アウベルクラフトを始める前の柴田bros.
僕マーベルは大学卒業後、名古屋の電機会社に入社。購買部門から生産管理、そして電算室でシステム設計の仕事へといろんな経験をしました。この間品質管理のデミング賞受賞も経験しました。入社して10年、仕事がようやく楽しくなってきたころです。可愛い子どもも二人いて、家庭も仕事も将来がとても楽しみでした。
一方、兄クラフトは大手の建設会社やトヨタ関連の試作品会社で技術や営業を学び、父親の繊維工業に跡継ぎとして転職しました。もともと兄は将来跡継ぎに付くことが決まっていました。ぼくはもちろん自分の道を進むと決めていました。お互いがそれぞれの道に邁進していた30代です。
兄が入社した頃の繊維業界はとても好景気で、作れば作るだけ売れる時代でした。ところが、ある年を境に下降線をたどり始め、数年後には想像を超えるほどの構造不況に苦しんでいました。岡崎でも一流と言われていた会社でしたが、海外から入ってくる安い繊維にはとても対抗しきれなくなってきたのです。
ある日のこと、兄に名古屋の居酒屋に誘われました。そこでこれから会社は新しい方向に進まざるを得なくなってしまった。それには右腕としてどうしてもおまえが必要だと言われたのです。突然のことでとても迷いました。収入が下がり生活は厳しくなるだろうし、家族にも負担がかかるのは明白だったからです。
でも兄を助けたい、自分の可能性を試してみたい! そう思って決意しました。でもこの時はこれから来るだろう大変な状況を知るよしもありませんでした。
苦しい5年を経てついに…
コンピュータのシステム設計という仕事から一転、紡績の力仕事の現場にガラリと生活が変わり、毎日汗と油にまみれ、身体はボロボロ。きつかったです。しかも年収150万のダウン。心身共に辛いことばかりの連続で家庭崩壊の危機までも現実に……。
業績はどんどん落ちていくのですが、退廃的な古い体質の会社で、幹部はだれも今を変えようとしないのです。かと言って新事業を起こせる程の体力はもうなくなっていました。さすがに僕は後悔し始めました。本当にここに明るい将来ってあるのだろうか? 自分は何のためにここに来たのか? 僕はこの先どうなるのだろう……。
かと言って自分が決めてここに来たからには、簡単に音を上げるわけにはいきません。後戻りもできません。頑張ればいつかはきっと良いことがあるのだ。絶対に諦めずに頑張ろう。そう信じて耐えに耐えたとても長くて辛い5年間でした。
そしてついにその時が来た
1989年、今から23年前、ついに新しい道ができました。ここからが全ての始まりなのです。兄の知り合いを通じて新しい仕事を始めることになったのです。工場の商品倉庫の2階の片隅を改造し、借り物の工業ミシンを2台設置して、トラックの幌を縫製する仕事を始めたのです。これなら大した投資はいりません。
とにかく「何でもいい、兄弟の力で何か新しいことを始めたい」という熱烈な想いがやっと叶ったのです。それが何であるかは問題ではなく、何かをしないではいられないという気持ちでしたから、がむしゃらに働きました。
その後、テントシートや縫製の仕事も増え、設備や人も増えていきました。でも仕事は全て請け負いの仕事ですから、正直言ってあまり面白くなかったのです。自分たちで新しいものを作り出したい! いつもそう思っていました。
オートキャンプの幕開け
そんな頃、僕たち兄弟は当時少しずつ流行り始めていたオートキャンプに夢中になっていきました。もともと僕は小学校からずっとボーイスカウトをやっていて、キャンプが大好きでしたから本当に楽しかったのです。
ところがオートキャンプもブームになっていくと、予約を取るのさえ難しいほどになり、まるでテントサイトは長屋のように隣と隣が隣接していて、プライバシーがなくて落ち着けなくなっていました。加えて僕は正真正銘の雨男なので毎回雨が降って散々な目に会いました。
そうだ、ある日閃きました!「自分の理想のカーサイドタープを作ろう!」と思ったのです。すぐに『鷲が羽根を下に向け広げて雛を守っている形(見たことないけど勝手にイメージしました)』が頭に浮かびました。タープを作る生地も道具も技術も僕たちには元々あったので、作るのはそれほど大変ではないと思いました。
兄にその想いを伝えると試作品を作ってくれました。さっそくそれを持ってキャンプ場へ行きました。案の定大雨に見舞われましたが、ワンボックスカーの横に雨漏りがなく、雨風が吹き込まない、そしてプライバシーも守れ、車内をリビングとして使え、とても快適に過ごすことができる空間ができたのです。まさに画期的と言えるカーサイドタープ「イーグル」が生まれた瞬間です。
