印制度のはじまり

印の制度の始まり


701年大宝律令によって天皇御璽、太政官印など官公印の制度が定められました。中央政府と地方諸国との間の公文書の布告・通達の折の真実性を立証するためです。


団体、法人などの公印は角


718年大宝律令を修正した養老律令によると、

天皇御璽・・・方三寸
太政官印・・・方二寸五分
諸司印・・・・・方二寸二分
諸国印・・・・・方二寸

(天皇の実印・・・・・・・・・90.3ミリ角)
(政府の実印・・・・・・・・・75.25ミリ角)
(諸省・官署で使う印・・・66.22ミリ角)
(地方諸国の国司印・・・60.2ミリ角)

と、なっています。
 国璽や官印、会社印など、団体、法人をあらわす印は正方形「角」が印の制度です。角型印は凶相、丸が良いと印相で言うのは個人の印についてだけです。混同しないように注意して下さい。


許可がないと作れなかった私印


 印の歴史は官公印から始まりました。
では、個人の印鑑はいつ頃から使われ始めたのでしょうか。
 奈良時代、天平宝字2年(758年)藤原仲麻呂が恵美という姓を賜って印をつくったという記録が残されています。これが、現在の私印の始まりだとされています。
 当時は誰もが自由に私印を持ってよいというわけではなく、貴族といえども朝廷の許可が必要でした。印鑑を所持できるのは、上層階級の人たちだけに限られ、印鑑は権力や地位、財力の象徴でした。

 印はもともと自分の信を表示し、本人であることを証明するために、名前を刻文(彫刻)したのです。古代メソポタミア王朝(紀元前2500年成立)でも印を用いていましたが、使用目的は、所有権の公表や契約の義務履行の証しでした。

 婚約指輪、結婚指輪を初めて使ったのは古代ローマ人だと考えられていますが、当時、婚約指輪は、約束の履行をする”誓約の証し”でした。
 結婚指輪には、記号や家紋が彫ってあり、手紙や記録などに認印をする場合に用いました。これは、現代の日本の実印と同じ役割をはたすもので、家財の一切を封印する権利が妻にあることを確認するために夫から贈られる習わしでした。


日本式サイン「花押」


平安時代から戦国時代にかけて、一時期、印がいったん後退して、日本式サインとも言える花押(かおう)がおおいに活用され、花押全盛時代を迎えます。



世界に類を見ない芸術的サイン


 花押は”かきはん”ともいいます。印判に対する、書判というわけです。書判もまた、文書の真実性を明らかにするのが目的で書かれました。花押の全盛期、藤原時代から戦国時代の初め頃まで、官公印以外には印鑑の使用は少なかったようです。花押は、公文書と私文書の別なく用いられたのが大きな特徴です。
 花押の押は署名の意味で、文字通り、”花のように優美に署名すること”です。花押の文字の構成法にはいくつかの形式がありました。主なものとして、草名体、二合体、一字体、別様体、明朝体などがあげられます。いろいろな技巧を使った日本独特の美的感覚あふれる花押が残されています。


源頼朝の花押

源頼朝の花押
頼のへんの「束」と朝のつくりの「月」を合体させたもので「二合体」といわれる形式です。


三好政康の花押
伊達正宗の花押

三好政康の鳥形と
伊達政宗のせきれいの花押

名乗りと関係のない事物を模様化してあり、「別様体」といわれます。


徳川家康の花押

八代将軍吉宗の花押

徳川家康の花押
上下に一文字を書き加えてあり「明朝体」の筆法です。上下の各一文字が”地平天成”の意を表し、明の太祖・洪武帝(1368年即位)に由来することから明朝体と呼ばれています。
家康が明朝体を用いたことからこの形が主流になり、歴代将軍や、大名、武家から一般にも使われ、この形式が花押としてもっとも完成されたものになりました。


 花押は一定の法則によって作られますが、相法の基礎はその人の性、つまり、五行(木火土金水)に対して字画や形、空穴の数を決定して作字するところにあります。
 この方法によってあらわされた花押は、自分の姓名、家名をただ一文字に凝結した”真名”として非常に重視され、大切に扱われ、お守りとして信仰の対象にさえなりました。

 ヨーロッパ諸国にも一種の印に類するものがあったことはふれました。国王や貴族、教会、団体などに限られていましたが、11世紀から12世紀にかけておおいに普及しています。が、その後、公文書関係を除いて、印はまったく姿を消して、かわりにサインが登場し、現在までそのまま続いています。


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