■Wine Advocate レビュアーのご紹介■@(レビュアー・評論家)
■Robert M. Parker, Jr./ロバート M. パーカー, Jr.氏■


※Robert M. Parker, Jr./ロバート M. パーカー, Jr.氏

アメリカのメリーランド州ボルチモア出身。1947年7月23日生まれ。
メリーランド大学に通い、歴史を専攻、美術史を副専攻とする。

優秀な成績を収めて同大学を卒業した後、メリーランド大学法科大学院へ進み、1973年に卒業。
約10年半の間、弁護士、上席弁護士、ボルチモア農業信用銀行の総合弁護士補佐とキャリアを進めていく。
しかし、ワインの執筆に専念するため、1984年3月9日、総合弁護士補佐としての職を退く。

パーカーのワインへの興味は、1967年に当時の恋人(現在の妻)を訪ね、クリスマス休暇の1ヶ月間を
アルザスのストラスブール大学(フランス)で過ごしたことに始まる。

ワインについて執筆することを考え始めたパーカーは、1975年、ワインの独立系消費者ガイドを
スタートさせる。その主な背景にはワインのクオリティに関して信頼できる情報が不足していたことが
あげられる。彼の友人や家族は、弁護士としてのキャリアこそが最優先されるべきで
ワインの執筆は非現実的で利益にならない職業だと忠告している。

にもかかわらず、1978年にはワイン出版物という概念が生み出される。複数のワイン小売業者から
入手したメーリングリストをもとに、「ワイン・アドヴォケート」の創刊号を無料で配布。
1978年8月、当初の購読者数は600人以下だったという。

それから28年後、「ワイン・アドヴォケート」の会員数は50,000人を越え、
アメリカ全州のみならず、世界37カ国で愛読されている。今日「ワイン・アドヴォケート」は、
本格的にワインを楽しむ消費者の購入習慣や流行に最も影響力を持つとされ、その影響は
アメリカだけでなく、フランス、イギリス、スイス、日本、台湾、シンガポール、ロシア、
メキシコ、ブラジル、中国などにも広がっているといわれる。

パーカーはメリーランドで二ヶ月ごとに出版される「ワイン・アドヴォケート」のための執筆や
テイスティングに加え幅広く活動を行っている。「Food and Wine Magazine」や
アメリカで名高い「Business Week」の補助編集員、「The Field」(イギリス)への定期的な寄稿、
「L’Express」(フランス)の外国人初のワイン評論家、さらに、2006年からは「Business Week」
に毎週コラムを掲載している。

さらに、「Time」、「Newsweek」、「Atlantic Monthly」、「People」、「Money」、
「The Traveler」、「Changing Times」、「Esquire」、「GQ」、「Business Week」、
「Smart Money」、「The Robb Report」などの主要雑誌、「The Los Angeles Times」、
「USA Today」、「The Boston Globe」、「The New York Times」、「The Baltimore Sun」、
「The London Sunday Times」、「The Sunday Telegraphe」、「The Independent」、
「The Financial Times」、「Le Journal de Dimanche」、「L’Express」といった有名新聞、
「The Economist」、「Paris Match」、「Figaro」を含む、
事実上全てのヨーロッパの一流雑誌にて特集されている。

また、CBSテレビの「60 Minutes II」でも特集され、PBSテレビの「Charlie Rose Show」にも
ゲストとして頻繁に招かれている。彼の執筆哲学は常にシンプルだ。ワインやワイン相場に対して、
包括的で公平な観点から、意義深く正確な批判的論評や意見を述べることである。



ロバート・M・パーカーJr.はフランス大統領とイタリア大統領から、最高の栄誉である勲章を贈られた
歴史上唯一のワインライター兼評論家である。フランスのシラク大統領は、1999年3月29日、
パーカーにレジオンヌ・ドヌール勲章シュバリエ章を与えるための書類にサインし、1999年6月22日、
エリゼ宮殿にて直々に勲章を授与している。その際大統領は、
「ロバート・パーカーは世界で最も信奉され影響力のあるフランスワインの評論家である。

私自身、クリントン大統領にワインを選ぶことがあったが、その際、クリントン大統領は自分が
ワイン選ぶ時は真っ先にロバート・パーカーを参考にすると言ったのだ」と語っている。

2005年7月14日、シラク大統領はパーカーをレジオンヌ・ドヌール勲章の「オフィシエ」に
格上げしている。これは極めて稀なことであり、これまでパーカーがワインの執筆に尽くしてきた、
たぐいまれなる貢献と、世界中の消費者にフランスワインに関する知識を普及させたという功績が
認められたのである。また、1993年には今は亡きミッテラン元フランス大統領より
国家功労賞シュバリエ章を贈られている。

