ついに病院へ

大亀を見たあと手持ちのドンが少なくなっていたため湖南のべトコムバンクへと両替に行く。そうこうするうちにまた調子が悪くなってきた。すかさず銀行横のカフェに入り注文を済ませるやいなや、トイレへと駆け込んだ。どうやら自力回復はできないようだ。ホットサンドをつまんで少し休憩した後、ついに病院へ行くことを決心した。運のいいことに今いる場所のすぐ近くだ。
病院名はインターナショナルSOS。ハノイのほかにも数カ国にわたり病院経営をしているようだ。日本人スタッフがいるということで訪れたのだが、患者ともめていてなかなか手が開かない。受付だけは何とか済ませて診察順を待った。その間もめごとをそば耳立てて聞いていたのだが、付き添いの女性が「日本で検査を受ければ問題ないんでしょ」みたいなことを言っている。男3人女1人で大学生の旅行のようだったが、どうやら車の事故で男2人が鞭打ちになったようだ。要は「日本へ帰るまでは大丈夫」という言葉がほしかったようだが、医者としては確信が無い限りは「大丈夫」と言うはずもない。また、飛行機という非日常の空間に隔離される人間に気楽に「大丈夫」と言うはずも無く、いっこうに事態は収拾しそうになかった。それにしても当の本人の男たちは女の言うことにうなずくだけで、暖簾に腕押し状態。なさけないとは正にこのことだ。さしずめくそババアに駄目亭主といった感であった。以前医療機関に関与していたこともあるので「医者の言うことはちゃんと聞けよ!」と言いたかったが、腹に力が入らないこともあり控えておいた。
そうこうするうちに順番がやってきた。大柄なフランス人医師が「Mr.・・・」と呼ぶ。診察室に入り「英語はできますか」と聞かれたが、すかさず「Little:ほとんどできません」と答える。外では依然として日本人スタッフがもめているため通訳ができず、先生と雑談することとなった。「彼女(スタッフ)は忙しそうですね」というと「もう一人の日本人スタッフがホリデーで3週間休みなんだ」ととてもきれいな英語で答えた。ベトナム人の英語を聞きつづけていたため、聞き取りやすく流暢なドクターの英語に美しささえ感じた。そして、これなら何とかなるかと思い診察をしてもらうことになった。診察方法は日本の内科とまったく同じだ。ただ、咽喉を見る際の器具は日本のように金属製ではなく、ディスポ−ザブルで平たいアイスの棒のようなものだった。その後ようやく日本人スタッフが来て少しばかり通訳をしてもらったが、また別件で出て行ってしまった。ドクターが言うには、旅行者にありがちな菌か病原虫の感染だろうということだった。そして、院内薬局で抗菌剤と虫下しをもらった。診察代は約$130。持っていたクレジットカードに保険がついていたため、帰国後申請して補填してもらった。
病院を出て抗菌剤を一粒飲むと、ぴたりと下痢が止まった。「こんなことなら早く病院に行けばよかった」と思っても後の祭り。5日間の苦痛はある意味いい経験だったと納得した。
イパニマ

ハノイでバッグといえばイパニマと言われるほどの超有名店。噂ではディレクターはフランス人らしい。(香港人とも聞いたが?)自国が先のワールドカップで予選敗退した腹いせか、日本敗戦時に得点を挙げたトルコ代表のモヒカン野朗、ウミット・ダバラがお出向かい。「おいおい、こりゃ無いだろ」と思いつつも今度はベッカムがカバンを持っているポスターを発見。ベトナム人がするならいざ知らず、サッカー王国フランスの人間が、しかも国際的に知名度のあるショップがやっていいのかと,そのモラルハザードぶりに少々立腹した。スタッフが話し掛けてくるも完全無視。一巡した後そそくさと店を出る。もし見つかったらs、肖像権問題で億単位の賠償になりそうだ(メンバーがメンバーだから)
文廟

その名のとおり孔子を祭った廟。1070年に建立され、1076年にはベトナム初の大学が開設されたようだ。
この文廟、ものすごく敷地が長いにもかかわらず入り口が南側に1箇所しかない。この後行く予定の美術博物館は北側にあり、無駄に1km近く歩かなければならなかった。構内は一面に芝生で覆われ池もある。また、科挙に合格した者をたたえるための石碑もあった。一番北側には写真の建物があり、その中にはおそらく木造であろうが2mの孔子像や弟子の像が立ち並んでいた。
美術博物館

門を入ると左手に受付がありそこでチケットを買う。受付の女性は「水もどう?」とボトルを差し出してきたが、後ろポケットに入れていたボトルを見せると少し残念そうだった。
ガイドブックには少数民族の刺繍などの展示や青銅器の展示があるとかいてあったが、あるのは絵画のみだった。
ベトナム戦争を描いたものから印象派のものまでさまざまなジャンルの展示があった。
最も印象的だったのは美術品ではなく、国立の施設にもかかわらずエアコンは効いておらずファンのみだったことと、スタッフのほとんどが居眠りをしていたことだった。