて平カメをつくりました。

 次に、海布(め)の茎を刈り取り、火をおこすための臼をつくり、こもの茎で杵を つくって、それらで火をおこし、宮殿に明かりをともし、釣ってきた魚を料理して 大国主命にごちそうしたといいます。  

 海布(め)はワカメともアラメともいわれ、こもはホンダワラではないかと言わ れています。  ここでは食用にしたとは書かれていません。  また実際にこれで火がおこせたかどうかも確かではありません。  

 しかし、生活に欠かせない火に、海藻がかかわっていることは、海藻が人々にとっていかに大切なものであったかということを物語っています。  

 太古の昔から、日本人と海藻が深く結びついていたことは確かです。  

 さて、この後、天孫族と海人族との間で婚姻がなされ、子孫に「神武天皇」が生まれます。  両族が婚姻を深め融合する過程で、日本民族が海産物をよく愛好する体質、習慣 を体得して行くのです。

 神話時代のお話、古事記の中のお話です。