ポピュラー・ミュージックの女王・美空ひばり その4

 「素敵なランデブー」をヒットさせた30年、「薔薇色の人生(ラヴィアン・ローズ)」と「A列車で行こう」のカップリングと云う、最強盤が出された。共にSP期のカヴァー作品を代表する素晴らしい歌唱である。これらポピュラー専門のJLレーベルからの発売は、翌31年の「愛のタンゴ/愛さないなら棄てて」がラストとなった。

 降は洋楽の影響を多分に受けたオリジナル、リズム歌謡の主要曲を追ってみよう。31年の「ひばりのチャチャチャ」は米山正夫の作詩・作曲。ひばりがバスガールと本人の二役をこなした東宝映画『歌え!青春はりきり娘』の主題歌だった。「港町十三番地」や「長崎の蝶々さん」をヒットさせた32年を経て、33年にいよいよ登場するのが「ロカビリー剣法」である。小林旭「ダイナマイトが150屯」(作曲・船村徹)と同様に、歌謡曲とロックンロールを並列に置いて作られた、パワー漲る一曲。米山正夫が「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を下敷きにして作ったとおぼしき同曲を、歌謡史上に残る一世一代の傑作と成らしめたのは、やはりひばりの巧みな歌唱に負うところが大きいだろう。この年に第1回日劇ウエスタン・カーニバルが催された。

 山は翌34年にも「ふり袖小僧」で、ひばりの抜群なリズム感発揮の場を提供したほか、35年と36年に「泣き笑いのマンボ」「すたこらマンボ」と再びマンボを手懸ける。36年といえば、ドドンパが大流行した年。するとひばりもしっかり「ひばりのドドンパ」を歌うのである。そしてそのB面が「車屋さん」だったと云う、なんとも贅沢な話。

 37年にニュー・リズムのツイストが世を席捲すると、ひばりもすかさず「ひばりのツイスト」で呼応する。作曲はひばりのリズム物ではもう一人忘れてならない、狛林正一。氏は同じ年にオリジナルのハワイアン「星影の浜辺」と、ひばり自身の作詩による佳作「ロマンチックなキューピット」も手懸けている。

 42年の大ヒット曲「真赤な太陽」に至るまでに、ポピュラー歌手としての美空ひばりにも実に長い歴史があった。尊敬するナット・キング・コールを偲び、40年に出されたカヴァー・アルバム『ひばりジャズを歌う』は極めて重要な位置を占める作品だが、残念ながら字数が尽きてしまった。機会があれば改めて触れてみたい。

鈴木 啓之(音楽評論家)

(おわび:都合により第3回、第4回をまとめて第4回分とさせていただきました。このコラムは今号で終了となります。6月の特集は5月31日更新予定です。お楽しみに。)

 

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