2002年には、イタリアのベルルスコーニ首相とチャンピ大統領から「ワイン・アドヴォケート」を
通じたイタリアワインの教育努力と認識向上への貢献を賞して
イタリアの功労勲章(Commendatore)を贈られている。
イタリア最高の栄誉を受けたワインライター/評論家はパーカーが歴史上初となる。

同年、彼はerobertparker.comを設立。Alexia.comによれば、
同サイトはワイン関係で最も訪問件数の多いサイトであるとのことだ。

1999年2月、「Los Angeles Times」のピューリッツァー賞受賞メディア評論家である
故デイヴィッド・ショーは、同紙一面にてロバート・M・パーカーJr.の特集を掲載。
デイヴィッド・ショーはワインに関して14冊の本を出版しており、アメリカはもとよりフランス、
日本、ドイツ、スウェーデン、ポーランド、中国、スペイン、韓国、
ロシアでも翻訳されベストセラーとなっている。

「Los Angeles Times」でショーはパーカーを次のように表現している。「消費者の強力な擁護者」
「世界中のあらゆる分野において最も強力な評論家」「官能主義者、情熱的なワイン愛好家であり、
西洋のワインの質を大き向上させ、ワインを飲む人々の関心、知識、教養を目覚ましく発展させた人物」。

2005年、ロバート・パーカーは彼の最新の著書となる
「The World’s Greatest Wine Estates: A Modern Perspective」(Simon & Schuster社)を出版。

2006年、母校であるメリーランド大学より、優秀な卒業生に贈られる
2006年度「Distinguished Alumnus Award」を受賞。

2004年、カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカはロバート・M・パーカーJr.の
名のもとにワイン教育の奨学金基金を設立。

ロバート・パーカーはメリーランド北部の郊外で、妻パトリシア、娘マイア、
そしてバセットハウンドやイングリッシュブルドッグたちと暮らしている。
彼は現在、ローヌ地方、プロバンス、ボルドー、カリフォルニアのワインを担当。

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■Wine Advocate レビュアーのご紹介■A(レビュアー・評論家)
■Antonio Galloni/アントニオ・ガローニ氏■


※Antonio Galloni/アントニオ・ガローニ氏

イタリアワインの小売業を営む両親とボルドーやローヌの偉大なワインを
こよなく愛する祖父を持つアントニオ・ガローニは早くからワインを身近に感じてきた。

10代のころから世界の主要なワイン生産地域についての書物を夢中になって読み、
高校のフランス語の授業では、
彼にとって初となるフランスワインに関するレポートを書いている。

その後、数年間レストラン業界で働くが、このことが彼のワインの知識を広げ、
特にアメリカワインについて学ぶ良い機会となった。

2000年から2003年の間はイタリアのミラノに住んだこともあって、
事実上全ての主要ワイン生産地を幅広く回り、多くの優れたワイナリーに足を運ぶ。

このことを通じて、アメリカではほとんど知られていない偉大なイタリアワインに
数多く触れ、その真の膨大さに気付く。

アメリカに戻りさらに学びを深めたいと意欲を燃やすアントニオは、
消費者が得られるイタリアワインの情報の不十分さに不満を募らせ、
自らがニュースレターを始める。

2004年には「ピエモンテ・レポート」第1号を刊行。
ピエモンテに関するアントニオの深い知識や造り手、収集価値のある古いワインに関する
彼の幅広い経験を盛り込んだ「ピエモンテ・レポート」は急速に人気を集め、
25カ国以上で愛読、ピエモンテワインを愛する人々に好まれるワインガイドとなる。

2006年、カバーするイタリアワインの地域をピエモンテ以外にも広げ始めた頃、
ロバート・パーカーから「ワイン・アドヴォケート」への招待を受ける。

バークリー音楽大学にて文学士号取得、
マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院にてMBA取得。
ニューヨーク市在住。

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■Wine Advocate レビュアーのご紹介■B(レビュアー・評論家)
■Karen MacNeil/カレン・マクニール氏■


※Karen MacNeil/カレン・マクニール氏

過去30年間ワインの執筆、コンサルティング、教育に従事。ワインや食品を扱った記事は
アメリカで50以上の雑誌や新聞に掲載。代表的なものには、
「The New York Times」「Food & Wine」「Saveur」「Town & Country」がある。

