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オリーブオイル(イメージ)
エクストラ ヴァージン オリーブ オイル(イメージ)

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オリーブオイル
OLIO D'OLIVA

イタリアを始め、地中海地域で最も重要な植物油、オリーブオイル。ローマ・ギリシャ神話にも登場する、人間の営みに必要不可欠な製品です。

オリーブの原産地は、西アジア(※1)と言われており、紀元前10000年頃には黒海沿岸地域を中心に自生しており、6-7000年ごろには、オリーブオイルに加工していたとされています。
オリーブオイルの栽培、精油で最も古い歴史があるのは、エーゲ文明(※2)の一つ、クレタ島で栄えた、ヨーロッパ最古の交易社会を持つ、ミノア文明(※3)であろうとされており、同文明で最も有名な銅とともに、主要交易品として扱われていたとされています。この時期、エジプトもおおいなる繁栄を遂げていた時代に重なるのですが、エジプトは海上移動を不得手としているため、銅加工、オリーブ精油、海運技術を、有したとしているミノス人が、ミノア文明が滅亡(※3)したとされる前1370年ごろまでの間、独占的に利益を享受した様です。
この時代から、もちろん、オリーブオイルは、神聖なる儀式の香油として、ハーブをつけて使用されたり、化粧品や医薬品などの類として、肌に塗ったり、摂取したりしていましたが、一般に食用として出回る品ではなく、高級品で、その恩恵を享受できるのは、一部の裕福な人々だけでした。
その数千年後、共和制ローマが当時の強大国、カルタゴに挑み、シチリアと言う豊饒なる広い大地を手に入れんと力を注いでいたころ、シチリアの小麦などの栽培品の量の多さと価格の安さで、競争力を失った、ローマ近郊の小麦畑に代わり、イタリア半島部にオリーブと葡萄の畑が広がりを見せました。その際もまだ、化粧品であり、医療品であり、寒さを和らげる、もしくは肌をきれいに保つためのクリームであり、灯火であったとされており、食用としてのオリーブオイルはいまだ、庶民の口に入る、一般的なものではなかったようで、長い歴史の中で、珍重されていたようです。
ローマ帝国時代には、全ての道がローマに通じるといわれる通り、石畳の道路が、軍事、通商の理由から敷設され、主要都市を結びます。 運搬方法、保存方法、容器の向上も手伝い、オリーブオイルは、交易における最も重要な製品の一つとなり、時には金貨の代わりにもなりました。

現在、オリーブ栽培は、南アフリカ、中国、ヴェトナム、南部オセアニア、北部・中部・南部アメリカなどなど、地中海地域を超え、南極大陸をのぞく全世界に達しています。 地球全体のオリーブの生産は、1900年代初めから少しずつ増え続けています。イタリアは、スペインと並んで世界のトップを誇り、ギリシャ、トルコ、チュニジア、モロッコ等が追随します。
イタリアの生産面積はおよそ、100万ha、年間生産量はおよそ2-300万トンの間を推移しています。
脂肪摂取量の増加とともに、油脂分の使用を控える傾向にある健康志向の現代、オリーブオイルは、最も選ばれる食用油の一つとなっています。

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(※1)起源には諸説あり、より広域を意味する、西アジアとされていることが多いようです。パレスティナ当たり、南コーカサス地方など、細かく書かれている場合もありますが、広義に解釈すると、西アジアには前述の両地方を含めて考えられることから、このあたりであるという認識があれば良いようです。ちなみに、南コーカサス地方とは、コーカサス山脈の南側一帯を指し、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア3国を意味します。また、オリーブの栽培、オリーブ油の搾油等の年代については、あくまで一説です。

(※2)古代ギリシアにおいて、最も古い文明で、トロイア、ミケーネ、ミノアという3大文明を指しています。前述3大文明の他にも、いくつか先史を持ち、紀元前2600年以上に遡ることができます。

(※3)紀元前2000年頃から、前1400年頃全盛を誇った、クレタ島のクノッソスを中心とする、王による専制政治により治められていた国家で、ヨーロッパで最古の海上交易国家であったとされています。紀元前1370年ごろ滅亡とされていますが、滅亡理由は不明。時期的に、近しいことから「アトランティス」や「ノアの箱舟」との関連性が考えられるとし、サントリーニ島の噴火による、地震、津波により滅亡したとか、その地震により神がかり的な力を感じた人間が、神の怒りを買っていると思われる、その地での生活を諦めたとか、たくさんの人が、歴史に思いを巡らせ、様々語られています。

(文責: 株式会社 メモス 西島)
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