トップページ >>カバンメーカー松崎の誕生

松崎の誕生秘話
松崎伊三郎の生い立ち
旅の道連れスーツケース
国内、国外に販売網
にぎわう男性用鞄
進化していくキャリーケース
カバンという呼称、鞄の文字の由来
新世代のビジネスバッグ
メンズバッグに脚光
スタイルのある大人は「小物」もこだわる


松崎伊三郎の生い立ち
松崎伊三郎が東京の日本橋区馬喰町4丁目3番に、カバンメーカー松崎を創業したのは、明治22年(西暦1889年)5月24日、伊三郎が満24歳を迎えた日である。
伊三郎は慶応元年(1865)5月24日、埼玉県行田の操綿問屋に生まれた。「行田足袋」で知られるように、ここは生糸や絹綿糸布の産地であり、伊三郎は両親のもと、弟1人、妹2人とともに、豊かで平和な毎日を送っていた。
ところが、明治3年(1870)、普仏戦争の勃発で生糸関係の輸出がストップし、家業は一転、危機に追い込まれた。さらに、町内の火災で店舗も住居も類焼という不幸がかさなって、父は失意のうちに、明治8年3月に病没した。伊三郎は家計を助けるために、日本橋馬喰町の織物問屋、橋本商店に奉行することになった。
明治18年(1885)、病気で退店したが、間もなく、健康を取り戻すと、今度は旧主人から卸してもらった行田足袋の行商をはじめた。
その後、明治20年(1887)、たまたま新しい商品として人気の出始めた鞄に注目した。器用な弟文四郎に鞄の製造を取得させ、自分はその販売に打ち込もうと思い立ったのである。
当時の商品はズック製の学生鞄である。弟らが毎日4〜5ダースの鞄を作り、伊三郎はそれを背負って売り歩き、資金づくりに励んだ。

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国内、国外に販売網
日露戦争(明治37年(1904)2月〜38年(1905)9月)と日韓併合(明治43年(1910)8月)は、国内産業の近代化、国際貿易の著しい伸長(明治44年(1911)、関税自主権確立)をもたらした。とくに、中国、東南アジア各地への輸出は激増し、大正初期には輸出のほぼ半分が東洋向け商品で占めるに至った。
国民生活が急速に洋式化し、かつ商品の販路が国外に広がったことは、鞄にとってもその質に、量に、そして生産ならびに販売方式にも大きな影響を与えることになる。
鞄専門店も逐次増加した。なかでも、鞄の普及、促進に力になったのは、明治40年(1907)頃から百貨店との取引が開始され、販売、陳列方法が大いに変化、拡大したことである。
鞄そのものも人気も一変した。日清戦争(明治27年(1894)7月〜28年(1895)4月)のとき、軍用として考案された雑嚢が、露戦争の直後から学生の間に流行し、一般社会にも普及したのは、その最もたるものであった。従来は軍用品製造を主体としていた鞄業界も、平和産業への移行が促進されることによって、一層の発展をもたらした。
また、国内旅行や国際的交流の増加は、台下鞄(寝台の下に入れる鞄)や服入鞄(スーツケース)の改良と普及をうながした。
袋物(ハンドバッグ類)も、明治中期は古代切れや鹿革を用いた信玄袋が代表していたが、明治末期には千代田袋が登場した。女帯地の錦織を使った千代田袋は、大正7,8年(1918、1919)ごろ大流行をきたしている。
大正初期、洋装が女性の間に浸透し始めると、オペラバッグ(小型ハンドバッグ)は上流階級だけのものではなくなった。また、札入れ、名刺入れ、二つ折り鉛筆差し(シース)などは、日常の必需品としてみなされるようになった。
需要の増加に伴い、松崎も、代地河岸の工場の中に袋物部を設立して(明治39年(1906))、製造面を大幅に強化した。

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旅の道連れスーツケース
日本航空国際線が開設されたのは、昭和29年(1954)である。これから海外旅行が盛んになることは当然予測され、昭和27年(1952)ごろからスーツケースが普及しだしている実情を見て、優良なスーツケースの量産を目指し、いくつかの新製品を生み出した。
昭和30年(1955)に販売した強力プラスチック製品スーパーケースは、100トンの圧力で成型してあり、頑丈なのが特徴であった。また、同年、プレスボードに金属製の特殊塗料を施工した新資材は、外観が金属製品に似ており、ニュームより軽く革より強いハードケースとして評価を得た。
しかし、松崎の理想としては、まだ完璧といえず、種々の検討の結果、優れた技術を誇るアメリカのスカイウェイ社との技術提携に踏み切ることとなった。
松崎は、流れ作業による大量生産が可能な生産整備を擁しており、技術契約の交渉は順調に運び、昭和34年(1959)9月、その締結を完了した。こうして誕生したのが、”軽くて使いよい”と銘打ったスカイウェイ・スーツケースである。
その後、いろいろ改良が施され、昭和36年(1961)には、広げたり狭めたりできるエキスパンディング・ケース、37年(1962)には豪華なスカイウェイ・デラックス、さらに39年(1964)にはソフト・タイプで、アメリカのテキソン社開発のテキソンを使用したスカイウェイ・フレックスなどの完成を見た。
昭和45年(1970)には、ABS樹脂を樹脂メーカーと共同開発、日本最初のABS樹脂製スーツケース、スカイウェイ・マーキュリーを完成、その後もソフトタイプのSCU,ABS樹脂製のSWUなどの新製品を開発した。
旅行用鞄で重要な条件の一つに、錠前がある。海外旅行の増加に伴い、錠前が針金などであけられる被害も頻発し、使いやすく、見た目もよく、絶対に安全な錠前の開発は、業界における懸案であった。
そうした中、松崎は昭和45年(1970)、世界最初の鞄用電子ロックを開発した。この電子ロックは、同一番号でなければ、絶対に開錠できず、また、一般では合鍵を作ることも、外部から簡単に破損もできない構造になっている。