カレンは受賞作家でもあり、著書である「The Wine Bible」は、アメリカ国内で
45万部以上もの売上を記録したベストセラーである。完成まで10年の歳月をかけた
「The Wine Bible」は、アメリカ人著者によるワイン関係の本の中では最も包括的で
権威あるものとされている。

カレンがホストを務める「Wine, Food & Friends」(13回シリーズ、PBSにて全国放送)は
アメリカ初のワイン番組でありエミー賞も受賞している。2006年には書籍版
「Wine, Food & Friends」を出版。

本質的には教育者であるカレンは、ナパヴァレーにある
カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカにワイン専門の研究センター
(Rudd Center for Professional Wine Studies)を設立し理事を務める。

数百万ドルをかけて造られたこのワインセンターは「ワイン教育のハーバード」とも
呼ばれている。2007年にはナパヴァレー・ワイン教育者アカデミーを発足。

これは、世界中のワインインストラクターをナパヴァレーに集め、
一週間集中的に研究を行なうという世界的なワイン教育構想である。
彼女はアカデミーの創設者兼校長である。

さらに、全国的にワインセミナーを展開、対象には個人のみならず、
多くの企業(オラクル、アメリカン・エキスプレス、レクサス、メリルリンチ、
ゼネラルエレクトリック、タイム社、NBC、バイキング、JPモルガンなど)にも
講演を行なっている。

2008年はじめにはeRobertParker.comでの活動を開始。
ワイン学習のコンテンツやワインと食事の組み合わせ、ワイン業界のシンボル的な
人々とのビデオインタビューやテイスティングなどを提供している。

2004年、ジェームズ・ベアード財団の「ワインならびに蒸留酒に関する年間最優秀賞
(Outstanding Wine and Spirits Professional of the Year)」を受賞。
これはアメリカでワインの専門家に贈られる最高の栄誉である。

翌年、ヨーロッパワイン評議会(European Wine Council)の
「2005年度最優秀ワイン教育者賞(Wine Educator of the Year)」を受賞。
過去の受賞者にはジャーナリストであり「60 Minutes」出演のモーリー・セーファー、
映画監督のフランシス・フォード・コッポラ、ワイン生産者のロバート・モンダヴィがいる。

2007年にはワインに関する文芸への多大なる貢献を賞され、
ワイン鑑賞組合(Wine Appreciation Guild)よりワイン文芸賞(Wine Literary Award)を
贈られ、ヒュー・ジョンソン、ロバート・M・パーカーJr.、ジャンシス・ロビンソンといった
優秀な人々の仲間入りをする。

2008年にはインターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・コンペティションより
コミュニケーター・オブ・ザ・イヤー(Communicator of the Year)を受賞。
2004年「Time Magazine」に掲載されたプロフィールにて、
アメリカの「ブドウの伝道者」と命名されている。

上級公認ワイン専門家資格(Advanced Certified Wine Professional Degree)保有。

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■Wine Advocate レビュアーのご紹介■C(レビュアー・評論家)
■Neal Martin/ニール・マーティン氏■


※Neal Martin/ニール・マーティン氏

私が「ワインライター」だと言うと、何か特別な思い出話が出てくるのでは
ないかと期待する人がいるかもしれない。例えば、美食家でワイン通の貴族的な父が、
家の書斎で長男である私にイケムやラトゥールを一口飲ませてくれた運命的な一夜とか。

残念ながら私の子ども時代はグラスにワインが注がれることはなく、
実際には20代半ばまでワインに親しむことすらなかった。酒といえば安いシードルや、
サンデーロースト(イギリスの家庭料理)と一緒に飲むリープフラウミルヒのことで、
特別な時ですらどこにでもあるマテウス・ロゼくらいだった。

この習慣はなぜか今日に至るまで続いている。私は1971年2月12日に長男として生まれた。
過小評価されているヴィンテージである。子どもの頃はイギリスのエセックスにある
海岸沿い町、リー・オン・シーで、平凡ながら楽しい少年時代を過ごした。

町にあるものといえば、干潟や貝を売る小屋、ぱっとしないナイトクラブ、
厳しい保守主義だ。学力はそこそこだったが、ウェストクリフ高校という男子校に
入学できたおかげでグラマースクールの教育を受けることができた。

