「空飛ぶじゅうたん」は東京メトロ日比谷線小伝馬町駅3番出口から徒歩およそ一分のところ、
中央区日本橋大伝馬町にあります。
江戸通りと人形町通りが交差する小伝馬町交差点の南側一帯を日本橋大伝馬町といいます。
現在の日本橋地区は幹線道路が走るビル街であり、高速道路が伝統ある橋の上をまたいでいるという、
江戸時代からみたら考えられない様相を呈しています。
しかし、それでも地区内を歩いてみると、
大伝馬町、小伝馬町、馬喰町、小網町、浜町、小舟町、堀留町、人形町・・・など、
往時を偲ばせる町名と共に、なかなかの情緒ある町です。
そんな現代の大伝馬町には、江戸時代から今なお続いているお店が、二つあります。
一軒は和紙博物館を備えた承応2年(1653年)創業の
小津和紙さん。
もう一軒は享保3年(1718年)将軍家より屋号を拝受した、刷毛をあつかう
江戸屋さん 。
両社とも旧日光街道沿いの昔ながらの場所に今もあります。
そして、その江戸屋さんから数軒先の同じ旧日光街道の並びに「空飛ぶじゅうたん」があります。
2006年はこの江戸最古の町ともいわれている大伝馬町が成立して400年にあたりました。
慶長8年(1603年)徳川家康が江戸に開幕。
翌9年、日本橋を五街道の起点と定めました。
街道の制と共に誕生したのが、宿場、伝馬、助郷などです。
ちょうど400年前の慶長11年(1606年)、隅田川河口の浜町一帯の埋立地が完成して後、
江戸城拡張に伴って、江戸城前から現在地に伝馬役が移されました。
伝馬とは公用の旅行者や物資の運搬のために人足と馬を提供し、宿から宿へ送る制度をいいます。
全国交通の要となった江戸でも、大伝馬町、小伝馬町が町としてその役に携わりました。
また、伝馬町の東隣の馬喰町では馬市が立ち、伝馬用の馬を供給していました。
伝馬役の任にあたったのが馬込勘解由らでした。
馬込氏は当時、江戸城近く現在の千代田区にあった、宝田村に住んでいましたが、
恵比寿宝田神社と一緒に大伝馬町に移転してきました。
祭神の恵比寿像は家康より拝受されたものと言われています。
伝統ある町内で現在最も有名なのが、この恵比寿宝田神社です。
毎年10月19、20日にもたれる祭礼に伴う
べったら市
は、年間を通じて一番大きなイベントとなります。
小さな神社ですが、露店もたくさん出て大変な賑わいとなっています。
また、馬込氏は三河(愛知県)の出身で、特産の三河木綿の売買に力を入れ、木綿問屋を開き、
これが後に、大伝馬町の木綿店と呼ばれる木綿問屋街へと発展していきました。
その様は安藤広重(1797〜1858)作の「東都大伝馬街繁栄の図」にも描かれています。
二千年以上の長い歴史をもつと言われる絹や羊毛など繊維製品のペルシャ絨毯が、
これら日本の伝統ある街並みに現在置かれているのも何か不思議な繋がりを覚えます。
諌鼓鳥(かんこどり)
江戸っ子の祭り好きは有名で数多くのお祭りがありますが、神田祭や山王祭りは、
その行列が江戸城内に入り、徳川将軍家の上覧をうけたことから別名天下祭りとよば
れ、特に有名でした。
その神田祭では、江戸でも歴史の深い大伝馬町が先頭をきることが決まりでした。
伝統ある大伝馬町の旦那衆はこの「諌鼓鳥山車」が今でも自慢のひとつです。
残念ながらその山車は現存せず、その代わり模型が江戸東京博物館に陳列展示されて
います。
天下祭りは明治22年、街の近代化に伴い電線の施設などの事情で行われなくなり、途
絶えていましたが、平成15年、江戸開府400年を記念して復活しました。
客が入らなくてさびしい状況を「閑古鳥が鳴く」といいますが、ほんとは「諌鼓鳥
(鶏)が鳴く」が正しいという説があります。そしてその意味はまったく異なるので
す。
古代中国の皇帝が「自分の施政に不満があればこれを叩いて知らせて欲しい」と宮廷
の門外に太鼓を置きました。けれども帝の善政に非を唱えるものはなく、太鼓は一度
も鳴らされることがありませんでした。 そして長い間に苔むし、鶏がやってきてそ
こで鳴くようになりました。この様を漢詩で「諌鼓苔深うして鳥驚かず」と詠まれ
ているようです。つまり、「諌鼓鳥が鳴く」は天下泰平で豊かな世の中をあらわして
いるという訳です。
このめでたい故事にならい今では全国の祭りの山車に「諌鼓」の上に鳥をのせた諌鼓
鳥の山車がでるようです。
太鼓は打ち鳴らしません。