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にぎわう男性鞄
長く続いた高度成長時代も、昭和46年(1971)のニクソン大統領のドル防衛策発表(ニクソン・ショック)、48年(1973)、石油産出国の価格引き上げによるオイル・ショックが経済界をゆるがし、卸売物価暴騰(狂乱物価)を招くことになるが、昭和30年(1955)代後半から40年(1965)代前半にかけては、国内はまだ景気上昇に酔い、市場には新製品があふれて、激しい競争に明け暮れていた。
ビジネス用鞄の登場と、その急速な普及は、その副産物でもあった。
企業の先兵たるビジネスマンは、情報だ、スピードだと競争に追われ、持ち歩く資料などが増えていく。一方、服装はスリム化し、特に夏期は昭和31年(1956)に始まったノー上着運動が定着し、ポケットは物入れの役に立たず、紙袋程度では収容しきれない状態である。
必需品の内容も、印刷物だけでなく、”新兵器”の電卓をはじめ、商売上の小道具や見本品など多種多様となった。鞄も体裁の良さ、容量の大小に限らず、ビジネス用に適した資材、内部構造など、新たなジャンルのものを望んだわけである。
これは一地域の現象ではあるが、アメリカのアポロ11号が月面着陸に成功したとき(昭和44年(1969))、”月の石”を持ち帰るために使用したハリバート社製の鞄が、カリフォルニア州シリコンバレーのビジネスマンたちの人気を集めた事がある。というのは、この鞄が航空機用アルミ合金を素材とし、軽量で、耐水、機密性、外装強度の優秀性が評価されたからであった。
松崎のビジネス用鞄が優位を保ってきたのも、ビジネスマンの必要とする条件を満たすため、常に改良を怠らなかったところにある。

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進化していくキャリーケース

BRONCO[4-50955]
 
BRONCO[4-50959]

カバンという呼称、カバンの文字の由来
「鞄」は漢字にあるが、中国では「なめしがわ」「なめしがわの職人」を指し、カバンとは無縁である。カバンをオランダ語の「カバス」が語源とする説もあれば、根拠は薄い。 辞書では、「ふみばさみ」を意味する「夾板(キャバン)」か、「櫃」を意味する「(キャマン)」がカバンに転じたとしているのが多いようである。
いつごろからカバンと呼ぶようになったかについても、定説はないが、革盤、胴乱、サックなど、いろいろな呼び方をされていたのが、明治2年(1869)ごろ、大阪で初めて外国製のカバンをまねて作った人が、弁当革盤から思いついて、カバンと名付けたのが始まりともいわれる。
鞄の文字については、明治10年(1877)ごろには「革包」と書かれ、明治18年(1885)ごろから「鞄」と書かれるようになったというのが有力である。

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新世代のビジネスバッグ

VHL
 
BRONCO アタッシュケース

メンズバッグに脚光
松崎がメンズバッグを売り出したのは、昭和30年(1955)代の初めであるが、昭和50年(1975)代に入ると、セカンドバッグとして手軽なショルダーバッグが、にわかに脚光を浴びてきた。
松崎はいち早く、紳士用ショルダーバッグを商品化したが、セカンドバッグとはいえ、中身は名刺入れ、定期、財布、タバコ、ライターから、アドレス帳、メモ用紙まで種々雑多である。
そこで、さっそく実地調査に乗り出し、顧客が果たしていかなる形式のものを望んでいるか、店頭での声を直接聞き、その後の製品に取り入れた。一口でいえば多機能集約型であるが、それを一つの形式にまとめることは不可能であった。
その結果、生み出されたのが、軽く、しなやかな革で、中にはさまざまな仕切りがあり、カード類やペン入れなども用意、ふたをあけるだけで定期が見せられる「ヴァレンカ」、小型ながら収納箇所が9ヵ所もある「シティ」、手首を通して持つこともできるが、中にも収納できるに把手のある「ブリンクス」、折りたたみ傘のポケットまで横につけたものなどもあり、それぞれに工夫が施されて、好評を得たのであった。
もちろん、服装とのコーディネートも考慮し、カラフル、ファッショナブルな意匠も採用した。ショルダーとは別に、端にストラップの付いたクラッチバッグなどは、予想を上回る売れ行きを見せた。
このような商品は、需要者の要望の平均値を求め、それを大量生産するということができない難しさがある。それぞれの個人の満足を得るためには、多種類でなければならず、ファッション性の強いものは、常に新鮮なアイデアを加えていく必要があった。

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スタイルのある大人は「小物」もこだわる

KATHARIME HAMNETT
 
KATHARIME HAMNETT

松崎鞄特集
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