▼初上演によせて 深町 修司
民話は語りつがれるところに、生命のよみがえりがある。小泉小太郎の話は、山並によって隔たっている信州塩田平と、同じく信州安曇野に長いこと語り伝えられて来た二つの伝承が一つに結ばれて成り立った壮大な民話と言える。
1960年代の始めにこの民話の再話に深くかかわった松谷みよ子さんによって、さらにスケールの大きい長篇童話「龍の子太郎」が誕生した。しかしこの童話の元になっているのが、小泉小太郎の話しであることは、あまり多くの人々に知られていない。
この度、独鈷山(とっこざん)のふもとにある銀河工房の小林寛恵さんによって、1960年に上田市の中塩田小学校の6年生が、影絵劇として初上演した(深町修司指導)小泉小太郎の話を、現代の子どもや大人達に紙芝居という古くて新しい表現方法で、この民話の生命の語りつぎをしようと台本の脚色が完成した。
一方この物語に深く感動した画家(元小学校美術教師)白井信吾氏が、この紙芝居台本を読みこなし、暑いさなかに半月ほどかけて16枚の絵を創作してくれた。油絵が専門である彼が、民話らしい深いモノトーンな色彩で、しかも遠くで見る子どもらにもはっきり見えるようにと、初めての切り絵に挑戦して仕上げてくれた。
この紙芝居の上演者の小林寛恵さんは、上田市の川辺小学校での私の教え子で、小泉小太郎が生れて流れ下った産川で子供時代水遊びをし、独鈷山を毎日眺め育っている。まさにこの話の舞台で生れ育ち実感をこめて表現出来る適役者である。
ところで8月のお盆に銀河工房を訪れた際に、バックにミュージックが欲しいという話しが出て、たまたま同行していた私の倅、浩司(打楽器奏者)が幼い時に聞いた物語だから、専門ではないがお手伝いしようということになり、半月ほどしてバックの音を作ってcdにして送ってくれた。
私が40年前に手がけた民話の物語を、教え子である寛恵さんが脚色し、友人である白井君が絵を作ってくれ、倅まで音づくりに参加し、再びあの遠い日の「小泉小太郎物語」が、命を燃え上がらせてくれることを思うと、胸がときめき熱くなる。
時まさに燃えるような紅葉の秋、場所は小太郎が誕生した「くら淵」の奥、独鈷山のふもとの銀河工房の野外シアターで、2000年芸術教育の会の旅の人々を迎えての初公開、どう上演されても喝采を送ろう。小泉小太郎の新しい命が21世紀に向けてよみがえるのだから。(2000年10月29日 初上演) |