その学校は伝統的な保守主義の価値観を教えており、男子生徒がやましい考えを抱いて
女子生徒に手を出さないよう、隣の女子高とは隔離されていた。

思春期にはニキビと音楽への情熱が芽生え出した。特に音楽は今でも大好きで、
空き部屋には古いレコードが何百枚も山のように積み重なっている。

かつてはDJをしていた私の音楽の好みは、かなり多岐にわたるものの良いものばかりだ。
年齢を重ねても新たな音楽への燃えるような熱い思い依然衰えない。

1989年、ウォーリック大学に入学、その後2年間をコベントリーで過ごした。
この町は第二次世界大戦後の復興から新しい建物ばかりになり風情がなくなってしまった。
ルビーポートやボルスブルーを飲んで酔っ払って過ごした当時、一年目は留年したものの
無事卒業。キャリアプランにあまり役に立たないような
「2:1」の成績を経営科学で取得した。

1994年、東京で英語教師として働き、異文化にどっぷりと浸かって以来、
日本は第二の故郷のようなものだ。日本ではそれなりに忙しい日々を過ごして帰国。
1996年には、世界一つまらない保険の仕事としか言いようのない職務に仮就職し
試用期間をしていた。その頃、ある機会が巡ってきた。
日本の輸出商社でワインを担当しないかというのだ。

「ノー」なんて言うわけがない。
そして驚くなかれ、私は自分が何をしているか皆目検討もつかないままに、
「ラトゥール」や「ペトリュス」といったワインを、軽率にも途方もない量で調達して
しまったのである。

そこで、WSET(ワイン・アンド・スピリッツ・エデュケーション・トラスト)の資格を
取るためにバタシーカレッジに入学。何度か指導を受けるうちに、ワインへの情熱につながる
導火線に火がついた。さらに、突然のひらめきにも似た悟りのようなものを
私にもたらしてくれたワインがシャトー・モンローズ1982だった。

その時私の視覚と嗅覚はたちまち開かれ、ブドウの発酵ジュースに恋をしたのだ。
オフィスに戻った私はサンテステフの余韻が覚めやらぬうちに、
今回の記念にテイスティングノートを書いたのだが、この時自分でも知らぬ間に、
この先の私を形作る新たな自分が生まれようとしていたのである。

それから4年後、WESTの学位を取得。そしてヨーロッパのワイン生産地を定期的にまわり、
ほとんど全ての主だったボルドーのシャトーを一度ならず訪れた。

その度にテイスティングノートを取り続けたが、それは公文書保管員のような自分の性格を
満足させていただけで、その以外に特に理由はなかった。

2003年6月、ある退屈な雨の月曜日の午後、私は独立系のワインサイトwine-journal.comを
スタートさせ、その閲覧者はいつの間にか10万人を超えていた。
その3年後、私は世界で最も影響力のあるワイン評論家ロバート・パーカーに声を掛けられる。

現在はサリー(イギリス)のギルドフォードに家族と暮らしている。
妻トモコは彼女自身も才能あるテイスターだ。2005ヴィンテージの娘リリーは、
ペトリュス2000が大好きで、もう一人の娘、2007ヴィンテージのデイジーはまだワインを全く受けつけない。

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■Wine Advocate レビュアーのご紹介■D(レビュアー・評論家)
■Jay Miller/ジェイ・ミラー氏■


※Jay Miller/ジェイ・ミラー氏

1967年、ロサンゼルスのカリフォルニア大学にて学士号を取得、
その後メリーランド大学カレッジパーク校にて、1970年に修士課程、
1972年に博士課程を修了。

1973年から1998年までは、青少年や家族向けにセラピーを行なう臨床心理学者
として働く(1998年から2001年までは同職をパートタイムで勤務)。

ワイン業界に足を踏み入れたのは、1977年メリーランド州ボルチモアの
ウェルズ・ディスカウント・リカーズ(Wells Discount Liquors)でパートタイムの
ワインコンサルタントとして働き始めたことからで、

1980年には同州のコッキーズビルにある
カルバート・ディスカウント・リカーズ(Calvert Discount Liquors)に移り、
そこでもワインコンサルタントとして5年間の経験を積む。

1985年、ワイン・アドヴォケートでロバート・M・パーカーJr.の
パートタイムのアシスタントになるが、1998年、メリーランド州コロンビアの
ザ・ワイン・ソース(The Wine Source)にてワインの販売に専念するため
アシスタントの仕事を辞める。

2001年には同州ボルチモアのビン604ワインセラーズ(Bin 604 Wine Sellers)の
共同所有者兼マネージャーになる。現在、オレゴン、ワシントン、スペイン、
オーストラリア、南アメリカ、ヴィンテージ・ポートを担当。

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■Wine Advocate レビュアーのご紹介■E(レビュアー・評論家)
■Lisa Perrotti-Brown MW/リサ・ペロッティ・ブラウン氏■


