HISTORY
1902
3月3日、26歳のベンジャミン・ラッセルによって、アラバマ州、アレキサンダー・シティに「ラッセル・マニュファクチャリング・カンパニー」が設立されました。12台のミシンを導入して女性用のアンダーウエアの製作に取んだことりカンパニーはスタートしました。この市に住む人のほとんどが同社に就業、町全体が企業といった形態を取り、町の発展と共に同社も成長し続けました。  
創設者
ベンジャミン・ラッセル
創業時の社名
ラッセルマニュファクチュアリングカンパニーロゴ

1908年初期の工場(左) 
最初の製品である女性用下着(右)

1912

蒸気動力から電力へ。縫製工場を建設。

1929

最初のスウェットシャツ&パンツを含む各種アスレティックウェアが製造される。

1932

加工工場設立、綿花から最終製品までの一貫生産体制が整う。当時、世界的に全工程をカバーできる衣料品会社は少なかった。アスレティックウェアを扱う部門、「サザン・マニュファクチャリング・カンパニー」設立。
サザン設立当時のタグ

1938
サザン製品の品質、耐久性が認められスポーツ分野に進出。 フットボール、ベースボール、バスケットボールなど織物生地のスポーツユニフォームの生産・販売開始、
ブランドとして大きく展開するきっかけとなった。
更に世界初のスクリーンプリントを開発。

1960
スウェットシャツとユニオンスーツで米国ナンバーワンブランドとなる。
写真左:バスケットボールウォームアップスーツ
写真右: スウェットスーツ

1961
「サザン・マニュファクチャリング・カンパニー」は「ラッセル・サザン」に改称される。

1962

社名をラッセル・ミルズ・インクに改称。ラッセル・サザンが独自のプリント技術「ラスコート」を発表。

1967
フットボールの「ティア・アウェイ」ジャージーを発表。写真右:フットボールプレイヤーが装飾されたラッセル社のトラック


1972
アスレティックウェア部門の名称が、「ラッセル・サザン」から「ラッセル・アスレティック」に変更される。フルラインの女性用アスレティックウェアを発表する。

1973
社名を「ラッセル・コーポレーション」に変更。

1974

“スポーツセット”と呼ばれる女性用チームウェア・カタログを導入する。

1983
ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)28チーム中、24チームや、数々のカレッジにバスケットボール、バレーボールなどのユニフォームや練習着を提供。

1984
ロサンゼルスオリンピックで米国代表ベースボールチームのユニフォーム類を供給。

1985
ラッセル・アスレティック“ハイコットン”ライン発表。生地に防縮加工を施し、高い機能とタフな耐久力を実現、重量感と美しい風合いを誇るラッセルの代表的なシリーズ。ラッセル社株式が、ニューヨーク証券取引所にて取引開始。

1989
ラッセル・アスレティック“プロコットン”ライン発表。両脇部分に2重のリブを使用、ヘビーウェイトでありながら動き易さと耐久性を実現。プロスポーツ選手のトレーニングを想定して開発されたトップモデル。

1992
メジャーリーグ(MLB)の公式サプライヤーとなり、当時の全26チームにユニフォームを供給。選手ごとの細かいオーダーに応えMLBを支えた。野茂、イチロー、佐々木もイーグルRのユニフォームを身にまとった。

1997

ラッセル・アスレティックは、4大カレッジ・オールスター・ゲーム(シニアボール、ブルーグレイ、イーストウエストシュライン、フラ)の公式ユニフォームサプライヤーとなる。

1999
ジョージア州アトランタに新たに本拠を設置。アレキサンダー・シティとデュアル・ヘッドクォーター制に。

2000 
映画「タイタンズを忘れない」のユニフォーム提供。

2002
創立100周年を迎える。ディズニー映画「オールド・ルーキー」のユニフォーム提供。
写真右:ラッセルのロゴのイメージになっているアメリカの国鳥・白頭鷲