アウベルクラフトが誕生
それからというもの、商品化のために兄弟が夢中になっていろんな仕事をこなしました。会社の役員を説得したり、タープ用の生地を開発したり、作りやすさの為に改良を加えたり、実用新案の申請をしたりと本当に忙しかったのです。
でも楽しかった。本当に楽しかった。自分が作ったものを世の中に出せる。今まで実現したかったことがついに始まるのです。そしてこの年「アウベルクラフト」というブランドが生まれました。1992年秋、今から20年前のことです。
翌年1993年の春、順調に新発売の日を迎えました。ビーパルというアウトドア誌に「新商品発売記念キャンペーン」としてイーグルとサバンナのプレゼント企画を広告掲載しました。すると毎日山のようなハガキが届きました。実に3,000通ものハガキが山積みに……。
興奮しました。これは凄いことだ!これで売れるはずだと! ところがしばらくすると厳しい現実に直面するのです。それはただの「勘違い」なだけだったのです。反響の大きさだけでみんなが買ってくれるものだと思いこんでしまったのです。
これが教訓の第一歩
日を追うごとに分かってきました。僕たちは良いものは向こうから販売したい、と申し出てくれるものだと勘違いしてしまったのです。当時は好景気でしたし、オートキャンプブームでしたからね。でも世の中はそんなに甘くはないのです。今から思うと笑ってしまうような話ですが、その後は全く業者からの反応はありませんでした。当然のごとく……。
僕たちは物作りはできるけど、どこへ行って何をすれば商品を買ってもらえるようになるのか、販売のことは全く知らなかったのです。その後広告会社の紹介で問屋さんが2社付いてくれましたが、1年目は殆ど売れませんでした。むしろ自分たちが直接売った数の方が多かったのです。そんなもんです。厳しいけれどそれが現実、これがアウベルクラフトの苦いスタートだったのです。
でも実は結果的に正解でした。この苦い経験を薬に、翌年より直販の道を進んでいくことになるわけですね。そんな何とも危なっかしいアウベルクラフトの始まりでしたが、この先もいろんなドラマがいっぱいあります。これはまた機会があればお話しすることにしましょう。
なぜやってこれたかというと
こうして僕たちアウベルクラフトが20年という長きに渡ってやってこれた。これは奇跡的な気がします。それくらい紆余曲折、棘の獣道を僕たちは歩んできました。何度も崖からずり落ちそうになっても必死になってよじ登れてこれました。
今思うと、これは僕たちの力ではなかったと思います。たぶん「天の力」のようなものが僕たちに特別な力をくれて、できないと思っていたことができてしまったのです。とても不思議なことがいっぱい起こったのです。これは明らかに僕たちの能力じゃなく、別のところからきた力だと思っています。
ならば今度は僕たちが20周年という節目を迎えて、「天の力」にお返しをしなくてはと思います。でも天にはお返しはできないので、世の中にお返しをしなくてはいけないと思うようになりました。
20周年記念のいろんな感謝の企画や新サイトのスタートは、そんな僕たちの感謝の気持ちを心を込めてお贈りしていきます。もちろん一年で終わりではなく、これからずっと世の中にお返しをしていく活動を続けていきたいと思っています。
今の気持ち
僕たち柴田bros.はこれまでずっとギリギリの中でやってきました。いや、今でもそうです。でも正直言って本当のことはわかりませんが、あえてギリギリの生き方の方が楽しいというか、面白いという感じがしています。
いわゆる教科書的な常識論や正攻法ではなく、自分たちのオリジナルで純粋に素直にやっていくことが、精一杯生きている「手ごたえ」を感じられるような気がしています。こっちに行った方がいいよと偉い人が言うなら、あえて違う道に進んで行きたいんですね。
でもそれができる全ての元は、僕たちが作った商品や、僕たちが提案していることを、みなさんが購入していただいているからです。本当にみなさん、ありがとうございました。そしてこれからも末永くご愛顧いただきますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

2012年2月8日
アウベルクラフト株式会社
柴田正則(クラフト)
柴田隆二(マーベル) |
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