※Lisa Perrotti-Brown MW/リサ・ペロッティ・ブラウン氏

アメリカのメイン州郊外で生まれ育つ。同州にあるコルビー大学で英文学の学位をとり
1989年に卒業。イギリスのロンドンに引越し劇作家を志す。

ロンドンの「フリンジ」で彼女の脚本がいくつか演じられたが、それでも家賃や
大学費用のローンで金銭的に苦しかったため他に職を探す。その頃、友人に紹介された
ワインバーで働くこととなり、やがてそのバーのマネージャーとなる。

すぐにワインは彼女にとって単に給料をもたらすもの以上の存在となる。
もっとワインの経験がほしいという情熱から、彼女はロンドンの
WSET(ワイン・アンド・スピリッツ・エジュケーション・トラスト)で学び、学位も取得。

また、ロンドンで非常に古い伝統を誇るサプライヤーで購入販売担当として働き、その後も
ロンドンのワイン業界で、計12年間、販売やマーケティングなどの多くの仕事に携わる。

2002年、東京に移り住み、国内でも最もクオリティの高いワインを販売する
ワイン輸入業者で仕入れ担当となる。同時に東京のアカデミー・デュ・ヴァンで
非常勤のワイン講師としても働く。

彼女は日本のワイン生産地を回り、やがて、地元ブドウ産ワインの品質向上のための、
ブドウ栽培やワイン造りのプロジェクトに関わるようになる。

さらに、東京を拠点にアジア各地を訪れるチャンスにも恵まれ、
型にはまらないワインの楽しみへとつながる多くの文化や機会を発見していく。

現在、彼女のアジアにおけるワイン探索の拠点は、東京からシンガポールへと移った。
5年以上の歳月をかけて勉強やテイスティング、試験に励んだ結果、2008年9月、
リサ・ペロッティ・ブラウンはマスター・オブ・ワインの資格を取得。

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■Wine Advocate レビュアーのご紹介■F(レビュアー・評論家)
■David Schildknecht/デイヴィッド・シルドクネヒト氏■


※David Schildknecht/デイヴィッド・シルドクネヒト氏

短い学生生活を過ごし、数年間レストラン関係の仕事を経験した後、
デイヴィッド・シルクドネヒトは1982年以降10年以上もの間、ワシントンDCで
レックス・ワイン・アンド・スピリッツ(Rex Wine & Spirits)や
メイフラワー・ワイン・アンド・スピリッツ(Mayflower Wine and Spirits)、
ピアソンズ(Pearson’s)といった店でワインの小売業に従事した。

ワシントンDC近郊で育った彼はこれをきっかけに自分のルーツを再発見してゆく。
当時のワシントンで働くというのはとても刺激的なことである。彼はワインへの理解を
深めるとともに、身近に頻繁に行き交うワイン関係の有名人や、ロバート・パーカーのように
首都近郊を拠点に桁外れの名声を手に入れる人物を目の当たりにしてきた。

1990年から1996年にかけて、ワイン・アドヴォケートにデイヴィッドがドイツの生産者を
定期的に紹介しているが、これは、ロバート・パーカーのワインに対する情熱や情報提供、
力添えに感謝して同様のもので報いたいというデイヴィッドの気持ちであり、
それがデイヴィッドにとっての喜びでもあった。

1993年、デイヴィッドは家族6人で引越し、小売活動の場をオハイオ川の川岸に移した。
そして、ケンタッキーのベルビューにあるザ・パーティ・ソース(The Party Source)
において、ワイン関係の企画やラインナップを幅広く充実させた。

また、1997年から2002年の間は、「Wine & Spirits」と
「the International Wine Cellar」に、オーストリア、ドイツ、
ハンガリーのワインレポートを書き、さらに、オハイオのシンシナティにある
ワインの輸入販売業者ヴィントナー・セレクト(Vintner Select)のために
フランスワインの仕入れも行なっている(仕入れ以外でも数多くの仕事をこなしている)。

デイヴィッドは販売の仕事を始めたばかりのような頃からワインについての記事を出している。
1984年、「Friends of Wine」にアルザスに関する記事が掲載され、
また、ステファン・タンザーの「International (当時はNew York)Wine Cellar」でも

徐々にコメントが発表されていった。後者については、1986年の時点でアルザスを
担当していたが、後にドイツ、ボルドーも担当し、しばしばカリフォルニアやハンガリーに
関する記事も書いている。特にドイツ(1989年から)やオーストリア(1997年)に関する
デイヴィッドの包括的なヴィンテージレポートは欠かせない項目となる。

