このページはバックナンバーです。(2005年3月14日発行)

【第3回】美空ひばりがジャズを歌った1950年代から'60年代にかけてのジャズ・シーンは・・・

 空ひばりはジャズをレコーディングする以前からずっとアメリカのジャズやポップスの洗礼を受け、子供の頃から好きでジャズを聴き、ジャズを歌っていたようだ。  

後の日本へはアメリカのジャズやポップスが怒濤のように流れ込み1950〜60年代には日劇や浅草の国際劇場などでもさかんにジャズ・コンサートが行われたが、出演したのはジャズメンやジャズ歌手だけではなく、ラテンやカントリー、ハワイアン、シャンソンの人達まで一緒に出演したもので、ポップスはすべてジャズと呼んでいた時代であり、ジャズ・シンガーもポップスはもちろんカントリーやシャンソンまで歌ったりしたものだった。アメリカもそうであり、ルイ・アームストロングがシャンソンの「ラビアン・ローズ」を歌い、ナット・キング・コールもポップな「モナ・リザ」からラテン・アルバムまでを吹き込んだものだった。  

 '63年発売の「ひばり世界をうたう」や'66年の「ひばりナット・キング・コールを歌う」は当時の音楽シーンを反映している点でも興味深いものがある。「ひばり世界をうたう」はそれこそ世界各国のポップスを歌っており、イタリア民謡から映画音楽からロシアやスコットランドの民謡やラテン、ハワイアンまで歌っているが、こういった歌が違和感なく受け入れられた時代だった。  

 っぽうでひばりは自分の好きな本格的なジャズ・ナンバーも歌い録音している。「美空ひばり/ジャズ&スタンダード」の中に収められている「恋人よ我に帰れ」「ラブ・ミー・オア・リーブ・ミー」(愛さないなら棄てて)「A列車で行こう」などがそうだが、「上海」をはじめてSPレコードで聴いたときにも、そのスインギーで、リズム感のすばらしいジャズ・センスにびっくりし、繰り返し聴いたものだった。日本語も交えて歌っているが、まったく違和感がない。

 ともとドリス・デイのヒット・ナンバーだが、「アゲイン」も歌っており、ひばりはドリス・デイも好きだったようだ。「上海」や「恋人よ我に帰れ」シャープス&フラッツの演奏もジャジーだが、ジャズの伴奏を楽しみながら、それに少しも負けずに力強く、ダイナミックに歌っており、ジャズ・シンガーとしての底知れない実力をみせてくれるが、ひばりが歌った曲でいちばんジャジーなのは「A列車で行こう」だろう。これも日本語を交えて歌うが、前2曲同様ここでもテナー・サックスのソロが挿入される。この歌はデューク・エリントン楽団がベティ・ローシェの歌をフィーチュアしたレコードが有名だが、ひばりが歌うこの歌もアレンジャーがかなりの部分ベティ・ローシェ版からいただいてアレンジしているので、ひばりもスキャットを交えて歌っているが、それがサマになっているのはさすがだ。このひばりの「A列車で行こう」をはじめて聴いたときも、ジャズのセンスのすばらしさに感嘆したが、1950年代というのは、アメリカも日本もジャズのゴールデン・エイジであり、ひばり「A列車で行こう」を吹き込む背景が整っていたともいえる。(第4回(3月21日発行)につづきます。お楽しみに。)

岩浪洋三(ジャズ評論家)
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