230形機関車は、イギリスから輸入されたタンク式機関車をもとに、国内の使用条件に適合するように一部を改良して設計され、民間工場が国内で最初に量産化に成功した蒸気機関車です。製造元は汽車製造合資会社(現川崎重工株式会社)で、同社の大阪工場で明治35年から42年(1902-1909)にかけて量産が続けられ、51輌が製造されました。このうち旧国鉄には最終的に41輌が在籍していました。
この機関車は、もとは北越鉄道株式会社(現在の信越本線の一部)の発生により明治38年(1905)に「北越鉄道G形18号機関車」として製造されたものです。北越鉄道の国有鉄道編入後に「268号機関車」と改称されました。鳥栖にやってくる前にこの機関車が所属した機関区、運用路線については、残念ながら詳細を知ることはできません。鳥栖機関区には戦前、昭和10年大宇代(1935-1940)頃に配属されたようです。そして明治29年(1954)に配車除籍されるまで構内作業用の入換機関車として運用されました。 その後は昭和45年(1970)に鳥栖市役所前で展示公開されるまでの間、長らく鳥栖機関区構内に留置されていました。
268号機関車は、機関区・客貨車区・操車場などの大規模な旧国鉄業務機関が姿を消した今日、かつての鳥栖の繁栄の元となった「鉄道のまち」を想い起こさせる、鳥栖市内に残された唯一の記念物をもいえます。また、230形機関車は2両しか現存していない大変貴重な近代化遺産であることもあり、平成17年に鳥栖市重要文化財に指定されました。なお、現存するもう1両は明治36年(1903)製造の233号(国指定重要文化財)で、京都鉄道博物館(京都市)に製造当初の状態に復元して保存展示されています。
出典:鳥栖市教育委員会