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手袋職人の街 香川県白鳥町

手袋の町・香川県白鳥町について

讃岐うどんで有名な香川県、もうひとつ特産品があることをご存知ですか?

白鳥町→東かがわ市 香川県の東側、東讃地区周辺のここ白鳥町は、
平成15年、隣りあう大内町、引田町との合併により、
東かがわ市となりました。

この東かがわ市一帯は全国シェア90%を占める
手袋の一大産地であり、
グローブといえば白鳥町といわれるほどで

白鳥神社の境内には、なんと、手袋神社まであるのです。

そこで少し、手袋の町・白鳥のシンボルである、
手袋神社の由来をご紹介させていただきます。

手袋産業の始まり

明石タケノ明治19年、白鳥村にある千光寺の副住職、両児舜礼(フタゴシュンレイ) は、寺の近くに住む 明石タケノに恋をし大阪へ駆け落ちしました。
二人は生活費を稼ぐために、舜礼は托鉢に、タケノは隣家のメリヤス製品の賃縫いをはじめました。

しばらくして、舜礼はこのメリヤス製品に着目し、托鉢をやめてメリヤス手袋の製造に専念するようになりました。

手廻しミシン当時の手袋はてぐつ(手靴)といわれた指無し手袋で、一つ一つ型紙にあわせて鋏で摘み、手廻しミシンで縫うといった、まったくの手仕事で量産は困難でした。
しかし、船場商人を通じてよく売れ、舜礼はメリヤス手袋製造業の将来は明るいと見て、
家業とし拡大する決心をしたのです。

明治24年1月、父の仏事に帰郷した際に舜礼は、 従兄弟の棚次辰吉(当時18歳)、タケノの親類筋の寺井カネ(当時18歳)、六車ルイ(当時19歳)の3名を雇入れて大阪へ連れ帰りました。
その後、 家業を拡大し本格的にメリヤス手袋製造業への経営に移りました。
しかし舜礼はその年の6月、脳涙結昌病というめずらしい病気で39歳の短い生涯を閉じたのです。

白鳥町・手袋産業の発展

棚次辰吉舜礼の急死後、
従兄弟の棚次辰吉が、未亡人明石タケノを助けてメリヤス手袋製造業を継ぐこととなりました。
その後、実質的後継者として手袋製造業の経営をはじめた棚次辰吉でしたが、干し大根でつくる「ハリハリ」だけがおかずの日々という苦闘の末、大阪における手袋産業の地位を築きあげることに成功しました。
当時の手袋工場
明治32年、棚次辰吉は故郷・白鳥町に錦を飾り、当時、衰退期にあった製塩業に従事する塩業民救済のため、松原村の教蓮寺住職・楠正雄と村長・橋本安兵衛の協力を得て、教蓮寺境内に手袋製造所「積善商会(シャクゼンショウカイ)」を開設しました。

そして、ここに初めて香川・東讃地区での手袋製造が始まることとなったのです。

手袋製造業の種をまき、育てあげることに情熱を注いだ棚次辰吉は、その後[軽便飾縫機]など新しいミシンを発明し、世界特許をとるなど、視野を広く世界に開き、欧米諸国を視察して先進技術の研究導入にも力を注ぎました。

また、ミシン以外にもセーム加工機、手の大きさ測定器など24種類にわたる特許権を取得するなど経営者としては勿論、技術者としても業界発展のために貢献し、大きな足跡を残したのです。

功績をたたえて手袋神社の建設

手袋神社
昭和9年、手袋創始者・両児舜礼の仁徳を称え白鳥神社裏の社叢に碑を建てました。

その後、昭和32年には棚次辰吉の功績を顕彰し、また後輩の激励に資するため、舜礼の碑の西隣に銅像が建立されました。


舜礼の碑・棚次辰吉の銅像は総称して手袋神社と呼ばれ、
三里の松原の一角より白鳥町の手袋界の発展を見守っているのです。


白鳥町マップ
銅像


資料提供:日本手袋工業組合
https://www.tebukurokumiai.jp/


資料提供:東かがわ市
https://www.higashikagawa.jp/index.html

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