デイヴィッドはアルザスやブルゴーニュ、ロワールのワインに関して、4半世紀もの間、
その深遠な知識と愛情を持ち続けている。ロバート・パーカーと同様、彼が初めて訪れた
ワイン産地はアルザスであり、1990年6月発行のワイン・アドヴォケートには、
「(デイヴィッドが働く店の)国内最大規模の豊富なアルザスワインのセレクションは
彼の力によるところが大きい」といったコメントを掲載されている。

また、1980年代はじめ頃、先駆者的なワイン輸入業者ら
(Robert Chadderdon、Robert Haas、Robert Kacher、Becky Wassermanなど)と
関わりを持ち出してからは、ブルゴーニュにも魅了され、毎年その地を訪れるようになる。

影響力ある作品「ブルゴーニュ(Burgundy)」の執筆者アンソニー・ハンソンは、
その第2版(1995年)の中でデイヴィッドに謝辞を述べている。

さらに、「Wine Spectator」(1995年10月31日号)では、マット・クレイマーが
「ブルゴーニュワインと同様、これほど熱心に数多くのロワールワインを薦めてくる
小売業者は、おそらく他にいないのではないか」と書いている。過去15年間は、

ラングドック・ルーションやシャンパーニュにも目を向け、訪問回数を増やしている
(特に、シャンパーニュは世界有数のワイン産地ということよりも、
単なるブランド物の祝い酒としか見られないことが多い)。

デイヴィッドは常々トレンドを見出すことに積極的に取り組み、ほとんど知られていない
産地を強く支持して、いまだ予期せぬワインの豊かさに消費者を導きたいと切望していた。

そのため、これまで多くのワイン関係誌から不当に見過ごされてきた地域である
中央ヨーロッパや北アメリカのロッキー山脈以東についての記事を書くよう
ロバート・パーカーから誘いを受けた際、これを喜んで受けたのである。

そして2006年6月、デイヴィッドが手掛けたニューヨークのワインに関する記事が
ワイン・アドヴォケートに掲載され、ハンガリー、スロヴァキア、スロヴェニアワインの
コメントがその後続いた。

彼は同様の冒険心から、現在成長著しいニュージーランドと南アフリカのワインを担当する
ことも引き受けている(当時はまだ訪れたこともない地域だった)。

デイヴィッドはジャーナリズム部門でジェームズ・ベアード・アワードの最終選考に残り、
また、ヴィネア・ヴァッハウの2006 Steinfederpreisを受賞、さらに、新しく出版された
「The Oxford Companion to Wine」第3版の執筆も手がけている。

近年では、ワインへの見解など(後に北アメリカを担当するライターとしての
コラムも含むようになる)が「The World of Fine Wine」(イギリス)に掲載されたり、
erobertparker.comやjancisrobinson.com(リンクを張ってください)といったサイトで
定期的に紹介されたりするようになる。

2006年の秋には、「Vinaria」(オーストリア)
にも掲載されるようになり、ドイツ語圏の人々にも受け入れられる。最近では、
以前携わっていた哲学の分野をワインにからめて研究することを始め、そうしたことから、
UCデイヴィスで試験的に設けられた美学コースの客員講師として招かれている。

ワイン・アドヴォケートに掲載されたデイヴィッドの最初のレポート
(2004ヴィンテージ)は、彼が毎年行なっていたドイツの定期テイスティングツアー
(一回の訪問につき、平均約70以上のワイナリーを訪問)の21回目と、
オーストリアのツアーの9回目をもとに書かれたものである。めったに汗をかかない彼だが、
さすがに試飲するワインの数が3桁を超えるか、100点を獲得するワインが
出ると汗が流れるようだ。

また、一度だけ、デイヴィッドはしびれた足で、手にグラスを持ったまま、
凍えるような寒さのセラーの中で居眠りしかけたことがある。

それ以来、彼はまったく音のない静寂の中で、何千時間ものテイスティングコメントを
録音するようになった。ワイン・アドヴォケートを通して新たに意見を人々に伝える
ことができるようになったことから、この大変な録音作業は今後も続きそうである。

1990年代半ば、ロバート・パーカーはデイヴィッドのことを
「伝説的なテイスティング能力」「レーザーのような正確さ」と称賛し、
「パートタイムのワインライターということに純粋に満足していることを嬉しく思う」
と締めくくっている。しかし、この事実はもはや当てはまらない。

それは、デイヴィッドがワイン・アドヴォケートで、チームのフルタイムメンバーの
一員になるという、特異な機会に恵まれたからだ。

彼は現在、ドイツ、オーストリア、東ヨーロッパ、アメリカ東部と中西部のワイナリー、
アルザス、ブルゴーニュ、ロワール・ヴァレー、ラングドック・ルーション、
シャンパーニュ、ニュージーランド、南アフリカのワインを担当。

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■Wine Advocate レビュアーのご紹介■G(レビュアー・評論家)
■Mark Squires/マーク・スクワイヤー氏■


※Mark Squires/マーク・スクワイヤー氏

マーク・スクワイヤーはフィラデルフィアで1978年度卒の弁護士となったが、
現在はほとんど弁護士としての活動を行なっていない。彼は1981年に
フランスを広範囲にわたり旅行しはじめたが、当時唯一飲んでいたワインといえば
ボッラ・ソアーヴェやムートン・カデといったもので、
それらを(一般的に好まれていたマテウス・ロゼとは違って)良いワインだと
思っていたという。

しかし、言うまでもないが、フランスのソムリエはそのようなことに満足はせず、
マークに自分達の良いワインを良い食事とともに味わうよう強く主張した。

それに従ったマークは、たちまちワインのとりことなり、
彼にとってワインが単なる趣味から熱中するものへと変わったのである。

マークは以前「Prodigy’s Wine Forum(プロディジーズ・ワイン・フォーラム)」の
リーダーを務めていたことがあり、15年以上もの間ワインを教えていた。

様々な新聞雑誌に数多くの記事も寄せていたが、1995年頃に自身のホームページを
立ち上げてからは、そういった彼の主な作品はオンラインで掲載されていき、
数年後にはサイトに掲示板も追加された。

人気コーナーとなったこの掲示板は、現在eRobertParker.comで閲覧可能。
彼のサイトは世界中の読者やマスコミの関心を引いた。

また、しばしば地元の団体や個人を対象にワインセミナーを行い、
いろいろな場面でワインコンサルタントとして活躍している。
また、10年ほど専門的にワインの評論も手掛けており、
大手の出版物に掲載されている。

2006年にはロバート・パーカーからワイン・アドヴォケートで
ポルトガルの白ワイン(辛口)を担当するよう依頼を受ける。

マークは、これも仕事であることには変わりないが、
全くタイプの異なる仕事だと言っている。

2006年6月、ワインのテイスティングやリサーチのためドウロを
訪問した彼は、高い評価を受けているポエイラの
醸造家ホルヘ・モレイラ宅に滞在するという機会があった。

ある朝、ホルヘが「仕事の時間だ」といってワインを数本持ち出したところ、
マークは「これは仕事ではありません。ドウロで人々が収穫をしているでしょう。
あれが仕事です。」と言ったという。

2007年からはイスラエルも担当、さらに、2008年にはギリシャ、
レバノン、キプロス、ブルガリア、ルーマニアが担当地域に加わる。

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■Wine Advocate レビュアーのご紹介■H(レビュアー・評論家)
■Kevin Zraly/ケヴィン・ズラーリ氏■


※Kevin Zraly/ケヴィン・ズラーリ氏

ケヴィン・ズラーリはおそらく世界でもっとも有名なワイン関係の教育者である。
彼はニューヨークのワールドトレードセンターの上層階にあった
「ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド」というレストランで、1976年から
ビルが攻撃された2001年9月11日までワインディレクターを務めていた。

また、「ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド・ワインスクール」の設立者であり、
講師でもある。現在、スクールは設立30周年を迎え、コースを
修了した生徒の数は19,000人を超える。

さらに、著書の
「ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド・コンプリート・ワイン・コース」は
300万部以上も販売されている。

1990年からカリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ
評議員会の一人になる。

過去の受賞歴には、ジェームズ・ベアード財団の
「ワインならびに蒸留酒に関する年間最優秀賞
(Wine and Spirits Professional of the Year)」や、
ヨーロッパワイン評議会(European Wine Council)の功労賞
(Lifetime Achievement Award)が挙げられる。

また、「The New York Times」、「People」、「The Wall Street Journal」、
「USA Today」、「GQ」、「Newsweek」といった雑誌でも特集されている。

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■Wine Advocate レビュアーのご紹介■I(レビュアー・評論家)
■Monica Larner/モニカ・ラーナー氏■


※Monica Larner/モニカ・ラーナー氏

戦争の風により11歳でイタリアに届け、モニカラーナーは彼女の故郷に
彼女の人生の大半を生きてきた。 ロサンゼルス出身で、彼女の家族は彼女の父、
写真ドハノスラーナー(バッドランズ、ルーツ、北と南とボールズ...)の
ディレクターに1983年第二次世界大戦のTVミニシリーズのおかげで
撮影のためにローマに移動。

パリとモニカの映画学生がワインの培養に深い感謝を祝った家庭で
育ったように彼女の父親は、ワインと恋に落ちた。 道路の旅行はナパと
ソノマにした、彼女の母親がしぶしぶパントリースペースが降伏した後、
家族の台所のかなりの部分は、彼女の父のセラーを収容するためにオフに壁した。

イタリアとカリフォルニアの両方で高校卒業後、モニカがそれぞれボストン大学と
ニューヨーク大学でジャーナリズム(イタリアの研究ではマイナーとMA)で
彼女の学部と大学院学位を取得しています。

コードと優れたジャーナリズムの倫理のコミットされた学生は、
彼女は彼女の署名欄は、アンティノリのワインを詳しく見てを含む
ビジネスウィークローマ支局(レポーターとして4年間、続いて
イタリアの毎日のラ・レプブリカのために働くようになった王朝)。

彼女は彼女の最初のワインコラムを書いた
インターナショナル・ヘラルド・トリビューンのイタリアの毎日と
スタッフライターとして2年を過ごした。 彼女はフリーランスのライターとして、
その次のフランスに移住。

モニカOrdineデイGiornalistiの活発なメンバーであり、彼女の社会生活の多くは
イタリアの外国記者協会のコミュニティにリンクされています。

彼女はイタリアソムリエ協会認定ソムリエである。 彼女のキャリアの次の段階は、
彼女が勉強してイタリア (ヘンリーホルト) での作業と
イタリア (リッツォーリ米国) での愛では、リビングなどの執筆4の
ガイドブックのためのイタリア半島のすべての忘れられたコーナーに強烈な旅行を
特徴とした。 モニカ50,000画像の写真アーカイブを作成:モニカについて
書かれたり写真撮影していないんイタリアの都市、地域や島はありません。

1997年には、彼女の父は退職し、彼女の両親は、ラーナーのワインを作る
生涯の夢を果たすためにバラードキャニオン、
サンタバーバラ(カリフォルニア州)の美しい134エーカーの牧場を購入しました。

モニカはブドウ園、選択したクローンセット非常線、プルーン、トラップホリネズミ
およびすべての残りの部分を確立することができました。

スティーヴンラーナーは今日、2005年にブドウ園事故で悲劇的に死亡した、
モニカのオノロジスト弟マイケルは家族のワイン事業を管理します。

2003年には、モニカが同誌の最初のイタリアベースの特派ことがワイン愛好家に
よって近づかれた正式エディタジョーザウインスキーを管理することによって、
100点スコアリングシステムを使用するように訓練された。

今後10年間の間に、彼女の試飲責任は(全体の16,000に公開レビュー総額)
年間3000ワインに成長した。 彼女はローマのコロッセオ近く試飲局を設置し、
遠く離れたワインのゾーンへの彼女の強烈な旅を続けた。

彼女の最も誇らしい成果は、
185ページのスペシャル・コレクターズ・ ワインエンスージアストの
仕事の彼女の10年に及ぶボディを展示する「イタリアワイン」版です。

彼女は「ベスト・インターナショナルジャーナリスト"シルバーグレープリーフを
3回受賞した-任意の個体よりも-名門Comitatoグランディ・クリュ・デ・イタリア 、
130のトップ生産者の会合によりガンベロロッソ 」 は 、
イタリアの優秀指導者」として彼女を認識した。非イタリア語、
イタリア貿易振興会は稀成果は、イタリアワインに彼女功労を認めた。

土着のブドウ、伝統と多様な地域の豊かな遺産-モニカは彼女がイタリアの競争上の
優位性として見ているものを通信するためにワイン愛好家の
イタリア・エディターとしての彼女のプラットフォームを使用していました。

彼女はしっかりと激化勢いが進行中のイタリアワイン中黄金時代のための
段階を設定するものと考えております。

2013年に、彼女はイタリアの校閲などのワインアドヴォケイトに参加しました。
彼女の望みは、彼女は彼女がブドウの魅惑的な物語を通して愛する国の魂を
キャプチャするために、いくつかの小さな部分で、できることである。

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『ザ・ワイン・アドヴォケイト』とはワイン購入情報誌(1978年米国発刊)(PPとはパーカーポイントの略語)
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